2022年7月17日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (953) 「ホロベツ川・プユニ岬・チカポイ岬・フレペの滝」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ホロベツ川

poro-pet
大きな・川
(典拠あり、類型多数)
ウトロの市街地から北東に向かうと「幌別橋」のあたりから上り坂になりますが、「幌別橋」の下を「ホロベツ川」が流れています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホロヘツ」という川が描かれていて、その支流として「ホンホロヘツ」「アツホロヘツ」「クウナイ」「シノマンホロヘツ」などが描かれています。

「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ポロ・ペッ(poro-pet) ポロ(親の,大きい),ペッ(川)。「親川」「大川」。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.264 より引用)
はい。poro-pet で「大きな・川」と見て間違い無さそうです。「オンネベツ川」も「ポロペツ」と呼ぶ流儀があったようですが、「ホロベツ川」と名前が被ったので「オンネベツ川」と呼ばれるようになった……のかもしれません。

プユニ岬

puy-un-i?
穴・ある・もの(ところ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
国道 334 号の「幌別橋」の北、「知床自然センター」の西北西にある岬の名前です。地理院地図に記載がありますが、明治時代の地形図や「陸軍図」にはそれらしい岬の名前は見当たりません。

ただ「東西蝦夷山川地理取調図」には「フユニ」という名前の断崖が描かれていました。また戊午日誌「西部志礼登古誌」にも次のように記されていました。

並びて
     フ ユ ニ
此処も大岩岬峨々としたり、本名はフウニなるよし。フウはくら也、ニは木なり。庫の如き木むかし此岬の上に有るが故に号る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.62 より引用)
pu-ni で「庫・木」だと言うのですが、これだと「プニ」じゃないか……とツッコミを入れたくなりますね。幸いなことに(?)永田地名解には異なる解が記されていました。

Puyuni   プユニ   穴アル處 「フイウニ」ノ急言今ハ崩レテ穴ナシ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.491 より引用)
おっ、これは……! 知里さんが名著「アイヌ語入門」で「アイヌ語地名研究者のアンタイのために,何かうまいテがないものか」として次のように記していたのが思い出されますね。

その一つは,「むかし,そこの所にそういう形の岩があったからそういう名がついたのだ」とか,「そこの崖にそういう形の文様がついていたのでそう名づけられたのだ」とか云つて体をかわすことである。しかし,この際ゼッタイ忘れてならないことが一つある。さきに,チパシリの語原説の中にもあったように,「但シ,コノ岩,崩壊シテ今ハナシ」というような但し書をつけておいて,あらかじめ証拠の方は隠滅しておくのである。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.23 より引用)※ 原文ママ
「プユニ」についても「今は崩れて穴なし」と、見事に証拠隠滅を図っていますね。

さて、このように永田地名解の「証拠隠滅」ぶりを批判していた知里さんですが、この「プユニ岬」について「斜里郡内アイヌ語地名解」では次のように記していました。

 プユニ(puy-un-i) プィ(穴),ウン(ある),イ(穴)。この穴,今は崩れて跡形も無い(永田)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.264 より引用)
……そう来ましたか。「いや、永田方正がそう書いていたんで」という見事なリスクヘッジですね。

実際のところ、「プユニ」を puy-un-i で「穴・ある・もの(ところ)」と読むのは至極妥当に思えます。注意すべき点があるとすれば、puy は「穴」以外にも「エゾノリュウキンカ(の根)」を意味する場合があるということでしょうか。エゾノリュウキンカの球根を採取する場所として puy-un-i と呼ぶことも(理屈の上では)考えられるので……。

チカポイ岬

chikap-o-i
鳥・多い・ところ
(典拠あり、類型あり)
「プユニ岬」の北東に位置する岬の名前です。この岬も「プユニ岬」と同様に、地理院地図には記載がありますが「陸軍図」などには見当たりません。

「東西蝦夷山川地理取調図」にもそれらしき名前が見当たりませんが、戊午日誌「西部志礼登古誌」に次のような記述がありました。

又並びて
     チカポイ
此処少しの湾に成る也。過てまた大岩面此処に岩穴多し。種々の水鳥巣を作り居たり。よつて号るなり。恐らくはチカフホロなるかと思ふ。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.61 より引用)※ 原文ママ
どうやら「チカポイ」を岬の東の湾の名前と認識していたようですね。永田地名解にも次のように記されていました。

Chikapoi   チカポイ   鳥多キ處 諸鳥來リテ棲止スル處ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.491 より引用)
chikap-o-i で「鳥・多い・ところ」と考えて良さそうですね。アイヌ語の地名では岬のことを etunotsapa などの接尾語(いずれも本来は「鼻」や「頭」などを意味する)をつけて表現することが多いのですが、「プユニ」や「チカポイ」ではそれらしい接尾語が見当たらないので、本来は岬の名前では無かったものを借用したのかもしれません。

フレペの滝

hure-pe
赤い・水
(典拠あり、類型あり)
「チカポイ岬」の東隣に位置する滝の名前です。この滝も「陸軍図」などの古い地図には見当たりませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「フレヘ」という名前の断崖?が描かれていました。

戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

並びて
     フ レ ベ
此処また前に云如く岩間より水滴り出る処也。フレは赤き儀ベは恐らくペの訛にて、ペは水也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.61 より引用)
hure-pe で「赤い・水」ではないかとのこと。この滝は鉄分の多い水が流れ落ちるので水が赤く見える……だったでしょうか(現地で実見した筈なのですが)。

地理院地図によると、「フレペの滝」の西に「チカポイ岬」があり、その南西に「プユニ岬」があることになっていますが、戊午日誌「西部志礼登古誌」では「チカポイ」(湾)、「フレベ」(滝)、「フユニ」(岬)の順で記されていました。やはり「チカポイ」は「フレペの滝」が注ぐ湾の名前だったと見て良さそうですね。

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