2016年9月24日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (376) 「主辺山・オコチナイ川・シュッタ川・主待山」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

主辺山(しゅへん──?)

supun(-tapkop)
ウグイ(・円山)


平取町幌毛志の南、長知内からは東に位置する山の名前です。そもそもこの読みで正しいのかも定かでは無いのですが……(汗)。

この山ですが、ちょっと面白いことになっています。明治期の地形図には、貫気別の北に「シュプンタㇷ゚コㇷ゚」という存在が記されています。「主辺山」が「しゅへん──」なのであれば、元はこの「シュプンタㇷ゚コㇷ゚」だった可能性が考えられそうです。

ところが、この考え方には二つほど問題があります。「タㇷ゚コㇷ゚」は「円い山」という意味で、通常は連峰ではなく独立峰に使われます(少なくとも頂上部がこれらの条件に当てはまっている場合が多いです)。確かに貫気別の北にはこの条件に当てはまる山があるのですが、現在は「三角山」という名前で、主辺山からは 2.7 km ほど離れています。

もう一つの重大な問題は、「シュプンタㇷ゚コㇷ゚」の下に「346」と記されていることです。これは標高を意味すると考えられるのですが、このあたりで「標高 346 m」に相当する山と言えば、主辺山の東南東、三角山からは東北東に位置する「主待山」がそれに当たります。結果的に、明治期の地図では現在の「主辺山」と「三角山」「主待山」が混同されていた可能性が高いように思われるわけです。

「シュプンタㇷ゚コㇷ゚」が現在の「三角山」の名前だったと考えられる理由ですが、明治期の地形図に記されていた位置もそうですし、また、三角山の東に「志文川」という川があることも傍証として挙げられるかと思います。この「志文川」ですが、戊午日誌「東部沙留志」には次のように挙げられています。

しばし上りて
     シユブン
左りの方小川。此川には桃花魚(うぐい)多きよりして号しものなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.30 より引用)

はい。「シユブン」は supun で「ウグイ」のことだと考えられます。supun-tapkop であれば「ウグイ・円山」で、つまりは「ウグイ川の円山」と言うことになりますね。

supun は割と地名に良く出て来る魚のひとつで、さっと思い出されるだけでも岩見沢近郊の「志文」や、苫小牧東 FT の埠頭がある「周文」などがありますね。

オコチナイ川

o-u-kot-nay
尻・互い・くっついている・沢


平取町幌毛志の東側で沙流川と合流する南支流の名前です。由来が「落っこちない川」だったらどうしようかと思ったのですが……(汗)。

この川ですが、実はとても良くある名前の川でした。戊午日誌「東部沙留志」には次のようにありました。

凡五六丁過て
     ヲヽコツナイ
右の方小川。其名義は二川一ツに成、犬の交合なしたる如くなる故に号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.64 より引用)

はい。「興部」なんかでもおなじみの o-u-kot-nay だったようです。意味は「尻・互い・くっついている・沢」、つまり本流に合流する直前に他の川とくっついている川という意味ですね。

シュッタ川

siw-ta-sarki(-us-i)?
苦い・採る・葦(・多くある・ところ)


平取町振内(振内町)の対岸を南から北に流れる、沙流川の支流の名前です。では早速、永田地名解を見てみましょう。

Shū ta  シユータ  鍋ヲ作ル 「シユツタ」ト發音ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.232 より引用)

ふーむ。確かに shu-ta で「鍋・作る」と解釈できなくは無い(実際には ta は「掘る」とか「汲む」とか「採る」と言った意味なので、「作る」というのは少々解釈に無理があります)ですが、まぁ、その……「ほんまかいな」とツッコミを入れたくなる地名解ですよね。

戊午日誌「東部沙留志」には次のように記されていました。

     シユツタ
右の方平場の中に小川有る也。本名シユツタシヤリキと云よし也。其名義は姥が此処え来りて死せしと云儀のよし也。シユツタはフツの延て有る語かと思はる。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.64 より引用)

またしても「なんじゃこりゃああ®」と言いたくなるような解が出てきました。えっと、sut には「祖母」と言った意味があるようです。また sarak-kamuy で「水死した人」という意味があるそうですから、sut-ta-sarak-i あたりで「祖母・ここ・水死・ところ」と解釈したのでしょうか。

……実は、意外と「祖母が水死したところ」もアリかな、と思っていたりもするのですが、もう少し一般的にありそうな解を考えてみましょうか。siw-ni で「苦い・木」という単語があるのですが、この木の皮を煎じると虫よけになったり胃薬に使ったりしていたそうです。

また、siw-kina であれば「苦い・草」で「エゾニュウ」という多年草を意味します(エゾニュウは茎の部分を食用にしていたようです)。これらのどちらかを ta(つまり「切る」あるいは「採る」)する場所だったのではないかな、と考えてみました。siw-ni-ta-us-i(苦い・木・切る・いつもする・ところ)あるいは siw-kina-ta-us-i(苦い・草・採る・いつもする・ところ)から -us-i が落とされ、そして ni あるいは kina が抜け落ちて siw-ta になったんじゃないか、という推測です。

最大の問題は、これだと戊午日誌にある「シユツタシヤリキ」が良くわからないことになる、というところですね。「シヤリキ」が sarki であれば「葦」でしょうから、siw-ta-sarki(-us-i) で「苦い・採る・葦(・多くある・ところ)」だったと考えれば、なんとか意味も通りそうな気もしますが……。

主待山(しゅったい──?)

siw-ta?
苦い・採る


問題の「シュッタ川」を遡ると、やがて問題の「主待山」にたどり着きます(問題だらけ)。「主待山」の標高は 345.0 m とのことですから、明治期の地形図にある「シュプンタㇷ゚コㇷ゚」とほぼ一致します。位置も「シュプンタㇷ゚コㇷ゚」からそれほどズレてはいないのですが、山容はやや南北に長いので、あまり tapkop らしくは無いですね。

「主待山」を「しゅったい──」と読むかどうかの確証が持てない状態ですが、読みがほぼ合っているのであれば、「シュッタ川」と由来を同じくする可能性が高いと思います。ということで、siw-ta で「苦い・採る」なんじゃないかなぁと思っていますが、いかがでしょうか。

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