2013年9月8日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (140) 「香深・尺忍・差閉」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

香深(かふか)

礼文島の中心地で、「香深港フェリーターミナル」もありますから、礼文島の玄関口でもありますね。「香深」のちょいと(5 km ほど)北には「香深井」というところがありますが、関連が気になるところです。

では、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。

 礼文島南東岸の地名。礼文町役場の所在地である。香深の名は役場から約 5 キロ北の大字香深村字香深井から出たものらしいが,その名の意味は分からない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.158 より引用)

あららら。面白いくらいに内容がかぶりましたね(汗)。まだ続きがあります。

蝦夷地名解(幕末)には「カブカイ。カブとは波,カイは背負と申事。波を背負と訳す」と書かれたが,どうしてその訳になるのか私には分からない。カイカイなら白いくだけ波であるが,カブ(kap)はふつうは皮,カイは砕ける,折れる,背負うで,どうも地名の形になりにくい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.158 より引用)

ふーむ。山田さんは「どうしてその訳になるのか私には分からない」と書かれていますが、全く同感でして、私にもさっぱりわからないのが正直なところです。いやー、困りましたね……。

「香深」は「香深井」からの移転地名だと考えられるので(もっとも、移転元が「香深井」のまま残っているのも不思議な話なのですが)、「香深井」は、今の「香深井」の特徴を指し示しているとも考えられそうです。

音からは、kapke-i かな? と思ったりもします。これだと「平たい・所」という意味になるのですが、実際に香深井のあたりは、香深井川によって凪がされてきた土砂が堆積して、このあたりでは珍しい平らな地形になっています。

もっとも、kapke を使った地名が他にあるのか? と言われると、自分が記憶している限りでは無かったような気もするので、そこがちょっと弱いんですけどね……。

尺忍(しゃくにん)

香深港フェリーターミナルから少し南に行ったところにある地名です。これまた、何やら良く分からない地名ですが……。今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょうか。

礼文郡礼文町大字尺忍である。香深港のわずか南をそう呼んでいるが、古くは現在のところよりも、さらに少し南の海にせり出したあたりを呼んでいたらしい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.214 より引用)

ほうほう。現在の地名でいうと、南隣の「差閉」に近いところだったのかも知れませんね。確かに Google Map で見てみても、「シャクニン」の上に「ランニ」と書いてあります。「シャクニン」はもう少し南の地名だったというのが正解かもしれませんね。

明治の中ごろの地図にはシヤクニンとなっているが、松浦武四郎の『再航蝦夷日誌』では、シヤタニシになっている。シヤタはサク(夏)の間違いであろうが、ニシは空という意味。夏の空では地名にならないから、やはりサㇰ・ニンであろう。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.214 より引用)

んー、「シヤタニシ」はちょいと酷いですねー。松浦さんの達筆が超スーパー難読なのは有名な話ですが、これはさすがに、かなり残念な感じがします。

さて、sak-nin を素直に訳してみると、「夏・消える」といった意味になります。これだとかなり意味不明ですが、夏に消えるのが小川だとすれば理解できますね(夏には干上がってしまう、ということでしょう)。もともとは sak-nin-nay(「夏・消える・川」)だったのが、nay が下略されて sak-nin になった、と考えるのが自然でしょうか。

差閉(さしとじ)

尺忍の南側の集落で、部分的に道が狭いところがあったりしますが……(それはどうでもいい)。では、今回も更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 尺忍から少し南の海岸の集落名。もとは差閉と書いてチャストンスと読ましたらしい。それにしてもむずかしい当て字をしたものである。しかしこんなむずかしい地名は、一度覚えたら生涯忘れないだろう。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.214 より引用)

全く同感です。かなり傑作の部類に入る字の当て方ですね。ちなみに、Google マップによれば、このあたりの字名は「チヤシトンス」なのだとか。「チヤシ」はおそらく「チャシ」なのだと思いますが、「トンス」って一体……?

地名は元チャシュトンツらしいが、松浦武四郎はシヤントシトと記している
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.214 より引用)

ふむ。どちらが元の名に近いかという疑問はあるにせよ、可能性が広がるのはヒントとなるのでありがたいですね。「チャシ」は「砦」ですから、元々は「砦」としての立地が良いところだったと考えられます。そうすると、今の海岸沿いの集落は砦を築くにはどうなんだろ? と思えてくるわけですが……

しかも現在の集落のところよりも、南の岬に名付けたものであるらしい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.214 より引用)

あー、これは納得です。差閉の南の「奮部」には灯台があるのですが、このあたりはちょっとした高台が広がっているので、この辺りにチャシがあったと考えるのが自然なのでしょうね。

さて、肝心の地名解ですが……

チャシは昔の砦のことであるが、トソツまたはトンスと呼んで閉の字を当てている意味がわからない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.214 より引用)

はい。これは私もさっぱり分かりません。

トシトがシレトの間違いであれば、トリデ岬という意味になるがシレトがトンツになるとは思えない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.214 より引用)

これも同感です。「シレト」が「トシト」あるいは「トンツ」になったというのは、ちょいと厳しい感じがしますね。

試案ですが、「チャシトンス」は chasi-un-tosse-i だった可能性は考えられないでしょうか。意味は「砦・ある・小高い・所」で、発音すると「チャシュントッセ」でしょうか。-un は得てして省略されるので、あるいは「チャシトッセ」だったかもしれません。松浦武四郎の「シヤントシト」とはちょいと違いが出てしまっているのが少々難点ですが……。

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