2012年2月19日日曜日

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イザベラ・バード「日本奥地紀行」を読む(第11回)

 


本日も引き続き、1878/5/24 付けの「第三信」を見ていきます。

横浜鉄道(続)

新橋-横浜間の鉄道に関するイザベラの記述は、なかなか微に入り細に穿ったものが続くので、ついがっつりと引用してしまいますがどうかご容赦を。

切符切り《これは中国人》、車掌と機関手《これは英国人》、その他の駅員は、洋服を着た日本人である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.36 より引用)

「本当かな?」と疑ってしまうのは良くない癖なのかも知れませんが、根っからのアングロサクソンである筈のイザベラに、日本人と中国人の区別がつくのでしょうか? まぁ、もしかしたら「信頼できる筋」に聞いてみた結果なのかも知れませんが、ちょっと疑問が残ります。もしかしたら、「切符切り」の制服が中国風に見えたのかも……。

停車場の外には、辻馬車ではなく人力車(クルマ)が待っている。これは人間ばかりではなくて、手荷物も運ぶ。手に持つ荷物だけが無料である。その他の荷物は、目方をはかり、番号をつけ、料金を請求される。持ち主は番号札をもらって、目的地についたら呈示すればよい。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.36 より引用)

このあたりのプロシージャは、現代において旅客航空機に搭乗する際のものと似ていますね。面白いのは「その他の荷物は、目方をはかり、番号をつけ、料金を請求される」というくだりで、全くの想像ですが、既存の「飛脚」業界への配慮?があったのでは……と思ったりもします。

料金は、三等が一分《約一シリング》、二等が六十銭《約二シリング四ペンス》、一等が一円《約三シリング八ペンス》。乗客が旅行を終わって改札口を出るときに、切符が回収される。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.36 より引用)

「一分」という単位が良くわからなかったのですが、イザベラのヒントから計算すると、「二十五銭」のことでしょうか。……うーん、ちょっと調べてみたのですが良くわかりません。1 Quarter なんでしょうかね……。そして、当時から改札口では切符を回収していた、ということが窺い知れて、これまた興味深いです。

英国製の車両は、英国にあるものとはちがっていて、左右の両側に沿って座席があり、両端にドアがあってプラットホームに対して開くようになっている。全体的にいえば、仕組みは英国式というよりもむしろヨーロッパ大陸式である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.36 より引用)

これは、現代の人間にはなかなか意図が伝わりにくいと思うのですが、バスではなく乗用車を想像すればわかりやすいかと思います。乗用車の場合、側窓=ドアなのですが、当時の鉄道車両も同じ構造でした。車体の側面は全部ドア(と柱)だった……ということだったと思います。

一等車は、深々としたクッション付きの赤いモロッコ皮の座席を備えたぜいたくなものだが、ほとんど乗客はいない。二等車の居心地のよい座席も、りっぱなマットが敷いてあるが、腰を下ろしているのは実にまばらである。しかし三等車は日本人で混雑している。彼らは、人力車(クルマ)と同じように鉄道も好きになったのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.36 より引用)

今の JR は「普通車」と「グリーン車」の二等級制(一部例外はありますが)ですが、その昔は「一等車」「二等車」「三等車」の三等級制でした。グリーン車の記号が「ロ」で普通車の記号が「ハ」なのは、一等車=「イ」、二等車=「ロ」、三等車=「ハ」だった時代の名残ですね。そして、この三等級制は鉄道の創成期からあったのだなぁ……と、これまた妙なところで感心したりします。


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