2017年9月17日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (470) 「小谷石・イカリカイ島・矢越岬」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

小谷石(こたにいし)

kotan-us-i
村・ある・もの
(典拠あり、類型あり)
知内町最南端の集落の名前で、道道 531 号の起点でもあります。小谷石から福島町方面に向かう道路はありませんから、「起点」と言いながら事実上は「終点」と考えたほうが良いかもしれません。海沿いに道路が無いのは、道内でも割と珍しいんですよね(あとは知床や高島岬、小幌や恵山など)。

永田地名解に記載がありましたので、見ておきましょうか。なぜか「松前郡」の項に含まれていますが……

Katunushi  コタヌシ  村里 小田西(コタニシ)(村)ノ原名
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.151 より引用)※ 原文ママ

なるほど、改めて見てみると実に簡単な地名でした。kotan-us-i で「村・ある・もの」だったのですね。「村がある」という、ごくごく当たり前の事象が地名になるということは、それだけこのあたりに kotan が少ないことを示しているようで面白いですよね。

イカリカイ島

{ika-re}-kaye?
{越えさせる}・折れ波
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
小谷石の沖合、東側に位置する島の名前です。地形図では島(岩礁?)が二つあるように見えるのですが、どっちが「イカリカイ島」なのかは良くわかりません。

北海道地名誌に記載があったので見ておきましょうか。

 イカリカイ島 小谷石東海上の小島。意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.93 より引用)
ありがとうございました(お約束)。

「竹四郎廻浦日記」には「イカラキヤ」とありました。また「蝦夷日誌」には「エカリカエ岬」とあります。「東西蝦夷山川地理取調図」に「ヘカリシエサキ」とあるのも同じ地点を指しているのかもしれません。

地名解ですが、{ika-re}-kaye で「{越えさせる}・折れ波」と言ったところでしょうか(あるいは ika-ri-kaye で「越える・高い・折れ波」とも考えられるかも)。イカリカイ島と岬のあたりは岩礁が連なっているような印象があります。岩礁が、砕けた波をかぶることを形容した地名なんじゃないでしょうか。

矢越岬(やごし──)

ya-kus-i
内陸・通行する・ところ
(典拠あり、類型あり)
小谷石の南西に位置する岬の名前です。山の峰がそのまま海に落ち込んだような地形で、これは陸路としては使いづらい形ですね……。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、なかなか面白そうな話が記されていました。

 矢越岬(やごしみさき)
 知内町と福島町の境にある崎、この岬を境にして天候が急変するので、昔は船がこの沖を通るときには帆をおろし、岬に向かって矢を射かけたり、酒をあげ拍手をして通ったという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.6-7 より引用)
そして、具体的な「伝説」の例として、以下のようなものが挙げられています。

宝暦年間(一七五一 ─ 一七六三)荒木大学が福島の丘から武運長久を祈って放した矢が、この岬を越えて岩にささったので矢越岬というようになったとか、義経の蝦夷地渡海のとき、霧を吹いて航海の邪魔をする魔神に矢を射かけて追払い無事についた。その時の矢が越した岬であるとか
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.7 より引用)
ただ、最終的には

北海道の各地にあるアイカㇷ゚(矢より上のもの、矢の届かないもの)といって、運だめしに矢を射た地名を訳したものである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.7 より引用)
アイヌの弓占に由来する地名ではないか、と考えたようです。いかにも更科さんの好きそうな話ですよね。

一方で、山田秀三さんの「北海道の地名」には、全く違う解釈が記されていました。

矢越 やごし
 知内町と福島町にまたがる地名。岬名。津軽海峡内の最も目立つ岩岬であった。その前後の海岸は崖続きなので通行できない。海岸を離れて山越えをして,また向こう側の海岸に出なければならなかった。それでヤクシ(ya-kush-i 内陸を・通る・処)と呼ばれ,それが矢越になった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.435 より引用)
ya-kus-i で「内陸・通行する・ところ」と考えたようですが、妥当な解釈でしょうね。この「矢越」の解釈については、かの金田一京助先生も「北奥地名考」の中で触れていました。

矢越は、浜が通れずして止むを得ず「をか」を廻って通る地点に附いてゐる地名で、ヤ(ya) は「をか」、kush は「通る」、kush-i は「通る処」といふことである。渡島の矢越も恵山の崎で、浜が岩磯になり、浜路が此処へ来て、をか廻りして通ってゐる所であり、下北半島の矢越もその通りの所である。
(金田一京助「北奥地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.257 より引用)
確かに下北半島の佐井村にも「矢越」というところがありますね。集落の南西側に「願掛岩」という岩があって、道路はその内陸側を通っています。類似性のありそうな形と言えそうですね。

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