2022年9月18日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (971) 「和骨・サワンチサップ・マクワンチサップ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

和骨(わこつ)

pena-wa-an-wa-kot?
川上のほう・に・ある・岸・凹み
pana-wa-an-wa-kot?
川下のほう・に・ある・岸・凹み
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
屈斜路湖の東岸、弟子屈町仁伏にぶしの西に小さな山があるのですが、その頂上付近に「和骨」三等三角点があります(標高 195.7 m)。

「オヤコッ」説

明治時代の地形図には「オヤコツ」と描かれています。また鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」にも次のように記されていました。

オヤコツ
和骨(営林署図、図根点名)
 仁伏温泉の西側で、半島のように突き出ている所の地名。
 和琴半島と同じ地名でオ・ヤ・コッ(o-ya-kot 尻が・陸岸・についている」の意である。このあたりでは半島をオヤコツと呼んだのであろうか。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.336 より引用)※ 原文ママ
ふむふむ。o-ya-kot が「和骨」に化けたのか……と思ったのですが、改めて戊午日誌「東部久須利誌」を見てみると……あっ。

また並びて(北東)のかた
    ヘナワーコチ
此処一ツの出岬に成り、其岬の鼻また山に成居るとかや。また其並びに
    ハナワーコチ
と云て同じき様成岬に成るよし、並びて
    ニベシ
ニブシなるべし。是土人の庫の事也。木を組上て立しもの。此辺え土人等鹿のアマホを懸に来り、其取りし肉を其庫え入置為に作りしもの也。其盾多きか故に号る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.448 より引用)
「ニベシ」(仁伏)の手前(南西側)に「ヘナワーコチ」と「ハナワーコチ」という地名が記録されています。「オヤコッ」と「ワーコチ」のどちらが「和骨」の由来かと言えば……後者の可能性を考えないといけませんよね。

「ワーコチ」説

「ワーコチ」が wa-kot-i であれば「岸・ついている・もの」と読めそうでしょうか。ただ「ヘナ」と「ハナ」とあり、これらは pena-pana- で「川上のほう」と「川下のほう」を意味します。要は似たような地形が二つ並んでいる……ということになるのですが、このあたりでは「和骨」三角点以外にそれらしい地形(出岬)が見当たりません。

ただ、これは kot を本来の「凹み」という意味で捉えれば良いということかもしれません。小さな山状の岬があるということは、その東西に「谷」がある、ということになるので、pena-wa-kot で「川上のほう・岸・凹み」あるいは pena-wa-an-wa-kot で「川上のほう・に・ある・岸・凹み」と考えて良いかと思われます。

改めて考えてみると、鎌田さんが「このあたりでは半島をオヤコツと呼んだのであろうか」と記したのは全くその通りで、実際に o-ya-kot と呼ばれていたと考えられます。ただ「和骨」という三角点の名前を半島の東西にある「凹み」から取ってしまったので、ちょいと妙なことになった……と言えそうです。

サワンチサップ

sa-wa-an-chis-sapa??
手前・に・ある・中くぼみ・頭(山)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
仁伏の南東、川湯温泉の西南西に位置する山の名前です。「サワンチサップ」「マクワンチサップ」「アトサヌプリ」が三連山のようになっていて、その中では最も北西に位置しています。

「手前の岩山」説

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 サワンチサプ山
 川湯の裏山。手前(湖寄り)の岩山の意、俗にシャッポ山という。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.257 より引用)
この「サワン」は sa-wa-an で「手前・に・ある」と考えて良さそうな感じですね。お隣の「マクワンチサップ」は mak-wa-an で「奥・に・ある」となりそうなので。

問題は「チサップ」で、更科さんはこれを「岩山」としましたが、果たしてそんな意味があるのかどうか……?

「手前の『前に出るもの』」説

鎌田正信さんは「道東地方のアイヌ語地名」にて次のように記していました。

サワンチサプ
サワンチサップ(地理院図)
 川湯温泉市街の西方標高520㍍の山。山麓にはスキー場が設けられており、地元では帽子山と呼んでいる。
 サ・ワ・アン・チ・サンケ・ㇷ゚(sa-wa-an-chi-sanke-p 前・に・いて・浜に出て来る・もの(山)」の意である。これは屈斜路湖の沖(北東)から舟で仁伏方面に帰る時に、だんだん舟が進むと手前にあるこの山が、湖岸に迎えに出て来るように感じとったのであった。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.341-342 より引用)※ 原文ママ
んー。sa-wa-an-{chi-sanke}-p で「手前・に・ある・{前に出る}・もの」と考えたのですね。ただ戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていて……

並びて
     セヽキベツ
此辺のうしろにチシヤフノホリと云山有。其また山のうしろにサワンチシヤフ、また其前に、マツカンチシヤフ等三ツ並び、第一の上に
     アトサシリ
といへる高山有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.449 より引用)
「サワンチシヤフ」が「サワンチサップ」のことで、「マツカンチシヤフ」が「マクワンチサップ」のことだと思われるのですが、そうすると最初に出てきた「チシヤフノホリ」が何なのか……という疑問が出てきます。ただ「第一の上に『アトサシリ』」とあるので、「チシヤフノホリ」は現在の「アトサヌプリ」のことと考えられそうでしょうか。

本題はここからで、「サワンチサップ」のことを松浦武四郎は「サワンチシヤフ」と記録していたと見られます。これが「サワアンチサンケㇷ゚」に化けて、現在は「サワンチサップ」に戻った……というのも、ちょっと考えづらいように思えるのですね。

「手前にある『泣くもの』」説

結局のところ「チサップ」をどう読み解くか……という話に戻るのですが、久保寺逸彦さんの「アイヌ語・日本語辞典稿」によると {chisa-chisa} で「泣きに泣く」を意味するとのこと(動作的反復形)。chis も「泣く」という意味ですが、chisa もほぼ同じような意味で使われる、のかもしれません。

となると sa-wa-an-chisa-p で「手前・に・ある・泣く・もの(山)」ということになりますが、もしかしたら山から噴煙を上げる様を「泣く」と表現したんじゃないかな……と。

現在も噴煙を上げているのは「アトサヌプリ」だけだと思いますが、戊午日誌「東部久須利誌」の記述を見ると「アトサシリ」の下部を「チシヤフノホリ」と呼んでいたようにも見えます。

「マクワンチサップ」と「サワンチサップ」も「アトサヌプリ」と同様の溶岩ドームのため、あるいは火口から溶岩が流れ出る様を「泣く」と表現した可能性も……あったら面白そうですよね(少なくとも「アトサヌプリ」の活発な火山活動を目撃したアイヌは存在していたような感じが)。

2022/9/24 追記
オンシエシッペ川の元の形と思われる「ポンシチシユシペツ」という川名が存在することから、sa-wa-an-chis-sapa で「手前・に・ある・中くぼみ・頭」と考えるのが妥当ではないかとの考えに至りました。「サワンチサップ」と「マクワンチサップ」の間の鞍部が chis で、その両端にある山を sapa で「頭」と呼んだのでは……という考え方です。

マクワンチサップ

mak-wa-an-chis-sapa??
奥・に・ある・中くぼみ・頭(山)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
既に語り尽くした感もあるので、改めて立項するまでもないという説もありますが……。「マクワンチサップ」は「サワンチサップ」の南南東、「アトサヌプリ」の北西に位置する標高 574.1 m の山です。頂上には「硫黄山」という名前の三等三角点もあります。

戊午日誌「東部久須利誌」に「マツカンチシヤフ」とあるのは前述の通りで、明治時代の地形図には「マクワンチサㇷ゚」と描かれていました。

「マクワンチサップ」は「サワンチサップ」と対になる山……という認識でほぼ間違いないでしょう。mak-wa-an-chisa-p で「奥・に・ある・泣く・もの(山)」と見て良いかと思われます。

2022/9/24 追記
こちらも「サワンチサップ」と同様に、オンシエシッペ川の元の形と思われる「ポンシチシユシペツ」という川名が存在することから、mak-wa-an-chis-sapa で「奥・に・ある・中くぼみ・頭」と考えるのが妥当ではないかとの考えに至りました。「サワンチサップ」と「マクワンチサップ」の間の鞍部が chis で、その両端にある山を sapa で「頭」と呼んだのでは……という考え方です。

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