2015年11月3日火曜日

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「日本奥地紀行」を読む (51) 日光 (1878/6/23)

 


今日からは、1878/6/23 付けの「第十信(続き)」(本来は「第十三信(続き)」となる)を見ていきます。「第十信」は相当長かったからか、「第十信」「第十信(続き)」「第十信(完)」という、どこぞの Web サイトのような三部構成になっていたのでした。

見える暗闇

イギリス人のジョークセンスは、そのアイロニカルさで知られていますが、この「見える暗闇」というサブタイトルもその類……でしょうか。早速本文を見ていきましょう。

日本人が早起きするのもふしぎではない。晩は灯火が暗くて楽しみがないからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.128 より引用)

はい。そういうオチだったのでした。そう言えばキューバの出生率が高い水準をキープしていることについて、当の国民に話を聞いたところ、「アメリカの経済制裁で何も入ってこないから、夜は大してすることがなくて」と答えたというジョークがありましたね。どこまでがジョークでどこからがマジなのかは知りませんが(笑)。

イザベラが逗留していた「金谷家」の「ランプ」について、イザベラは次のように解説しています。

この家でも他の家でも、ランプといえば四角や円形の漆器のスタンドのことで、ニフィート半の高さの四本の直立材に白い紙を枠にはめたものである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.128 より引用)

イザベラの記述は何かの設計図のようで(おそらく意図したものでしょうが)、逆に読んでいて今ひとつ実感がわかないのですが……

この哀れな器具は、行灯と呼ばれる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.128 より引用)

はい。そういうことでした。それにしても「この哀れな器具」とは、イザベラもなかなか酷いことを言いますね。

このみじめな「見える暗やみ」のまわりに、家族一同が集まる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.128 より引用)

「哀れ」の次は「みじめな」ですか。証明が完備された現在にあっては、行灯は風情を愉しめるものとなっていますが、実用性を考えるととてもそんなことは言えなかったのでしょうね。

久々に「姐さんモード」に入ったイザベラの舌鋒は、さらに加速します。

もっと嘆かわしいものは、行灯と同じ高さの燭台である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.128 より引用)

今後は「嘆かわしい」ですか……。

この蝋燭は、太い灯芯が巻いた紙でできており、絶えず芯を切らなければならず、しかも、暗くてちらちらする光をしばらく出して、悪臭を残して消える。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.128 より引用)

今更ながら「行灯」と「燭台」の違いについてですが、行灯は和紙で囲われているが燭台はそうでは無いというだけではなくて、行灯は油(菜種油など)を燃やしていたんですよね。燭台は蝋燭(ろうそく)を燃やしていたのですが、蝋燭の出来は現代のよく出来たものとはかなり違っていたようです。

イザベラは、これらの前近代的な「明かりのようなもの」ではなく、現代的な「ランプ」が恋しかったようですが、現状について次のように分析していました。

国産や外国産の石油を燃やすランプは大規模に生産されているが、それに伴う危険は別としても、田舎の地方に石油を運ぶのはたいそう費用がかかる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.128-129 より引用)

ふむ、当時すでに「石油」の活用が始まっていたのですね。念のため原本を確認してみましたが、確かに mineral oils とありました。そう言えば、文明開化の象徴のひとつとして「ガス灯」の出現が上げられますが、大阪の造幣局の近くに日本初のガス灯が点ったのが 1871 年のことだったそうです。イザベラの奥地紀行の 7 年前ということになりますね。

日光の商店

うんざりする暗闇の話題から、夜が明けて「日光」の話題に戻ります。

これらの村は、商店にあふれている。何か売っていない家はほとんどない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.129 より引用)

これは東照宮のお膝元だからこそ、という話なのでしょうか。

買い手がどこから来るのか、どのようにして利益をあげるのか、私には謎である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.129 より引用)

……(汗)。ただ、幸いな事に商品の一覧を詳らかに記してくれていました。

たいていの品物は食物である。例えば、長さ一インチ半で串刺しの干魚、米や小麦粉と少量の砂糖で作られた菓子類、餅と呼ばれる米粉をこねた丸い団子、塩水で煮た大根、豆から作った白いゼリー(豆腐)、縄ひも、人間や馬のはく草鞍、蓑、雨傘、油紙、ヘヤピン、爪楊枝、煙管紙ハンカチ(ちり紙)そのほか、竹や藁、草や木で作ったこまごまとした多くの品物である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.129 より引用)

ふむ。「たいていの品物は食料である」としながらも、「縄ひも」や「蓑」、「雨傘」といった、現代だとホームセンターで取り扱ってそうなものも少なからずあったようですね。やはり旅行者向けの商売だったのでは無いでしょうか。

ただ、こういった昔ながらの「軒先の商店」にも「文明開化」の波は押し寄せていたようで……

最近マッチ工場が建てられて、多くの店先ではマッチの長さに木を切っている男の
姿が見られる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.129 より引用)

行灯や燭台を常用していた上に、ライターのような便利なものも無かった訳でしょうから、マッチの需要は今とは比べ物にならないものだったのでしょうね。

少女と婦人

イザベラの「路上観察」が続きます。イザベラは、次は民家で働く女性に注目したようです。

ふつう、三人か四人が一緒に仕事をしている。母、長男の妻、一人か二人の未婚の娘である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.129-130 より引用)

厳密にはかなり違いますが、「サザエさん」っぽいと言えば当たらずといえども遠からずでしょうか。ここでもイザベラ姐さんの豪速球が炸裂します。

娘たちは十六歳で結婚し、まもなく、これらのきれいでばら色をした健康そうな女性が、痩せこけて空ろな顔をした中年の女になってしまうが、これは、歯を黒く染め、眉を剃ってしまうことが原因であろう。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.130 より引用)

……(汗)。そう言えば、昔は「お歯黒」という習慣がありましたね。もっとも、「痩せこけて空ろな顔」は「お歯黒」とは関係ないですけどね。

夜と睡眠

そして静かな一日が過ぎ、あたりは再び漆黒の闇に閉ざされたのでした。

寝ている大人の手のとどくところに、いつも食物の入った小さな盆や煙草盆が置かれ、人々は、夜中にときどき煙管の灰をたたき落とす音が聞こえてくるのにも、全く慣れてしまう。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.130 より引用)

あー、そう言えば「煙草盆」というものもありましたね。と言っても実物を見たことは無いような気もします。http://www.jti.co.jp/Culture/museum/collection/tobacco/t12/index.html を見ると、色々な形の「煙草盆」があったのですね。そして、江戸時代には既に喫煙の文化が広く存在していたことにも驚かされます。


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