2016年1月30日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (311) 「大津・長節湖・ワッカリベツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

大津(おおつ)

oho-ut-nay?
深い・脇(肋)・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
豊頃町南東部の、十勝川河口に面した集落の名前です。現在は「十勝川」の河口ですが、この川は明治の頃は「大津川」という名前で呼ばれていました。大津集落の名前も、この「大津川」から来ていたと考えられそうです。

戊午日誌には次のように記されています。

其右の方は
     ヲホツナイ
本名ヲウツナイと云て、深き沢と云儀なり。今其川追々広く成りて如此川に変じたり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.239 より引用)
ふむ。「深き沢」なのであれば ooho-nay かな、と思うのですが……。もう少し調べてみましょうか。山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにありました。

 上原熊次郎蝦夷地名考は「ヲホツナイ。夷語ヲホウツナイなり。則,深き枝川と訳す。此川トカチ川枝流なれば,往時は至て狭き川なれど,□年大川となるよし。扨又,ヲホウツナイ数ヶ所落合ふて大川となる故此名ありといふ」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.290-291 より引用)
ふむふむ。上原熊次郎と言えば幕末のアイヌ語通詞(通訳)ですが、oho-ut-nay ではないかと言うのですね。

 永田地名解は「オオホッ・ナイ oohot-nai(深・川)。元来十勝川の分流なるを以てナイと称すれども,今は本流よりも大なり。大津村」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.290-291 より引用)
またしても孫引きで失礼します。なるほど、oohot-nay ではないかと言う説ですね。服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」を見たところでは、「(水かさが)深い」という言葉は ’ohó あるいは ’o’óho と記録されていて、oohot という形は見当たりません。また、帯広方言としては ’o’ó と記録されています。oo という異型?は知里さんの「──小辞典」にも記載がありますね。

松浦武四郎の「蝦夷地道名國名郡名之儀申上候書付」には、「十勝州」の中に「大津郡」という郡名が建議されています。草風館の「アイヌ語地名資料集成」に採録されている版には、「大津(郡)」のところに「ホフツ」というルビが振られているのですが、これは松浦武四郎が「大津は『ホフツ』である」と認識していた……ということなのでしょうか。

武四郎さんのエライところは、ちゃんとセカンドチョイスまで書いているところで、「大津郡」の下には「落内郡」(ヲツナイ──)と記されています。これらの情報から考えるに、元となるアイヌ語地名にも「ツ」に近いものが含まれていたと見たほうが良さそうに思えます。

となると、実は素直に上原熊次郎説に従うのが正解なのかもしれません。oho-ut-nay で「深い・脇(肋)・川」だったのではないでしょうか。現在の十勝川河口がかつては「大津川」と呼ばれていたことは首記の通りでして、本流(現在の「浦幌十勝川」)が「背骨」だと捉えた場合、「支流」の「大津川」は背骨から出る「肋骨」のようなものですからね。

長節湖(ちょうぶし──)

chi-o-pus-i
我ら・そこで・破裂する・所
(典拠あり、類型あり)
豊頃町大津の「大津漁港」から見て、南西 2~3 km 先に位置する湖の名前です。浦幌のあたりは河跡湖が多かったですが、長節湖は沿岸流によって形成された砂浜によって海がせき止められた「潟湖」(せきこ)です。潟湖にありがちな話ですが、地図上で見た限りでは、開口部と思しきところも「長節浜」によって塞がれている状態です。まぁ、最狭部の幅は 50 m も無いので、その気になればいつでも開口部ができそうな気もしますが……。

さて、道内には「長節湖」という湖が、少なくとも二つあったりします。ここ十勝の「長節湖」と、もう一つは根室の「長節湖」です。根室の「長節」は「ちょうぼし」と読むのが正式なのだそうですが、十勝は豊頃の「長節」は「ちょうぶし」と読むのが正解です。

では、今回も山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

上原熊次郎地名考(文政7年)は「チヲブシ。自ら破れると訳す。此沼折節破れる故字になすといふ」と書いた。チ・オ・プㇱ・イ「自ら・そこ(川尻)を・破る・もの(沼)」,つまり「破れる沼」の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.324 より引用)
はい。どうやら根室の「長節湖」と由来も同じだったようで(根室のほうは異説もありますが)、chi-o-pus-i で「我ら・そこで・破裂する・所」だったようです。

沼尻が砂で塞がれるか,沼の水位が高くなると,自然にプシッと沼尻が破れて流れ出す沼なのでそう呼ばれた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.324 より引用)
あー、「プシッと」というのは盲点でした。pus もオノマトペだと捉えることもできるかも知れませんね。

ワッカリベツ川

wakka-pekere-pet
水・清冽な・川
(典拠あり、類型あり)
長節湖に注ぐ川としては「長節川」がその最たるものですが、長節川の河口のすぐ近くで合流する「ワッカリベツ川」という支流もあります。この「ワッカリベツ川」、音感からしてアイヌ語由来っぽいのですが、どうにも意味が良くわかりません。「水が高い川」というのもかなり意味不明ですし……。

……などと思っていると、あっさりと答らしきものが見つかりました。明治期の地形図を見てみると、現在の「ワッカリベツ」のところに「ワㇰカペケレペツ」と書いてあるではありませんか。

「東蝦夷日誌」にも、次のように記されていました。

チヨブシ〔長節沼〕(沼有、周二里)、時化の時、沼口破れ舟にて渡す(小休所、夷家有)。名義は自ら破るゝ儀なり。チは自ら、ヲブシは破るゝと云。
 西岸ホンチエフコエキウシ(小川)幷てヲンネナイ(小川)、シンノシケチヨウシ(小川)、是より川に人てワツカヘケレ(左川)、シケレベカルシ(左川)、ヘトトタヌシ(左川)、エトイムシ(中川)三ツに成る。源はチヨブシ岳に到る。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.276 より引用)
ということで……。どうやら現在の「ワッカリベツ川」は、元々は「ワッカペケレ」だったと考えて良さそうです。おそらくは wakka-pekere-pet で「水・清冽な・川」だったのでしょうね。

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