2010年7月7日水曜日

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春の道央・道北の旅 2010 (48) 「三股郵便局に国鉄の運賃表があった理由」

 

「三股郵便局」跡の話題を続けます。
十勝三俣駅との位置関係は、この地図で初めて認識したのですが、この郵便局(跡)は思った以上に十勝三俣駅から離れていました。ただ、国鉄士幌線の糠平─十勝三股間が辿った数奇な経緯により、この郵便局(跡)に「国鉄」の出札業務が委託されていた……のだと思います。

「数奇な経緯」というのは、三股集落の過疎化に伴い糠平─十勝三股間の利用者が激減し、100 円の利益を計上するための経費が 22,500 円もかかる状態になってしまったため、さすがの国鉄もこの区間の運行を取りやめてしまいます。本来は、正式に廃止手続きを行い、施設などを撤去すべきだったのですが、「将来は上川まで延長する」という計画だけが何故か生き残っていたため、鉄道路線として廃止することもできず、「鉄道路線だけどずーっとバス代行」という、中途半端な状態に置かれてしまった、という話です。おかげで「第五音更川橋梁」などが撤去されずに済んだわけですが……。

糠平─十勝三股間の「代行バス」は、国道 273 号線を走っていたので、終点のバス停も国道沿いに設けられたのでしょう。ちょうどそこに郵便局があったので、「国鉄の出札業務」を「代行」することになった……ということだと思います。

官民一体となっても……

「鉄道の代行バスなら、十勝三股駅まで運行するのが本来の姿じゃないの?」という疑問も出てきますが、Wikipedia の記述によると、

1977年、かつて人口1500人を擁した十勝三股は5世帯、14人まで人口が落ち込み
(Wikipedia 日本語版「士幌線」より引用)
とありますから、既に駅のまわりには人の気配が皆無だったのかも知れません。あるいは、バスの運行に堪える道路が無かったのかも知れませんが、

上士幌タクシーによるバス代行輸送は非常に特異で、乗客が少ない場合にはジャンボハイヤーや中型乗用車のタクシーがバスの代わりに運行されたこともあった。それでも市販の時刻表にはしっかり「バス」として掲載されていた。
(Wikipedia 日本語版「士幌線」より引用)
ということらしいので、やはり「列車の来ない駅には用がない」というのが正確なところだったのでしょう。駅と商業施設を同居させるといった考えは、その頃は殆ど無かったでしょうから。

希少価値?

運賃表の向い側には、窓口が残っていました。これは出札窓口と言うよりは、郵便局の窓口 兼 出札窓口、といったところだったのでしょうね。
バス代行後も、このような立派な切符が出札されていたようです。
これは「コレクション」と言えるのでしょうか。無造作に置いてあるようにも見えますが、21 世紀の現代においては結構な希少価値を持ちそうな代物です。
窓口には、なぜか郵便局の商売敵のミニカーが……。あ、これって時事ネタでしょうかね(笑)。

偶然という名の偶然

それにしても、この日、たまたま(事情があったにせよ)早起きして、たまたまこの時間に十勝三股にやってきたおかげで、前回は存在すら気づかなかった「三股郵便局跡」を見ることができたわけで……。人生と言うのは偶然の積み重ねでしか無いとは言うものの、こんな偶然に巡り合わせてもらえたのは果報者だな、なんて思えてしまいました。どうやら私は、単純でおめでたい性格のようですね(笑)。

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