2011年6月4日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (53) 「須築・島歌・虻羅・梅花都」

 


はい、週末は相変わらずコアでディープな話題を続けます。



須築(すつき)

せたな町の最北端に位置する集落ですが、珍しく「角川──」が頑張っているので、さっそくどっかーんと引用(どんな引用だ)してみましょう。

 すつき スツキ <瀬棚町>
〔近世〕江戸期から見える地名。西蝦夷地スツキ場所のうち。シツキともいい,棄木・須築とも書いた。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.769 より引用)

「場所」というのはアレです。「場所請負制」という、知行地での商取引を民間にアウトソースする仕組みがあったのですが、その舞台ですね。「場所」が開かれていた = 江戸時代から栄えていた、という理解で大枠は間違い無いと思うのですが……。続けましょう。

地名の由来に関しては,「蝦夷地名考并里程記」に「スツキ……夷語シユプキなり,則茅といふ事にて,此沢に茅ある故此名ある由」とあり,松浦武四郎「西蝦夷日誌」に「本名シユフキ、訳して芦荻也」,「北海道蝦夷語地名解」には「シュプキペツ,葭川」と見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.769 より引用)

ふむふむ、ふむふむ……。supki-pet で「葭・川」というわけですね。ん、ということは「須築」(すつき)も「寿都」(すっつ)も由来を同じくする可能性があるわけですか。前述の通り、寿都の近くには「朱太川」(しゅぶとがわ)や「歌棄」(うたすつ)もあるので、「すつ」系の地名が集中している印象があります。これが単なる偶然なのか、それともルーツを辿ると一つになるのか、何となく後者じゃないかなぁと思いながら、次行きましょう(←

島歌(しまうた)

これは簡単に答が出そうです。いや、わざと簡単なものを選んでいる訳ではn(ry ……えーと、suma-ota で「石・砂(浜)」ですね。答合わせも兼ねて、「角川──」も見てみましょう。

 しまうた 島歌 <瀬棚町>
古くは下ヲタとも書いた。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.668 より引用)

「下ヲタ」ですか……。ヲタの世界にも古くから厳然としたヒエラルキーが存在していたことがこれで証明されました(←←←

地名はアイヌ語のシュマオタ(石沙の意)に由来するという(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.668 より引用)

はい、えー、そういうことですね。では次!(←

虻羅(あぶら)

はい、これまた議論の的になりそうな地名にぶつかったようです。

 あぶら 虻羅 <瀬棚町>
古くは油と書いた。檜山地方北西部,日本海沿岸の稲荷岬北側の入江付近。当地のもとのアイヌ語地名はピリカモイで,良湾を意味した。湾内は波が静かで,海面が油のように見えることから和人がアブラと呼称し,これが地名となったという(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.92 より引用)

ついつい「ホントかなー」と思ってしまいます。だいたい「波が静かな海面」を「油のように見える」なんて言うかなぁ、と。なので、もともと「アブラ」相当のアイヌ語地名があったのではないかと。

続けましょう。

松浦武四郎「再航蝦夷日誌」に「アフラ,此処岩ワシリ。奇岩怪石畳々たり。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.93 より引用)

とあり、また

同「廻浦日記」に「アブラ,出稼小屋多し。此地は熊石村の人六と云爺の見立て切開し場所なりと……実によろしき澗にて,出稼一面に有。夷人はヒリカトマリと云しと。小川有」と見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.93 より引用)

ともあります。なので、もともと「アブラ」という地名があり、そこを漁港として使うようになってから「ピリカトマリ」と言うようになったのでは? とも思わせます。

では、肝心の「アブラ」が何なのか、という話ですが、apu-ra(-ke) で「裂けて・低い(・所)」あたりではないかと。いや、apu に「裂ける」という意味があるかどうかは浦賀、じゃなくて裏が取れてないんですけどね(知里さんの「──小辞典」には「流氷;海氷」とだけ書いてある)。

地形図を見る限りでは、悪くない想像だと思うのですが、どうですかお客さん!?

梅花都(ばいかつ)

こいつはまた意味不明な地名に遭遇してしまいましたね……。困った時の山田秀三さん頼みで行きましょう。

松浦氏西蝦夷日誌は「ハイカツシ。大岩。ものを背負し如き岩。依て号く」と書き,永田地名解は「パㇰカイ・シュマ。負石(せおひいし)」と書いた。行ってみると浜に巨岩があり,それにくっついた細長い岩があった。パッカイ・ウㇱ(pakkai-ush 子を背負う・いつもする)ぐらいの名から来たのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.453-454 より引用)

うーん、さすがの山田さんも少々投げやり気味でしょうか(←)。松浦武四郎の「再航蝦夷日誌」によれば、この地は「ハイカチ」とあるようで、そうなると pakkai-ush からは少々外れてしまう印象がありますし、pakkaiush で受けるのも、少々語法としても変な感じがあります。

「ハイカチ」が「ハカイチ」の音韻転倒形である、という大胆な?推測がベースではあるのですが、pakkay-chi で「子を負う・多くある(続ける)」というのはどうでしょうか? あるいは、pakkay-suma が中途半端に和訳されて pakkay-ishi(石)で「パッカイ石」になった、とか……。実は、これが本命じゃないかと密かに思っているのですが……。どうですかお客s(ry

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