2009年5月5日火曜日

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富士は果たして日本一の山だったのか

 


ふぅーじーはーにぃーっぽーんーいーちーのぉーやまぁー

「アライド富士」関連でびみょうなネタを。

千島列島の中でも「北千島」と呼ばれる各島(得撫島と占守島の間)は、確か、千島・樺太交換条約か何かで日本の領土となったと記憶しています。これはセンシティブな問題なので、ちょっと答合わせを……。

樺太・千島交換条約(からふと・ちしまこうかんじょうやく)は、明治 8 年(1875 年)5 月 7 日に日本とロシア帝国との間で国境を確定するために結ばれた条約。千島・樺太交換条約や、署名した場所からとってサンクトペテルブルグ条約と呼ぶ場合もある。
(Wikipedia 日本語版「樺太・千島交換条約」より引用)

あ、あと二日待てば 5/7 でしたね。しまったなぁ。

富士は果たして日本一の山だったのか(千島編)

それはさておき……、樺太と千島の交換って明治 8 年の話だったんですね。思ったより昔の話なのでちょいとびっくりです。ちなみに、日露戦争後にポーツマス条約にて南樺太が割譲されたのが 1905 年ですから……、そーか、ま、時期的にはこんなものなんでしょうかね。

で、その千島列島の最高峰が、昨日ご紹介した「アライド富士」こと「阿頼度山」で、海抜 2,339 m の高さを誇ります。本家・富士山は 3,776 m ですから、ちょうど 2/3 くらいのサイズですね。ある意味丁度良いサイズです(どういう意味だ)。

富士は果たして日本一の山だったのか(韓国編)

ちなみに、意外なことに、朝鮮半島の最高峰は白頭山……だと思う……ですが、その標高は 2,744 m しかありません。中朝国境地帯に聳える山なので、もっと高くても不思議では無いと思ったのですが……意外です。

富士は果たして日本一の山だったのか(南樺太編)

あ、ポーツマス条約で割譲された南樺太ですが、樺太は見ての通りのっぺりとした地形なので、最高峰もそんなに高くありません。「ロパチナ山」という山が最高峰だとのことですが、標高は海抜 1,609 m とのこと。

富士は果たして日本一の山だったのか(台湾編)

えーと、つまり、「ふぅーじーはーにぃーっぽーんーいーちーのぉーやまぁー」という歌があったかと思いますが、1910 年の時点では高さの面で富士山の存在を脅かすものは無かった、ように思われます……が!

「ニイタカヤマノボレ」の暗号電文でおなじみの台湾の「新高山」、現在で言う「玉山」の標高は公称 3,952 m で、なんと富士山を余裕で上回る「日本一の山」が出来てしまっていたのですね。

日本統治時代には明治天皇により「新しい日本最高峰」の意味で新高山と名づけられた。また「新高の 山のふもとの 民草の 茂りまさると 聞くぞうれしき」という句を残されている。富士山の標高 3,776 m よりも高いことから、日本一標高の高い山として知られ、学校でも「日本一の山」として教えられていた。また 1934 年には新高阿里山国立公園として、日本の国立公園に指定されていた。
(Wikipedia 日本語版「玉山(台湾)」より引用)

となると……、「ふぅーじーはーにぃーっぽーんーいーちーのぉーやまぁー」という歌は当時どう扱われていたのか、ちょっぴり疑問に思えてきます。どなたか内情?をご存じの方はいらっしゃいませんか?

沖縄も北海道も「内地」だった

さすがにこの調子だと、国家としての「日本」の定義と地理的な「日本」の定義が乖離しかねないと反省したのか、その後は「内地」「外地」という概念を持ち込んだみたいですけどね。朝鮮半島、関東州、台湾、南洋群島(パラオやサイパンなど)は「外地」とされ、内地とはあれやこれやがいろいろと違ったらしいです(← ちゃんと調べろ

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