2022年7月9日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (950) 「オンネベツ川・シャリキ川・オペケプ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オンネベツ川

onne-pet
大きな(親である)・川
(典拠あり、類型多数)
「オンネベツ川」は「オシンコシンの滝」の 3 km ほど南を流れる川で、支流を遡ると羅臼町との境界に「遠音別おんねべつ岳」が聳えています。また斜里町の東北部は、1915 年に合併するまでは「遠音別村」でした(現在は「斜里町大字遠音別村」)。

東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲン子ヘツ」という名前の川が描かれていました。支流の名前も細かく描かれていますが、「ウヌンコトイ」は金山川の支流である「ウヌコイ川」のことである可能性もあり、注意が必要でしょうか。

「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ポロナイ オンネナイ。オンネペッ。「ポロ」も「オンネ」も親の意,「ペッ」も「ナイ」も川の義。前項の子川に対してこれを親川と云ったので,古いアイヌの考え方にもとづいた呼称である。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.262 より引用)
古い地図をいくつか確認した限りでは、どれも「オン子ペツ」や「遠音別川」となっていて「ポロナイ」とするものは見当たらないのですが、明治時代の地形図で「オン子ペツ」の南西隣の川を「ポンペツ」としたものがありました。「斜里郡内アイヌ語地名解」にも「ポロナイ」の直前に「ポンペッ」の項があり、次のように記されていました。

 ポンペッ 「ポン」(子である),「ペッ」(川)。ポンナイとも云う。「ポン」(子である),「ナイ」(川)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.262 より引用)
この「ポンペッ」は「東西蝦夷山川地理取調図」や永田地名解などには見当たらないのですが、戊午日誌「西部志礼登古誌」には「ヲン子ベツ」の次の項として「ホロナイ  マクヲイ」と記されていました。「ホロナイ」と「マクヲイ」の間には何故か改行が無いのですが、これは両者が同一のものを指しているという意味なんでしょうか……?

このあたりで「ホロベツ」と言えば、ウトロの北にも「ホロベツ川」が流れています。どちらもそこそこ大きな川なので、両者の混同を避けるために「オンネベツ」と呼ぶようにした……とかかもしれませんね。onne-pet で「大きな(親である)・川」と見て良いかと思われます。

シャリキ川

sarki(-us-i)
葦(・多くある・もの)
(典拠あり、類型あり)
「オンネベツ川」の北東を流れる川の名前で、国土数値情報では「シリキ川」となっているようです(今回は地理院地図の表記に合わせています)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「サルクシ」という地名(川名?)が描かれています。また戊午日誌「西部志礼登古誌」にも次のように記されていました。

同じく崖下しばし過ぎて凡十二三丁
     サルクシ
小川有。本名シヤリクシと云よし。此川上に小沼有。其沼の辺湿沢にしててき多きによって号るとかや。シヤリは蘆荻の儀、クシは在ると云訳なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.67-68 より引用)
あー。なんとなく見えてきましたが、答え合わせを兼ねて「斜里郡内アイヌ語地名解」を見ておきましょうか。

 オサルクシ シャリキ川。「オ・サルキ・ウㇱ・イ」(o-sarki-us-i 川口に・葦• 生い茂つている・所)。モセウシとも云う。「モセ・ウㇱ・イ」(mose-us-i いつもそこで葦を刈る所)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.262 より引用)※ 原文ママ
おや、また微妙に新しい地名が……。明治時代の地形図にも「サリキウシ」とあり、頭に「オ」がついた形は他では見かけないのですが……。「モセウシ」という別名があるという情報も他では確認できないものです。

ここまでの情報を見る限り、「シャリキ川」は sarki(-us-i) で「葦(・多くある・もの)'' と見て良さそうですね。

オペケプ川

o-pekep?
河口・垢取り
(? = 典拠あり、類型未確認)
「オシンコシンの滝」と「シャリキ川」の中間あたりを流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲヘケフ」とあり、明治時代の地形図には「オペカプ」または「オペケㇷ゚」と描かれていました。

戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

また五六丁過て
     ヲヘケプ
川有。昔し判官様此処にてワツカクと申、船の垢水取を流し玉ひしによつて号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.67 より引用)
「ここで義経が舟の『垢水取』を落としたので」という伝承のようですが、あからさまに地名説話っぽい感じですね……。「垢水取」というものを知らなかったのですが、どうやら塵取りのような形をしたもので、舟の中に染み出した水を掻き出すためのもののようです(参考)。

永田地名解には次のように記されていました。

Opekep   オペケㇷ゚   舟中ノ水ヲ掬ヒシ處 「ペケプ」ハ水取アカトリノ事ナリ岩ノ形似ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.490 より引用)
おや、これは戊午日誌の内容がほぼそのまま踏襲されていますね。「ペケプ」という語は記憶に無く、手元の辞書類にも見当たらない……と思ったのですが、「地名アイヌ語小辞典」にしっかりと記されていました(!)。

pé-ke-p, -i ぺケㇷ゚ 舟のアカをかきだす道具。=wakka-ke-p. ☞これが北海道の漁夫の方言にとりこまれて「ヘイゲ」「セイゲ」などとなっている。[水・かく・もの]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.87 より引用)
いかにも「取ってつけたようなお話」が続いていますが、知里さんがこの川名についてどう考えていたかと言うと……

 オペケㇷ゚「オ」(そこで),「ぺ」(舟にしみこむ水,いわゆるアカ), 「ケ」(かき出した),プ(所)。アイヌの祖神サマイクルがここで難船したという伝説がある。またその時アカをくみ出したアカトリがそのまま岩になつてここに残つているという。またその時アカトリでかき出した水が今オペケプ川になつたのだという。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.262 より引用)※ 原文ママ
なんと、知里さんも地名説話を肯定していましたか。「義経」が「サマイクル」に化けていますが、「サマイクル」の行跡が「義経公」のものに置き換わるケースがよく見られるので、これもその一例でしょうか。

本当に「垢取り」なのかも

この手の伝承にはどうしても疑いの目を向けてしまうのですが、この「オペケプ川」については他に適切な解釈が思いつかないのも事実です。o-peker-p で「河口・明るい・もの」、すなわち「河口に木の無いもの(川)」と考えることは可能かもしれませんが……。

ただ「オペケプ川」の河口部が「塵取り」のような形をしている……と言うのも事実なので、これは本当に「垢取り・川」なのかもしれないなぁ……と思えてきました。o-pekep で「河口・垢取り」と考えて良いのではないでしょうか(後ろに -pet あたりがついていたのかもしれません)。

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