2022年10月30日日曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (983) 「チャラケンナイ川・札友内・ルラフシナコイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

チャランケンナイ川

{cha-tek}-kere-nay?
{小枝}・削らせる・川
(? = 典拠あり、類型未確認)
釧路川の西支流で、弟子屈町字札友内のあたりを流れています(地理院地図では「チャラケンナイ川」ですが、国土数値情報では「チャラケンナイ川」)。このあたりは釧路川の西支流が三つ並んでいますが、チャランケンナイ川は最も北側を流れています。他の西支流と比べると長さが倍ちかくあるのが特徴でしょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「チヤテケレナイ」という名前の川が描かれています。戊午日誌「東部久須利誌」にも次のように記されていました。

またしばし過西岸
     チヤテケレナイ
小川、急流。上高山に成たり。此沢両岸より樹の枝多く出て有る故に、両手にて其枝を手にて刎のけのけして沢まヽを上るが故に号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.438 より引用)
また永田地名解には次のように記されていました。

Chatekere nai  チャテケレ ナイ  樹林ノ傍ナル川 河側ノ樹木茂生スル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.344 より引用)
大筋では似た解と言えそうでしょうか。その後「テケレ」が「ランケン」に化けて現在に至る……と言ったところでしょうか(ん、「ラ」と「ケ」の間の「ン」はどこから出てきた?)。

cha は「枝」で kere は「削る」なのですが、これだと te が余ってしまいますね。さてどうしたものか……と思ったのですが、{cha-tek} で「{小枝}」を意味するとのこと。せっかくなので知里さんの名調子を引用してみますと……

cha-tek-e) cha を構成する個々の小枝。柴の枝。<cha(柴)tek (手)。── tek わ,もと“手”の義であるが,木に就いて云う時わ“枝”をさす。ni-tek“木の手”すなわち“木の枝”, has-tek “小枝の手”すなわち“小枝の枝”,等。樹枝のことを「にモン」ni-mon とも云うが,これも“木の手”の意味である。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.264 より引用)※ 原文ママ
ふむふむ。確かに他の辞書にも tek は「手」を意味するとありますね。

これわ木の幹から枝の出ている恰好が人間の體から手の出ているのに似ているから譬喩的に手と云ったのでわなく──その様な譬喩でわなく──アイヌわ實際枝を樹の手と考えていたのである。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.264-265 より引用)※ 原文ママ
「譬喩」は「比喩」のことで、「譬喩」も「ひゆ」と読むとのこと。本題に戻りますが、この川ではその「植物の『手』」を払い除けながら進む必要があった……ということですね。{cha-tek}-kere-nay で「{小枝}・削らせる・川」と考えて良さそうでしょうか。

札友内(さつともない)

sat(r)-tom-oma-nay?
葭原・途中・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
国道 243 号と国道 391 号の重複区間が終了し、国道 243 号は「札友内橋」で釧路川を横断して西岸に入ります。釧路川の東岸が「字美留和」で、西岸が「字札友内」と言えばわかりやすいでしょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「サツトモヲマナイ」という川が描かれていて、明治時代の地形図にも「サツタモマナイ」という川が描かれています。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。

サットモナイ
 国道243号の札友内橋のすぐ下手を、西側川から釧路川に流入。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.315 より引用)※ 原文ママ
ん……? 確かに「札友内橋」のすぐ南に川が流れていますが、国土数値情報ではこの川は「ルラフシナコイ川」となっていますね。どうやらこのあたりの川名はかなり混乱がある(あった?)ようで、「チャラケレナイ」(=チャランケンナイ川)の項にも次のように記されていました。

チャラケレナイ
札友内川(地理院・営林署図)
 札友内五十二線のすぐ上手で、西側から釧路川に流入している。地理院図や営林署図は、この川を札友内川と記入してあるが、これはまちがいであろう。松浦山川取調図は美留和川の下手にサットムマナイが記されており、これは官林境界図や実測切図(北海道庁・20万分図)と一致している。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.315-316 より引用)
これで「サットモナイ」の位置の件は一件落着したかのように見えて、国土数値情報ではしれっと「ルラフシナコイ川」になっているので手に負えませんね……。とりあえず「東西蝦夷──」と明治時代の地形図を信用して、「札友内橋」の南の川が「サットモナイ」だったと考えるしか無さそうでしょうか。

戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。

また並びて
     サツトムマナイ
本名シヤリヲマナイと乙名メカンカクシは云也。此川の上に蘆荻原有と云。またコロコ、タンコアイノ等申には此川谷地中を潜り来るによつてとも云。少しの異り有るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.437 より引用)※ 原文ママ
肝心の解釈についても、なんとインフォーマントの間で意見が割れていました。sat(r)-tom-oma-nay で「葭原・途中・そこにある・川」で、本来の名前は sar-oma-nay で「葭原・そこにある・川」だ……と読めますが、sat-tom-oma-nay で「乾いた・途中・そこにある・川」だという意見もあった、ということでしょうか。

永田地名解には次のように記されていました。

Sattamoma nai  サッタモマ ナイ  吥坭ノ間ニアル川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.344 より引用)
「吥坭」は「やち」なので、これは sarsat に音韻変化したものと考えられそうでしょうか。やはり sat(r)-tom-oma-nay で「葭原・途中・そこにある・川」と見て良さそうに思えます(実はそう判断する理由がもう一つあるのですが)。

ルラフシナコイ川

rar-kus-nay?
潜る・通る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
国土数値情報によると、国道 243 号の「札友内橋」の南で合流する川は「ルラフシナコイ川」という名前だ……ということになっています(この川が実は「サットモナイ」じゃないかというのは前項に記した通りです)。

この川と、北に位置する「チャランケンナイ川」の間には「札友内51線沢川」という川が流れていることになっていますが、明治時代の地形図では、この川は「ラルクシユナイ」と描かれていました。「ラルクシユナイ」と「ルラフシナコイ川」、二箇所で順序を入れ替えて二文字直せばそっくりですね!(それだと選択肢が無数に増えるのでは

「東西蝦夷山川地理取調図」には「チヤテケレナイ」の南隣に「ラウクシナイ」という川が描かれていました。この川については戊午日誌「東部久須利誌」に次のように記されていました。

またしばし過て山道
     ラウクシナイ
溪間の小川也。沢ふかきよりして号く。ラウは深し、クシは在る儀。深く在る沢と号し也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.438 より引用)
「ラウは深し」とありますが、確かに raw は「水などのもぐって行く中、深いところ、沈む底の方」とありますね(「アイヌ語沙流方言辞典」より)。ただ今回の川名は、永田地名解には少し違った形で記録されていました。

Raru kush nai  ラル クㇱュ ナイ  潜流川 川尻ニ至リ地中ヲ潜流ス故ニ安政帳「オラルクㇱュナイ」ニ作ル
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.344 より引用)
rar-kus-nay で「潜る・通る・川」と見て良さそうでしょうか。どこかで聞いた話ですが、戊午日誌の「サツトムマナイ」のところで「此川谷地中を潜り来る」とあるんですよね。川名をヒアリングしたときにちょっと混乱があったのかもしれません。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事