2015年12月4日金曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

日本最長路線バスの旅(番外編)#13 「思い出の勢和村」

 

紀勢本線の普通列車は、終点・多気を目指してひた走ります。川添駅を発車してからは北に向きを変えて、再び東に向きを変えたかと思えば、もう一度ぐるっと左に曲がって栃原駅に到着です。
栃原駅も交換可能駅(すれ違い設備あり)です。現代風の立派な駅舎が格好いいですね。
滝原駅から三瀬谷駅、川添駅と栃原駅が大台町にある駅でした。この 4 駅の駅間は 17.9 km もあったのですが、大台町の町域から見ると「東の狭い部分をかすめているだけ」にしか見えないのが何とも言えませんね。「大台町」と言うだけあって、西端は大台ヶ原山と接しているのです。道路は無いので、大台ヶ原山に行くことはできないのですけどね。

思い出の勢和村

さてさて。大台町を抜けると次はとうとう多気町です。紀勢自動車道の勢和多気 IC の近くにやってきました。「勢和多気 IC」の「勢和」は「勢和村」から来ていますが、「勢和村」と「多気町」が合併して「多気町」になってしまったので、今となっては旧・勢和村の存在を後世に伝える貴重なネーミングになってしまいましたね。

改めて考えてみると、JR の駅名もそんな感じのものが多かったことに気付かされます。旧・三野瀬村にあった「三野瀬駅」や旧・有井村にあった「有井駅」、そして旧・鵜殿村にあった「鵜殿駅」あたりがそうなのですが、鵜殿に限ってはついこの間まで「鵜殿村」だったので、ちょっと別格な感じもします。

「勢和村」も平成の大合併で失われた地名なので、鵜殿村と立場は似ているのですが、大きな違いが一つありました。勢和村には紀勢本線は通っていたものの、残念ながら駅が無かったのです(ちーん)。いやー残念ですね。

目の付け所が重要な写真

栃原駅を出発して 6 分ほどで、次の「佐奈駅」に到着です。もう 19 時を過ぎてしまったので、さすがに日も暮れて外も暗くなってきました。
そして佐奈駅も交換可能駅でした。下り(尾鷲・新宮方面)のホームには大きくは無いものの屋根付きの待合椅子がありますね。椅子を囲う形で風よけがあるのもいいですね。
佐奈駅を出発して、再び北に向きを変えて走っていると、右手に「多気ニュータウン・相可台」という文字が見えてきました。
車内の映り込みが激しいですが、写真のほぼ中央に赤い光が見えているのにお気づきでしょうか? これ、実は「SHARP」のロゴなんですね。シャープの多気工場が見えてきたのでした。
工場の向かいのニュータウンが「相可台」で、相可台の最寄り駅が「相可駅」(おうか──)です。
そして、この写真を見た感じでは相可駅も交換可能に見えますが、実は対向の線路は撤去済みで、現在は 1 線 1 面の構造です。

要するに

多気行きの普通列車は、徐ろに相可駅を発車しました。多気駅の手前の緩やかな左カーブを速度を落としながら走行していましたが、とうとう止まってしまいました。
多気駅は紀勢本線と参宮線との乗換駅です。参宮線はあくまで多気駅から鳥羽駅までの支線という扱いですが、もともとは津と宮川の間を結ぶ「参宮鉄道」として開通して、国有後に多気駅(*)を起点に紀勢東線が建設されたという歴史もあるため、現在も参宮線と紀勢本線の結びつきは結構強いようなのですね。たとえば快速「みえ」なんかも紀勢本線から参宮線に直通していますし。

(*) ちなみに紀勢東線が建設される前は、現在の多気駅は「相可駅」という名前でした。紀勢東線に「相可駅」ができたタイミングで「桜花口駅」に改称され、その後「多気駅」に改称されて現在に至るとのこと。

というわけで御託を並べてしまいましたが、要は「参宮線の通過待ち」で待たされていたのでした。うむ、わずか 8 文字で済む内容だったということですね(汗)。

旅は……まだ……

19 時 21 分、多気行きの 336C は 2 分遅れで終点の多気駅に到着しました。3 時間 25 分のちょっとした小旅行を楽しみました。
旅はまだ……終わりませんよっ!

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事