2022年11月3日木曜日

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「日本奥地紀行」を読む (140) 久保田(秋田市) (1878/7/24)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十三信」(初版では「第二十八信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

経済的な旅行

イザベラの通訳にして、極めて優秀なアシスタントでもある伊藤の話題が続きます。

 当然ながら彼は大都会が好きで、私が好きな「未踏の地」を選ぼうとするのを避けさせようとする。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.265 より引用)
まぁ、横浜での近代的な暮らしと比べると、東北旅行は苦痛を伴うものだったことは容易に想像がつきます。「未踏の地」はカギカッコつきですが、原文では "unbeaten tracks" となっていました。つまり「日本奥地紀行」の原題である "Unbeaten Tracks in Japan" を意識した表現ということになりますね。

しかし、私の決意が動かないと知ると、議論の最後に、いつも同じ文句を言う。「もちろん、あなたのお好きなように。どうせ私にとっては同じことです」。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.265 より引用)
伊藤にしてみればイザベラは「雇用主」なので、どう考えても勝ち目はないと思われるのですが、それでも果敢にイザベラを説得しようとするあたりに若さが感じられますね。そしてあっさり玉砕して拗ねるあたりも可愛げがあると言えそうでしょうか。

私は彼が少しでも私を欺すとは思わない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.265 より引用)
ん……? イザベラは以前に「伊藤が上前をはねているのは間違いない」と断言していましたが、これは一体……? 原文では I do not think he cheats me to any extent. とあるので、高梨さんの訳の通りですよね。この後に支払いの話が続くのでお金の話だと思ったのですが、もしかして:ミスリーディング?

食事、宿泊、旅行の費用は二人で一日に約六シリング六ペンスである。滞留するときは約二シリング六ペンスである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.265 より引用)
イギリスの補助通貨である「シリング」は 1971 年に廃止されたそうですが、1 ポンド=20 シリング=240 ペンスとのことなので、6 シリング 6 ペンスは 0.3 ポンド + 0.025 ポンド = 0.325 ポンドですね。現在のレートでは約 54.62 円らしいですが、当時の物価を考えると明らかに高すぎる気がするので、ちょっと参考にならないですね。

イザベラは「経済的な旅行」の具体例を次のように記しています。

なんと食事と宿泊は、茶、米飯、卵、水を入れた銅たらい行灯アンドン、家具のない部屋だけである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.265 より引用)
食事が *ささやか* なのはさておき、部屋に行灯だけというのは現代の旅館でもあり得ない話では無いような気も……(まぁテレビと座卓はありそうな気もしますが)。

イザベラは事あるごとに「肉不足」を訴えていますが、これは当時の日本において「畜産」が根付いていなかった……と見るべきでしょうか(「肉食」に対する忌避感もあったでしょうが)。

どの村にも鶏はたくさんいるが、それを殺すというと、人々はいくらお金を出しても売ってくれない。しかし卵を生ませるために飼うのであれば、喜んで売ってくれるのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.265-266 より引用)
これも興味深いエピソードですね。「屠殺に対する抵抗感」のあらわれなんでしょうか。あるいは「昔の人はものを大事にする」の典型だったんでしょうか……?

伊藤は毎晩のように、私のために肉食品を手に入れようとして失敗した話をしては私を楽しませてくれる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.266 より引用)
道中の出来事を見る限り、イザベラの「肉不足」は健康を脅かすレベルにすら思えるので、伊藤も全力で肉の調達に勤しんでいたことが窺えますね。気になるのは伊藤が「卵を生ませるため」と偽って鶏を入手していたかどうかですが……。

またも日本の駄馬

伊藤の話をしていた筈が、話題はいつの間にかイザベラの「ぼやき節」に移り……

 今度の旅行は、今までのうちで最も「横木に載せて運ばれる」(一種の私刑)のに近いものである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.266 より引用)
「横木に載せて運ばれる」は、原文では "a ride on a rail" となっていました。Wikipedia に "Riding a rail" という項目があり、あらましを知ることができます。

イザベラは、ここまで 76 頭の馬に「乗った」と言うより「腰を下ろしてきた」として、それらの馬の特徴を次のように記していました。

その馬は、みな蹟く。腰部の方が肩部よりも高い馬がいる。だから、乗っている人は前の方にずれてゆく。しかも背骨が隆起している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.266 より引用)
「駄馬」ということは荷役用の馬なので、どうしても後ろ足を中心に筋肉がついたり骨格が強化されたりするのでしょうか……?

後脚は、先端が細くなって、まくれ上がり、子馬のときから重い荷物を運ぶので、後脚がすべて外側に向いている。同じ原因で、足つきもよろよろ歩きだし、しかも馬沓は具合が悪いので、ますます歩きぶりがひどくなる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.266 より引用)
あー。成長期から荷物運びをさせられて、やはり骨格に悪い影響を与えているような感じですね。そもそもが人を鞍上に乗せるための馬では無いのでしょうから、イザベラの非難も若干ピント外れのような感もありますが……。

馬小屋で馬の位置は逆で、尾があるべきところで頭が繋がれている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.266 より引用)
これは……馬が壁に向かって繋がれている、ということでしょうか。

日本のこの地方で用いられる馬は、十五円から三十円の価である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.266 より引用)
今の物価で考えると、いくら位なんでしょうね。チラっとググって見かけた昔の「1円」は今のいくら?1円から見る貨幣価値・今昔物語という Web サイトによると、明治 34 年の「1 円」は今の「1,490 円」の価値があるとのこと。

となると当時の「30 円」は現在の「44,700 円」程度ということになりますが、これでも当時の初任給の 3 ヶ月分に相当したのだとか。当時の「15 円から 30 円」という価格帯は……今の「軽トラの届出済未使用車」くらいでしょうか?

イザベラがここまで書いていたことを考えると、当時の駄馬は死ぬまでこき使われていたようにも見えますが、実際には真逆だったようで……

馬に荷物をのせすぎたり、虐待するのを見たことがない。馬は、蹴られることも、打たれることもない。荒々しい声でおどされることもない。馬が死ぬと、りっぱに葬られ、その墓の上に墓石が置かれる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.266 より引用)
駄馬のお墓があったというのは意外ですね。ばんえい競馬の騎手が馬の頭に蹴りを入れて物議を醸したことがありましたが、当時の駄馬はかなり大切にされていたことが窺えます。当時の駄馬は現代の軽トラだと考えると、色々と合点がいきそうな気もしますね。

疲れきった馬の死期を早めてやった方がよさそうなものだが、ここは主として仏教を信ずる地方であり、動物の生命を奪うことに対する反発は非常に強い。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.266-267 より引用)
なるほど、家畜の屠殺に対する嫌悪感も仏教の「不殺生」の教えの影響を受けたものだった可能性もありますね。

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