2011年5月28日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

アイヌ語地名の傾向と対策 (51) 「朱太川・寿都・弁慶岬・本目」

 


マニアック路線をひた走るせいで、ご覧になった方の大半は引いているんじゃないかと不安に思いつつ、続けます(←



朱太川(しゅぶとがわ)

朱太川は黒松内町を流れる川で、河口の部分だけ寿都町域です。それにしても黒松内というのも面白い町域で、太平洋までもっとも近いところで約 300 m、日本海までももっとも近いところで約 300 m まで迫りながら、どちらにも面していないんですね。

さて、その「朱太川」ですが、もともとは supki-pet で「葭・川」という意味だったのだそうです。ただ、これだと「シュㇷ゚キペッ」となるので少々違和感が残ります。この辺は山田秀三さんも見逃すことなくきちんと私見を記されています。

 シュㇷ゚キ(スㇷ゚キ。アイヌ語ではシャ行,サ行は同音)は「葭」の意。朱太川の河口の低湿原野が葭原だったのでシュㇷ゚キ・ペッと呼ばれた。他地方でも,シュㇷ゚キはよくシュッキの形で地名に残っている。それから寿都に訛ったのであろう。また川口の辺がシュㇷ゚キ・プトゥ(朱太川の・川口。ペッはよく略される)と呼ばれ,それから朱太の名が出たのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.456 より引用)

道内には「空知太」「石狩太」などの「太」系地名がありますが、その多くはアイヌ語の -putu(「河口」)から来ているように思います。この「朱太」もそのひとつ、と言えそうです。

寿都(すっつ)

先ほどの引用部にも答?が出てしまっているのですが、より詳しく書かれている部分を再度引用してみましょう。

 上原熊次郎地名考は「スッツ。シュプトゥなり。則茅の崎と訳す。最初此処(朱太川口)にて夷人交易をなせしが諸事不弁利(不便)なる故イワサキ(今の寿都市街)に運上屋を移すといへども,スッツを場所名目になすなり」と書いた。また永田地名解は「寿都はシュㇷ゚キにあてたる文字にして原名はシュㇷ゚キ・ペッといふ川名なり。今朱太川或は寿都川と称す。往時アイヌ此川筋に住居したりしが,場所をテレケウシ,和名岩崎に開くに及び,シュㇷ゚キペッのアイヌを此処に移し,アイヌ出所の地名を用てシュㇷ゚キ場所と称す。後に訛りてスッツと呼ぶ」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.456 より引用)

というわけで、前述の supki(「」)が訛って「寿都」になったのだ、ということらしいのですが……。うーん。

ひとつ納得がいかない点がありまして、それはお隣にある「歌棄」との関係なんですね。「うたすつ」は ota-sut だとされますが、それだったら「しゅぶと」も sut-putu かも知れませんし、「すっつ」も sut でもいいじゃないか、なんて。いや、確かに sut-putusut では地名としてもかなり意味不明な部類に入るのですが、隣り合う「スッ」の語源が全く違う、というのにもちょいと引っかかりを感じるわけでして。まぁ、これは個人的な宿題にしておこうと思います(宿題多いな)。

弁慶岬(べんけいみさき)

「弁慶」という地名は道内各所にあって、その多くがアイヌ語の penke-(「川上の──」)に由来します(そして、その副産物として「義経伝説」がついてくる、という構造ですね)。なのでこの「弁慶岬」もその系統だろう……と思っていたのですが、

松浦武四郎東西蝦夷山川地理取調図にはヘニケウと書いてある。上原熊次郎地名考は「弁慶崎。ベニッケウなり。則背首と訳す。此崎獣の背首の形状なる故地名になすといふ」。この言葉は知里真志保博士によればペニㇰケウ(熊の頸椎,背骨の上方)となっている。永田地名解は「ペレケ・イ。破れたる・処」と書き,すぐ次に「ポロ・エトゥ。大・岬。和俗弁慶岬と云ふ」と記した。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.456 より引用)

むはー。わけがわかりません。「ペニㇰケウ」は penik-kew とでもなるのでしょうか。kew は「体・死体・骨」といった意味のようですが、penik (?)の意味がどーにも不明です。

ちなみに実際の弁慶岬は、このあたりにしては珍しく、とても山容の穏やかな岬です。たまたま天気が良かったのも印象に影響を与えているかもしれませんが……。

本目(ほんめ)

島牧村に入って「本目」についてです。山田秀三さんには華麗にスルーされてしまったので、「角川──」から引用してみましょう。

地名はアイヌ語のフムベナイによるといい,「鯨川」の意。「寄鯨ノ上リタル処,今本目村ト称ス」という(北海道蝦夷語地名解)。このほか,西側のホンムイ(小湾の意)の地名によったとも考えられる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1395 より引用)

humpe-nay (「鯨・沢」)の「フㇺペ」が「ほんめ」になった、という解釈も成り立つのですが、pon-moy小さな・入江)から転訛したと考えた方が、より自然かなぁ、と思います。

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事