2022年9月25日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (973) 「ニタトルシュケ山・キナチャン沢川・トーパオマプ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ニタトルシュケ山

nitat-oro-us-pe
湿地・その中・そこにある・もの(山)
(典拠あり、類型あり)
川湯温泉の北東、国道 391 号の東に聳える標高 381.4 m の山です。頂上付近に二等三角点がありますが、三角点の名前は何故か「川湯」です。

戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。

此源に
     ニタトルシベ
といへる高山有。此峯つゞきシャリ領のヤンヘツ岳なり。東え落るはワッカヲイのサツルヱの源となる。此辺数十里の平地茅原のよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.449 より引用)
改めて明治時代の地形図を見てみると、山名は「ニタトルシユペ」となっていました。大正から昭和にかけて作図された陸軍図では「ニタトルシュケ山」となっているので、その間に「ペ」が「ケ」に化けたといったところでしょうか。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。

ニタトルシペ
 川湯市街の北東に位置する、標高380.4㍍の山。
 ニタッ・オロ・ウㇱ・ペ「nitat-oro-us-pe 湿地・の所・にいる・もの(山)」の意で、湖からこの山裾までは広い湿地帯である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.349 より引用)
あれ、いつの間にか山名が先祖返りしていますね。地形図ではずっと「ニタトルシュケ山」表記のように見えるのですが、地元では「ニタトルシペ」と呼ばれていた……とかでしょうか。

nitat-oro-us-pe で「湿地・その中・そこにある・もの(山)」との解釈で良さそうな感じですね。何故「シペ」あるいは「シュペ」が「シュケ」に化けたのかは……謎です。

キナチャン沢川

kina-cha-us?
草・刈る・いつもする
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
ニタトルシュケ山の北から西を流れて、アメマス川に合流する川です。地理院地図には川として描かれていますが、残念ながら川名の記入はありません。

明治時代の地形図には「キナチヤウシ」という名前の川が描かれているのですが……何故か「ニタトルシユペ」の *南側* を流れていることになっています。

また、現在の「アメマス川」の下流部には「キナヤオロ」と描かれていました。この川については永田地名解に記載がありました。

Kina cha oro  キナ チャ オロ  蒲ヲ刈ル處 安政帳ニ中川トアルハ是レナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.347 より引用)
ただ、「キナチャオロ」と「キナチャン沢川」では少し違いがあるように思えますし、上流部(ニタトルシュケ山の北か南かという大きな問題はありますが)には「キナチヤウシ」という川名が描かれているので、「キナチャン沢川」は「キナチャウシ」だったか、あるいはそれに類する別名だったと考えたいです。

「キナチャン沢川」が「キナチヤウシ」だったのであれば、kina-cha-us(-nay?) で「草・刈る・いつもする(・川)」ということになりますね。ただ、「キナチヤウシ」が本当に「ニタトルシュケ山」の南東側の川だったとすると、「キナチャン沢川」は kina-cha-an-nay で「草・刈る・反対側の・川」とかでしょうか。

この場合の an-ar- の音韻変化形なのですが、こういった用法はこれまで見た記憶が無いので、ちょっと無理がありそうな予感もするのですが……。

トーパオマプ川

to-pa-oma-p?
湖・かみて・そこにある・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
国道 391 号と道道 102 号「網走川湯線」の間を流れて、最終的には「アメマス川」に合流する川です。地理院地図には川として描かれているものの、やはり川名に記入はありません。

明治時代の地形図では、この「トーパオマプ川」のことと思しき「トーバオマ」という川が、ニタトルシュケ山の北、野上峠の南のあたりから西に向かって屈斜路湖に注ぐように描かれていました。

戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。

またセヽキベツより並びて
     トマヲマフ
此川端延胡索多きによって号。トマは延胡索、ヲは多し、マフは有る儀也。是沼の内第一番の大川也。此源に
     ニタトルシベ
といへる高山有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.449 より引用)
なんか色々と不思議な感じがしますね。「トーパオマプ川」ではなく「トマヲマフ」だとするのは良いとして、「是沼の内第一番の大川也」というのは……?

改めて明治時代の地形図を眺めてみると、「セセㇰペッ」(=湯川)と「キナチャオロ」(=アメマス川)の北に「トーパオマ」という川が描かれていました(「マ」の後ろに別の文字がついているかもしれませんが判読できず)。陸軍図では川湯温泉の北に湿地が広がっているように描かれているので、現在「アメマス川」として注ぐ水の多くが、当時は北側の「トーパオマ」を流れていた可能性もありそうです。

「トーパオマ」であれば to-pa-oma で「湖・かみて・そこにある」と考えられますが、「東部久須利誌」では「トマヲマフ」とあり、これだと toma-oma-p で「エゾエンゴサクの根・そこにある・もの(川)」と解釈できます。

これはちょっと悩みどころですが、幸いなことに永田地名解にも記載がありました。

Tō pa omap  トー パ オマㇷ゚  沼頭ニ在ル川 安静帳大川トアリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.347 より引用)
あー、やはりと言うべきか to-pa-oma-p と考えたようですね。多数決というわけでは無いですが、to-pa-oma-p で「湖・かみて・そこにある・もの(川)」と考えて良さそうです。

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