2011年5月15日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (48) 「神恵内・泊・アメリカソリ・堀株」

 

本日は軽くミステリー仕立てでお送りします(どこがだ)。

神恵内(かもえない)

kamuy-nay?
神・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
音を聞いた限りでは「あれ、なんだろう?」と思ったのですが、何のことはなくて kamuy-nay(「神・川」)に由来するのだそうです。「カムイ」が「カモエ」に転訛した、ということのようです。

ただ、ひとつ厄介なことがあって、確かに地名は「神恵内」なのですが、神恵内を流れる川の名前は「古宇川」と言います。この軽微な矛盾?については、山田秀三さんは次のような考えを開陳されていました。

とにかくこの辺は昔はフルウであるが今は神恵内と呼ぶ。ただしどの川のことか忘れられている。
 神恵内市街の処の沢といえば,北から「長屋の沢」という小沢が下っている。この沢の名かなと考えながらも確かめれず(ママ)に帰った。その時に同行の兼平睦夫さんが,後にこの沢の小字名を調べられた。上からカモイ沢,カモイ川,茶屋町となっているという。運上屋のすぐそばの沢で,入口の辺が茶屋町であって,当時では中心的な処だったろう。たぶんこの沢の名がカムイ・ナイであって,それがこの処の名として神恵内となり,大地名化したので,その名の発祥地の方は一般的には忘れられたのであろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.477 より引用)
なるほど、ありそうな話ですね。ちなみに、「古宇川」の「フルウ」についてはその由来が釈然としないようです。永田方正翁は「フレナイ川」と記録しているのですが、「ここは『やち水』の川ではない」という意見もあるようですので。

泊(とまり)

moyre-tomari
静かな・泊地
(典拠あり、類型あり)
「角川──」には「泊村」の項目自体が無かったので「あれ???」と思ったのですが、まぁ仕方が無いとして……。山田秀三さんの「北海道の地名」を見ると、もともとは moyre-tomari と呼ばれていたところが、今の「泊村大字泊村」のようです。意味は「静かな・泊地」といったところでしょうか。

アメリカソリ(あめりかそり)

ここで取り上げるのはどうかと思ったのですが、あまりに意味不明な地名なので……。これ、正確には泊漁港のほぼ真南にある岩礁の名前、のようです。

http://www.aunet.ne.jp/~tomari/katsudou/k5.html によると、「『ソリ』とは岩礁に波があたって砕け散る様子を表す漁師言葉」とあります。ちなみにアイヌ語では so は「」で、ri は「高い」といった意味もあるので、なーんとなく親近感も湧いてきたりするのですが……閑話休題。

「アメリカ・ソリ」という地名は、明治の頃に「アメリカ船が難破した」という故事に由来する地名だ……とされているようなのですが、実際には、この地に「アメリカ船のもの」と伝わる「モントゴメリーの鐘」が打ち上げられた、という話なのだそうです。

ところが困ったことに、「モントゴメリーの鐘」の持ち主だったと考えられる「モントゴメリーシャー」はアメリカ船ではなくイギリス船で(これはまだ良い)、しかも青森県下北半島の東通村「小田野沢」沖で沈没していたのだそうです。

どうでもいいのですが、この「小田野沢」という地名も、アイヌ語の ota(砂浜)と関連があるかも知れませんね。例えば ota-nay とか。

えーと、つまり、下北沖で難破した筈の船の備品だった鐘が、どうして泊村の沖合で発見されたのか、というのがちょっとしたミステリーになっているのだそうです。http://www.aunet.ne.jp/~tomari/katsudou/hokoku_1.html に詳細があるので興味を持たれた方は是非ご一読を。

堀株(ほりかっぷ)

horka-p?
後戻りする・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
泊原発のあるあたりの地名なんですが、これは……ちょっと読めないですよね。山田秀三さんの見立てによると horka-p で「後戻りする・もの」ではないかとのこと。「後戻りする」というのは「逆流する」という意味ではなく、河川のルートが U ターンしているようなもの、と取るのが一般的なようです。

詳細を引用してみましょう。

 上記西蝦夷日誌によれば堀株は元来は川の東岸の砂浜の処の名である。行ってみると河跡湖のようなものが,ぐにゃぐにゃに曲がって残っている。古くは川口から上って行くと,川上が海の方に向かっていたりしていた場所である。それで,ホㇽカㇷ゚「horka-p 後戻りする・もの(川)」と呼ばれ,川口北岸のこの場所の地名となり,また後に川の総名にも使われて堀株川となったのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.471 より引用)
なるほど、確かに一理ある解釈です。ただ、今まで見てきた「ホㇽカ」の多くは上流部で向きを変えていたものでした(糠平近郊の「幌加」とか、雨竜川筋の「幌加内」とか)。他ならぬ知里さんの「地名アイヌ語小辞典」にも、次のような一節があります。

horka ほㇽカ 《完》‘後戻りする’の意。地形について云えば,上流でくるりと方向を変えて海の方に向かって行っている枝川を云う。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.30 より引用)
そう、「上流で方向を変えて」としているんですよね。で、実際に堀株川の上流を見てみると、これまた見事に U ターンしていたりします(南南西に向かっていたのが、北北西に向きを変えています)。


もしかしたら、horka-p の由来はこちらのことかも知れないなぁ……と思ったりもするのですが、どうでしょうか?

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