2016年1月10日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (306) 「茂岩・牛首別・背負」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

茂岩(もいわ)

mo-iwa
小さな・(聖なる)山
(典拠あり、類型多数)
豊頃町の地名です。豊頃町の中心地は東側の「JR 豊頃駅周辺」、西側の「茂岩周辺」そして両地点の中間に位置する「中央部」の 3 つに分散しています。役場のある茂岩から豊頃駅までは約 3 km ほどですが、間に十勝川と旧利別川(旧十勝川?)があるので分散せざるを得ないようですね。茂岩と豊頃の間の中央部の集落には学校などがあるので、おそらく最後に計画的に建設されたものじゃないかなぁと思います。面白いですね。

「モイワ」という音からは、真っ先に mo-iwa が連想されます。mo は「小さな」あるいは「静かな」で、iwa は「岩山」あるいは「山」という意味です。ただ、iwa は単なる岩山ではなく、「神聖な山」を意味することが多かったようです。知里さんの「──小辞典」にも次のようにあります。

iwa イわ 岩山; 山。──この語は今はただ山の意に用いるが,もとは祖先の祭場のある神聖な山をさしたらしい。語原は kamuy-iwak-i(神・住む・所)の省略形か。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.38 より引用)
ふむふむ。iwak-i(あるいは ewak-i)の省略形ではないか、という説ですね。ということで mo-iwa は「小さな・(聖なる)山」とするのが良さそうでしょうか。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにあります。

茂岩 もいわ
 豊頃町内の地名。新旧の牛首別川に囲まれた形の独立丘が,十勝川に突き出していて,その下に茂岩の市街があり,そこが豊頃町役場の所在地になっている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.292 より引用)
昨日の記事でも少し触れましたが、茂岩集落の北側を流れる「牛首別川」は、元々は集落(=山)の南側を流れていました(現在の「下牛首別川」)。ちょうど両河川の間にこんもりとした形の山があり、それを「小さな(神聖な?)山」と呼んだようです。

 茂岩はモ・イワ(mo-iwa 小さい・山)の意。道内諸地にモイワがあり,それらは小高い目立つ独立丘で,その辺での霊山のような処であったらしい。ここの独立丘は平べったい小山で,他地のモイワ山とは少し形が違うが,川に向かって突き出た部分は少しこんもりと高くなっていて,遠くからも際立って見える。そこがこの辺でのモイワ(山)であって,それからここが茂岩という地名になったものらしく思われる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.292 より引用)
はい。言いたかったことは全部山田さんに先を越されてしまいました(汗)。補足情報としては、茂岩(山?)には「とよころ飛行場」という滑走路があったということくらいでしょうか。この飛行場はメガソーラー発電所に転用するために 2012 年に閉鎖されたとのことですが、その後はどうなったのでしょうか。まぁ、山上に滑走路が建設できるくらいのこんもりした形の丘だということがご理解いただければと……。

あと、念のため古い資料も調べてみたのですが、明治期の地図には「藻岩」(ママ)とあり、その下に「チキサニタイポ●」(●は「ㇰ」の可能性あり)と記されていました。更に時代を遡ると、東西蝦夷山川地理取調図には「チキシヤニタイホ」と記されていました。永田地名解には「チキサ ニタイ ポキ」とあるので、chi-kisa-ni-tay-po あるいは chi-kisa-ni-tay-pok(-i) だったと考えられます。前者であれば「我ら・こする・木・林・っ子(指小辞)」で、後者であれば「我ら・こする・木・林・下(のところ)」となりますね。

chi-kisa-ni は「月寒」でもおなじみですが、「われら・こする・木」は具体的には「ハルニレ」のことを指すようです。ですから chi-kisa-ni-tay-pok であれば「ハルニレ林の下」ということになりますね。

ここからは……違うか。ここまでも想像が少なからず含まれているのですが、元々は chi-kisa-ni-tay-pok(-i) というのが正式な?地名で、通称 mo-iwa と呼んでいたのが、いつしか mo-iwa が正式な?地名に昇格してしまった、といった感じでしょうか。

牛首別(うししゅべつ)

usis-us-pet?
鹿の足跡・多くある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
豊頃町の地名・川名で、地名としては茂岩の南側に位置しています。近くを流れる川の名前は「下牛首別川」ですが、これがどうやら旧・牛首別川なのだそうです(現在の牛首別川は茂岩の北側を流れています)。

では早速ですが、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

牛首別 うししゅべつ
 背負の北の川名,地名。牛首別川の下流は元来は茂岩の丘の南を曲流していたのであるが,現在は直線の新川を作り,丘の北を通して十勝川に入れてある。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.292 より引用)
はい。少々ややこしい話なので、山田さんにもリピートしていただきました。

永田地名解は「ウシシ・ペッ。鹿蹄川。かつて鹿跡多し。今や無し」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.292 より引用)
確かに p.304 にその旨の記載がありますね(永田地名解はこの辺り、掲載順序に混乱が見られる気がします)。ちなみに時代を遡って戊午日誌を見てみると、次のようにあります。

また辰に向ひ八丁計も行て
     ウシヽベツ
右のかた小川也。其名義は昔し此処え土人等が集りて、毎日鹿の足の肉を喰し処のよし也。ウシヽは鹿の足の肉なりとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.352 より引用)
毎日鹿肉とはこれまた豪勢ですね……(そういう問題ではない)。念のため辞書で調べた限りでは、usis には「ひづめ,偶蹄」とあり、「肉」までは意味しないように思われます。まぁ、当たらずといえども遠からずではあるんですけどね。

さて、時折しれっと珍説を投入して世界をカオスに導く更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のようにありました。

 牛首別(うししゅべつ)
 豊頃町の字名。南西部の山地の水を集めて十勝川にそそぐ川の名、ウシシュペツからでたもので、ウシシは蹄のことなので、永田氏は「鹿蹄川曾テ鹿跡多シ今ヤ無シ」を書いている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.237-238 より引用)
「、、、。」の更科節は今日も絶好調のようですね。続きます。

鹿は明治十二年の大雪で絶滅に瀕した時代があった。ここだけが鹿の足跡が多いということは、鹿の冬越しによい処だったからかと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.238 より引用)
ほほう……。なかなか良さそうな情報がさらっと入ってきました。そう言えば、豊頃町中央若葉町から少し北に行ったところに「育素多沼」という沼があるのですが、この沼が元々は「イウㇰウㇱェトー」という名前だったようなのですね(カナ表記が謎なのは永田方正さんのせいだと思われます)。この「イウㇰ」が yuk、即ち「鹿」なのであれば話の整合性が増しそうな気がします。

「育素多」の「イウㇰ」は「菱の実」とされていますが、それについては日を改めて……。

そして、更科さんの「アイヌ語地名解」は、最後に次の一文で締められていました。

ウッシはこの地方ではうるしのことでもある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.238 より引用)
はい???(汗) 更科さんは「北海道地名誌」でも「鹿の足跡多い川と言われているが,うるしの多い川ともとれる」と記しています。むぅ。

ということで、ここまで「(毎日)鹿の肉を食べる」「鹿の足跡」そして「うるし」の 3 つの説が出てきました。更科さんの「うるし」はお得意のナックルボールっぽいのですが、これはどうしたものか……。

そう思いながら山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみると……

もしかしたらウシシ・キナ(ushish-kina えぞふゆのはなわらび)の生えていた川だったかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.292 より引用)
……(汗)。もはや収拾がつかなくなっていますが、今日のところは更科さんのナックルボールは見なかったことにして(ぉ)、usis-us-pet で「鹿の足跡・多くある・川」にしておこうかと思います。山田さんの「もしかしたら」も十分可能性があると思うので、とりあえず次点(?)ということで。

背負(せおい)

sey-o-i
貝・多くある・もの
(典拠あり、類型あり)
牛首別からさらに南東(海側)に向かったところにある集落の名前で、同名の川もあります。久々のアイヌ語意訳地名か……と思わせておきながら、思いっきり音訳地名のようです(なぁんだ)。

ここまで二本が凄く長くなってしまったので、最後はあっさり系で参りましょう。戊午日誌には、次のようにあります。

また針位辰のかた直に十丁計も下りて
     セヨイ
右のかた小川也。其名義は蜆多きよりして号しものなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.353 より引用)
えーと、「蜆」は「シジミ」のことです。これでおおよそ分かってきましたが……

背負 せおい
 安骨の北の地名,川名。明治29年5万分図ではセイオイ川である。セイ・オ・イ「sei-o-i 貝(殻)が・多くある・もの(川)」の意だったのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.292 より引用)
はい。全く同感です。sey-o-i で「貝・多くある・もの」だったと考えられそうです。永田地名解には Seyo pet という記録もありますが、これが「背負」のことを指すかどうかは……良くわかりません(意味は「貝川」とあるので一致しそうなのですが)。

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