2015年11月29日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (302) 「札内・途別・稲士別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

札内(さつない)

sat-nay
乾いた・川
(典拠あり、類型あり)
帯広市は人口 16 万 8 千人を数える十勝で一番の大都市ですが、意外なことに中心部の市域はそれほど大きくなくて、東西はわずか 8 km ほどしかありません。西は隣の芽室町とほぼ一体化していて、北は十勝川を挟んで音更町と繋がっています。そして東は札内川を挟んで幕別町札内と繋がっています。南には旧・大正村の村域が、そして南西部には旧・川西村の村域が広がっているのですけどね。

そして、札内駅は帯広駅の東隣の駅でもあります。ということで久しぶりに「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  札 内(さつない)
所在地(十勝国)中川郡幕別町
開 駅 明治43年 1 月 7 日
起 源 アイヌ語の「サッナイ」、すなわち「オ・サッ・ナイ」(川尻のかれている川)から出たもので、付近にある札内川はもと一定の川底がなく、水が増すごとに流れを変え、水が減ずると一帯が河原となったからこう呼ばれており、駅名はこれを音訳したものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.124 より引用)
ふーむ。なかなか踏み込んだ解が出てきましたね。というのは、「札内」を sat-nay とするものが多く、o- を最初につける例は他に見かけないのです。東西蝦夷山川地理取調図を見ても札内川が十勝川と合流するあたり(札内駅の近く)には「サツナイブト」と書かれていて、上流のかなり奥の方に「サツナイ」と記されています。また、戊午日誌にも何度か「サツナイ」が出てきますが、「オサツナイ」とは記されていません。

ということで、ここは無難に sat-nay で「乾いた・川」としようかと思います。nay は「沢」を形容するのに多く使われる単語ですが、このあたりは相当な大河でも nay で呼ばれる場合があるので、今回は「川」としてみました。アイヌ語地名の最大の謎の一つですね。

途別(とべつ)

tu-pet?
二つ・川
tu-pet?
倍・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
幕別町西部の地名・川名です。途別川を遡って行ったところに帯広空港があります。また東には支流の古舞川も流れています。

戊午日誌には次のように記されていました。

また弐丁計も下りて右のかた
     トウベツ
小川也。平地の処に川口有。是水源に沼有るよりして此名有るなり。トウは沼也。其周り蘆荻多し。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.294 より引用)
「水源に沼があるからトウベツなんだよ」とあるものの、地形図を見た感じでは沼の存在は見当たりません。もちろん明治以降の開拓で失われた可能性もゼロでは無いのですが、明治期の地図で見ても沼の存在を伺い知ることはできなさそうです。

続いて山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

南の高台から流れて来て,古いころは十勝川の南分流に入っていたらしいが,平野に入ってから,今の根室本線の北側を曲流しながら東流し,猿別川に入っていた川が現在旧途別川と呼ばれている。なお現在は根室本線の辺から,北東東に向かって直線の水路を作って十勝川に入れてある。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.309 より引用)
地誌的な補足をありがとうございます。そうですね、現在も「旧途別川」は残っていますが、まるでスパ・フランコルシャンのコースのようなカーブが連続する蛇行ぶりが見事な川です。

続きを見ておきましょう。

途別の語意ははっきりしない。ト・ペッ(to-pet 沼の・川)と読める(十勝日誌はトヴツと書いた)。この川筋には沼らしい沼はないようであるので,もしその名であったのなら昔の川尻の部分に河跡沼でもあっての称であろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.309 より引用)
ふーむ。戊午日誌には「水源に沼」だったのですが、流域に沼が見当たらないこともあり「河口に沼?」と考えざるを得なくなったということでしょうか。山田さんもやはり納得が行かなかったか、

またトゥ・ペッ(tu-pet 二つ・川)であったのかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.309 より引用)
こんな試案も考えておられたようです。言われてみれば途別川と古舞川の合流点は、どことなく津別町津別にも似ているようにも思えてきますね。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にも tu-pet 説が記されていました。

ト゚ペッで水かさの倍になる川の意と思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.234 より引用)
弟子屈の「鐺別」と同じく「更に倍っ!」じゃないか、という考え方ですね。もちろん to-pet という旧来の考え方も無視したわけではなくて、

或は沼のある川かもしれないが、その跡をさぐることができない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.234 より引用)
現実的な判断を行った、ということのようです。

どの説も決め手を欠くなぁ……というのが正直な印象です。ただ、to-pet よりは tu-pet のほうが可能性があるんじゃ無いかなぁ……という感じもします。tu-pet で「二つ・川」あるいは「倍・川」でしょうか? ちょっと津別との類似性が気になるところです。

稲士別(いなしべつ)

inaw-us-pet
木弊・ある・川
(典拠あり、類型あり)
札内駅(根室本線)の次の駅が「稲士別駅」なのですが、もともと仮乗降場だったこともあり、残念ながら「北海道駅名の起源」には記載がありません。

稲士別駅の西側には「稲士別川」が流れていて、旧途別川に注いでいます。稲士別側は台地を広く深くえぐったような地形を流れる川で、上流には「幕別ダム」があります。

東西蝦夷山川地理取調図を見ると、「イナウシヘツ」という川があり、またその西支流として「ホンイナウシ」なる川の存在が記されています。現在の稲士別川と日新川でしょうか。そして、イナウシヘツの上流部東側には「イナウシノホリ」という山名も記載されています。川名がメインの地図にあって山名が記されているのは割と珍しいことです。

戊午日誌にも記載がありました。

左りは一里計も下に山を見る計、皆平地也。過て
     イナウシベツ
右の方小山の間に小流有。是木幣を山え行もの此処え立てし処なるよしにて号也と。イナウウシヘツと云り。此川三四丁上りて二股に成、ホンイナウシヘツと云小川有る也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.295 より引用)
あ、やはり inaw-us-pet で「木弊・ある・川」だったようですね。「イナウ」はアイヌの祭事で用いられるもので、神道における「御幣」に近いような遠いような(どっちだ)ものですね。

inaw-us-pet の上流には、良くイナウが捧げられる霊験あらたかな場所があった、ということなのかも知れませんね。

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