2023年8月15日火曜日

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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (84) 「通票式閉そく装置コーナー」

 

「別海町鉄道記念館」の話題を続けます。建物の右側に「想い出の駅コーナー」と「事務室」「収納庫」あり、左側に様々な展示コーナーが並んでいます。
左側の壁のど真ん中には「さよなら列車」のヘッドマークが飾られていますが、「ブルートレインでさよなら標津線の旅」なんて企画もあったんですね。JR 北海道もなかなか粋な計らいを……!

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「さよなら列車」のヘッドマークの左は「パネル展示コーナー」と銘打たれたもので、「開拓と災害」「変遷」「華やかなりし頃」「廃止への道程」「平成元年(1989)4 月 29 日」といったパネルが並びます。
パネルの左には「だるまストーブ」が置かれていますが、実はその更に左にもパネルが 3 枚ほどあったようで、おそらく一番左にあったと思しき「標津線の夜明け」は撮影していたものの、残り 2 枚を撮影するのを失念してしまいました(涙)。

開拓と災害

こちらは「開拓と災害」のパネルです。余白が不足していたので右上を AI による生成塗りつぶしで補っています。
(右側上部で Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用)
「災害」と題されたスペースには 3 枚の写真とその説明が記されていますが、昭和 41 年のこの写真は……(汗)。もしかして、営業運転中に立ち往生した列車の写真だったりします……?(立ち往生したあとに雪が積もったのだと信じたいところですが)

変遷

こちらは「変遷」と題されたパネルです。この写真も上部左側の余白が僅かに不足していたので、生成塗りつぶしで補っています。
(上部左側で Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用)
興味深いのがこの「西春別駅年度別営業成績」のグラフで、貨物と小荷物はどちらも 1950 年代にピークを迎えているのに対し、乗降客数は 1960 年代にピークを迎えています。ちょうどベビーブーマーが高校生になる時期と一致していて、今にして思えば鉄道の利用減退の兆候を覆い隠していたようにも見えなくもない……でしょうか。
ただ実際にはモータリゼーションの進展とベビーブーマーの就職(おそらく人口流出もあったでしょう)が重なってしまい、1968 年(昭和 43)からの右肩下がりに繋がったのかもしれません。

失われたピントを求めて

「さよなら列車」のヘッドマークの右手前には「想い出の品々展示コーナー」があります。それはそうと、どこにピントが合っているのか良くわからない写真ですね……(すいません)。
ヘッドマークの右隣には「線路に関する道具コーナー」が設けられています。この手の展示もあちこちの鉄道記念館で目にするものですが、これはなかなかマニアックなチョイスなのでは……?

西春別駅と西別駅

「保線の道具」こと「線路に関する道具コーナー」の横には「駅に関する器具コーナー」が。歴代駅長の名前が並んでいますが……
この札、一番左に「西別駅開駅」とあります。現在地が「西春別駅跡」なので紛らわしいのですが、この歴代駅長は 1936 年(昭和 11)に開業した「西春別駅」のものではなく、1933 年(昭和 8)に「西別駅」として開業し、1976 年(昭和 51)に「別海駅」に名を改めた駅のものです。

通票式閉そく装置コーナー

「別海駅」歴代駅長の名前が並ぶ「駅に関する器具コーナー」の隣には、これまた謎な器具が置かれた一角があります。
この謎な一角は「通票式閉そく装置コーナー」とのこと。単線区間では列車が正面衝突することが無いように、区間内に 1 列車しか進入しないように「閉塞」を行うのですが、「通票」を同時に一枚しか動かせないように機械的に担保することで「列車閉塞」が行われていました。
西春別と計根別の間の「閉塞区間」の「通票」は、一枚も「通票閉塞機」から取り出されていない場合のみ、西春別、または計根別のどちらかの「通票閉塞機」から取り出すことができた……という仕組みですね。

仮に「通票閉塞機」から「通票」が取り出せない場合は、自駅か隣駅のどちらかで「通票」が取り出し済みである……と理解すべきです。ただ「通票閉塞機」も機械なので「通票」が引っかかって取り出せなくなることもあり、力技で「通票」を引っこ抜くことが常態化した結果、誤って(本来存在してはならない)二枚目の通票を引っこ抜いてしまい、列車が正面衝突してしまったというケースもあったのだとか。

信号てこのコーナー

それにしても「通票式閉そく標識コーナー」というネーミングは個人的にすっごくツボなんですが、閉塞機の右隣が「想い出の駅コーナー」で、その更に右隣にはこんなコーナーも。
なんと「信号てこのコーナー」です(!)。俗に「ポイント」とも呼ばれ、線路の分岐点において列車の進路を決める「転轍器」のことですが、西春別駅の転轍器の「信号てこ」がそのまま保存されている(しかも詳細な解説つき)……ということですよね?

案内窓口

最初にも記しましたが、「別海町鉄道記念館」の右側には「想い出の駅コーナー」と「事務室」「収納庫」などがあります。「想い出の駅コーナー」の向かいには事務室があるのですが、事務室にはなんと「案内窓口」が設けられています。これ、どう見ても駅の出札窓口をモチーフにしたものですよね。
「案内窓口」のカウンター横には「サハリン鉄道事情」というパネルが飾られていました。JR 標津線が廃止された頃……別の言い方をすれば「ソ連」が崩壊する直前……のサハリンの鉄道事情が紹介されていました。
【おことわり】本記事内の写真は以下の目的のために Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用しているものがあります:画像周辺部の補填(別途記載)

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