2023年10月14日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1079) 「初無敵」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

初無敵(そむてき)

so-un-tuk?
水中のかくれ岩・そこに入る(ある)・小山
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
これまた色々と謎の多そうな地名が続きます。初無敵そむてきは入境学の西の海岸部(崖)の地名で、「釧路町の難読地名コレクション」その 7 ……となりますね(#1「重蘭窮」、#2「知方学」、#3「老者舞」、#4「分遣瀬」、#5「賤夫向」、#6「入境学」)。

釧路から厚岸に移動する場合、初無敵までは海沿いを移動し、初無敵から仙鳳趾(現在の「古番屋」)までは山道をショートカットする……というのが定番のルートでした(仙鳳趾から厚岸までは舟で移動)。陸軍図には初無敵から古番屋まで点線で道が描かれていますが、現在もほぼ同じルートが道路として健在です。

ソンテキ、トンテキ、初無敵

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ソンテキ」と描かれています。初無敵は上記のように「交通の要衝」だったためか記録も比較的豊富です。ということで表にまとめてみました。

大日本沿海輿地図 (1821) シヨンテケ
東蝦夷地名考 (1808) ソントキソンは損
蝦夷地名考幷里程記 (1824) ソンデキシヨーウンデキの略語
加賀家文書「クスリ地名解」(1832) ソンテキションヌ・テキ 実・手
初航蝦夷日誌 (1850) ソンテキ
竹四郎廻浦日記 (1856) ソンテキ
東西蝦夷山川地理取調図ソンテキ
午手控 (1858) シヨンテキ*1
東蝦夷日誌 (1863-1867) ソンテキ*2
永田地名解 (1891) トンテキ海沼
改正北海道全図 (1887) シユウシ?
北海道地形図 (1896) トンテキ
陸軍図初無敵(ソムテキ)
地理院地図初無敵(そむてき)

「初無敵」は「トンテキ」と呼ぶ流儀もある……と思っていたのですが、これを見る限りでは永田地名解がやらかした可能性もゼロでは無さそうですね……(汗)。

秦檍麻呂の「東蝦夷地名考」は「ソンは則、損字の義に用ゆ」としつつ「名義解しかたし」と記していました。

「滝のある」説

上原熊次郎の「蝦夷地名考幷里程記」には次のように記されていました。

ソンデキ                休所センポウジ江二里余
 夷語シヨーウンデキの略語なり。則、瀧の有ると譯す。扨、シヨーとは瀧の事。ウンは生す、デキは成すの訓にて、此所滝の数ヶ所ある故、此名ありといふ。
(上原熊次郎「蝦夷地名考幷里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.64 より引用)

「本当の手」説

加賀家文書「クスリ地名解」には次のように記されていました。

ソンテキ シヨンヌ・テキ 実・手
  昔アトヱカ蝦夷人、センホウシ春漁業に参候て、帰村の節同所へ参候はゞ、我村の海を見て安心気色も宜敷、誠に我辺成と悦しを名附由。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.262 より引用)
「手控 午外第一番」には次のように記されていました(上表の *1 に相当)。

シヨンテキ
 むかしクスリ土人油を買にクナシリ、エトロフ等へ行、大時化に合て幾月も不帰居りし(かえれず漂いおり)に、其船都合よく此処へ着たりし時、本の我が処へ来りしと云て悦びしを云よし
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.341 より引用)
あれ……? 詳細はかなり異なるとは言え、他所から来た人が帰る途中に海を見て喜んだ、というプロットは共通しているんですよね。「クスリ地名解」と「午手控」には 30 年ほどの差があるので、少なくともこういった話がしばらく伝承されていた、と言えそうです。

「東蝦夷日誌」には次のように記されていました(上表の *2 に相当)。

また小舟にて棹行に、(八丁十二間)ソンテキ〔初無敵〕(岩岬)名義、ショウは瀧なり、テキは有ると云儀也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.319 より引用)

ソンテキ(岩岬)はどこにある?

地理院地図では「初無敵」は入境学の西の絶壁が続く海岸を指していますが、「東蝦夷日誌」は「岩岬」としていますね。実は続きがありまして……

また土人等エトロフ〔擇捉〕・クナジリ〔國後〕え油を買に行、數月洋中に漂ひ居、やうやう歸りてここに着し、先平地に歸りしとて悦びたる由を以てなづくるとかや。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.319 より引用)
これは「午手控」のリライト版っぽい感じですね。

「東蝦夷日誌」でちょっと気になるのが、初無敵を「岩岬」としている点です。幸いなことに里程が記録されているので、表にまとめてみましょうか。

ヲエチヤンマフ(岩)老者舞
三丁四十間約 400 m
チタウケナイ(小瀧)ヲタモエ
七丁四十間約 836 m
ヘチヤラセエト(小岬)岸は岩磯分遣瀬
十丁十間約 1,109 m
セフヌンケプ(小岬)上る、瀧有賤夫向
七丁五十間約 854 m
ソンテキ
八丁十二間約 894 m

あれれ? この計算だと「ソンテキ(岩岬)」は賤夫向と入境学の間(入境学の東)になっちゃいますね……?

ということで逆方向から攻めてみたいのですが、起点をどこに置くかが少々悩みどころです。試行錯誤の結果ですが、「十町瀬」を起点にするのが良さそうに思えてきました。

トマチエナイ(小澤)十町瀬
濱に出て
ヲヤウシワタラ(大岩)タコ岩か?
此上を越て
ボントマリ(小沼)ここえ下る沙原
十三丁十五間約 1,445 m
ウシユンクユシ(岩岬)本名ヘシウトウリシ
七丁廿間約 800 m
アトエカ(小川)此岬に大崩岩有跡永賀
四丁廿間約 473 m
ワツカナイ(小川)
二丁約 218 m
フイマアトエカ(岩穴)冬窓床
八丁廿間約 909 m
ブイマユカ(岬)
ホンソウ(瀧)
十三丁廿間約 1,455 m
リトイ平(平)
九折つづらおりを上りて凡七八丁8 町は約 873 m
ホントウ(小澗)*3

何故「十町瀬」を起点にしたのか……という話ですが、東蝦夷日誌の「ボントマリ」と「浦雲泊」の位置が合わなかったんですね。ただ「十町瀬」を起点にすると「アトエカ」と「跡永賀」の位置が合うっぽいので、「十町瀬または跡永賀を起点」としてみました。

実は「アトエカ」から先にも問題がありまして、この計算通りだと「ブイマユカ(岬)」の位置が合わないのですね(冬窓床から 300 m 弱のところに岬があり、「八丁廿間」は明らかに過剰)。ただ一つ言えることは、現在の地理院地図で「冬窓床」の南東にある「ローソク岩」の近くの岬は「ソンテキ(岩岬)」では無さそう、ということです。

「北海道地形図」は「ニオッケオマイ」(=入境学)の西隣に「トンテキ」と描いていました。北海測量舎の地形図も同様で、より具体的には入境学の西の丸い形をした岬を「トンテキ」と描いていました。

この位置は「東蝦夷日誌」の里程とも矛盾のないものなので、どうやら「ソンテキ(岩岬)」は入境学のすぐ西の岬のことだと見て良さそうな感じです。つまり、地理院地図が冬窓床ぶゆま入境学にこまないの間の岸壁に「初無敵そむてき」と描いているのは、少し位置がズレている……と考えられそうです。

そもそも「ソンテキ(岩岬)」と書いてある時点で、地理院地図が断崖の地名として「初無敵」としたのは明白に間違いなのでは……と言われたら「そうですね」と答えるしか無いのですが。

ソンテキに沼はあったか

上表の *3 に相当する内容ですが、「東蝦夷日誌」には次のようにも記されていました。

九折つづらおりを上りて凡七八丁、平道、左りハゲ山、右七八丁に海を眺め、其下にホントウ(小澗)と云沼有。土人神靈有よしにて尊敬し、是をまたソンテキとも云。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.318 より引用)
これまた謎めいた記述ですが、「ホントウ」(pon-to か)という「沼」があり、「是をまたソンテキとも云」とあります。この「ソンテキ」は「沼」のことではなく「神霊」のことだと思われるのですが、重要なのは「沼」があるとした点で、確かに入境学の西(岬の北)には小さな沼が現存するっぽいんですよね。

「沼であるような」説

更科さんの「アイヌ語地名解」(1982) には次のように記されていました。

 初無敵(そむてき)
 釧路町海岸。とてもまともには読むことができない当て字である。アイヌ語の地名のあったのは一㌔以上東の入境学の付近で、東に山をひかえた静かな浦。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.267-268 より引用)
アイヌ語地名の「ソンテキ」が「入境学付近」という指摘はその通りで、ここまでさんざん字数を割いて確認してきた内容ですね。

アイヌ語のト・ウン・テク(沼であるような)で、海の静かなところのことである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.268 より引用)
これなんですが、問題は -tek で、知里さんの「地名アイヌ語小辞典」(1956) には次のように記されています。

-tek テㇰ 名詞或は名詞根について‘……状を呈する’の意の形容詞を造る。kap-~ [皮・みたいになる] 平べたくなる。kuttek [<kur-tek 影・みたいである] 黒々としている。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.128-129 より引用)
ポイントは「名詞あるいは名詞根について」というところで、「沼のような」であれば to-tek となっても良さそうなものなのですね。更科さんはその点なかなか巧妙で、「沼のような」ではなく「沼であるような」としていますが……。

「突起」あるいは「小山」説

どうしても「──テキ」というカナ表記に引きずられてしまうのですが、「岩岬」であることを考慮すると tuk で「突起」あるいは「小山」と考えたいところです(tu-tuk で「出崎」を意味するので、その略語、あるいは転訛の可能性もあるかも)。to-un-tuk であれば「沼・に入る・小山」となりますし、to-un-{tu-tuk} であれば「沼・に入る・{出崎}」となるでしょうか。

ただ「初無敵」を「トンテキ」としたのは永田方正の新案の可能性も否定できません。「ソンテキ」であれば so-un-tuk で「滝・に入る・小山」となりますが、入境学を流れる川(地理院地図には川として描かれず)を「滝」と見立てることができてしまいますね。

「水中のかくれ岩に向かう小山」説

「釧路町史」には次のように記されていました(おそらく「昆布森沿岸の地名考」がネタ元です)。

 ソンテキ(初無敵) 沼のような静かな浦
(釧路町史編集委員会「釧路町史」釧路町役場 p.126 より引用)
あー、更科さんの説ですね……。

古文書には、ションテキ・ションキチなどと出ており、発音が正しく判明しない。仮にソンティクとすると、ソ(水中のかくれ岩)、テイク(……状態を表わす)となり(海中に岩が多い所となる)アイヌ語の「ト(沼)ウン(そこにある)テク(状態を呈する)から、(沼であるような)」でとなる。
(釧路町史編集委員会「釧路町史」釧路町役場 p.126 より引用)※ 原文ママ
ポイントは前半部分の「ソ(水中のかくれ岩)」で、そうか、その解釈があったな……と思わせます。知里さんの「小辞典」にも次のように記されていました。

so そ(そー) ①水中のかくれ岩。②滝。③ゆか(床)。④めん(面); 表面一帯。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.125 より引用)
つまり、so-un-tuk であれば「水中のかくれ岩・そこに入る(ある)・小山」となります。実際に空中写真で見てみても……


こんな感じなので、なるほど「水中のかくれ岩」に向かって伸びる「小山」というのは言い得て妙かと。

ソー言えば®

そう言えば……すっかり忘れていましたが、加賀家文書「クスリ地名解」には「シヨンヌ・テキ 実・手」と記されていたんでした。sonno は「本当の」で tek は「手」を意味します。舟行中にソンテキの岬が見えて諸手を挙げて喜んだ……というストーリーは、その辺の類似性から出たものなのかもしれませんね(単にシャレだった可能性も)。

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