2016年4月9日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (331) 「鳧舞・シュムロ川・本桐」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

鳧舞(けりまい)

新ひだか町の東部を流れる川の名前です(地名は「三石鳧舞」)。かなりの難読地名ですね。この地名を取り上げるのも実は二回目だったりしますが……(最近だと「浦河」も二回目でした)。

さて、この「鳧舞」の語源について、「アイヌ語地名の傾向と対策 (3) 『沙流川・静内・鳧舞』」では次のように記していました。

肝心の意味は残念ながら諸説あるようで、keri-oma-p(靴のある所)、kero-oma-pヒザラガイのある所)、keni-oma-p(ヒルガオの根のある所)などが挙げられています。
アイヌ語地名の傾向と対策 (3) 「沙流川・静内・鳧舞」 より引用)

もう少し詳しく見ておきましょうか。戊午日誌「東部計理麻布誌」には次のように記されていました。

ケリマフは三石の領分なるが、基本名はケリヲマフと云なるを、詰てケリマフと呼。其名義は、此川上に昔し一ツの城柵有て、其処え篭り、寄せ手の軍勢と数月対陣なし有りしが根米終(つい)に乏しくなりて、後に何も喰するものなく、魚にて作りしケリを喰しによって号しものゝよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.495 より引用)

頭注には「沓(くつ)  ケリ」とあります。どうやら keri-oma-p 説はここから来ているようですね。

「東蝦夷日誌」には、次のように記されていました。

ケリマプ〔鳧舞〕(川西、夷家一軒、幅廿間、船あり)名義、ケリヲマフにて、魚皮沓(ケリかわぐつ)有る義。往古此處に城有、合戦に負て龍城し、糧盡、ケリ迄も喰たると云より號(なづけ)しと云。又ケロマプと云、ケロは松前方言ムイと云貝なり、マプは在也、漢名爺脊(ヲイカセ)面云貝ある故とも云り。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.184 より引用)

「盡」は何だったかなーと思ったのですが、「尽きる」の旧字でした。前半部は戊午日誌の内容を踏襲していますが、後半部に新ネタが紛れ込んでいます。これが kero-oma-p 説の出処のようです。念のため知里さんの「動物編」で確認してみたのですが、「動物編」の記載自体が「東蝦夷日誌に記載あり」という状態だったので、残念ながら循環参照状態のようです。

永田地名解も「靴」の解を踏襲していたようですが、やや進化?が見られます。

Keri map  ケリ マㇷ゚  履燒場 土人飢餓ニ堪ヘズ鞋皮履キテ燒キ食ヒシ處ナリト云フ○鳧舞村
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.264 より引用)

keri-ma-p で「靴・焼く・ところ」と考えたようですね。

一方で、更科源蔵さんは従前の説を批判した上で、次のように記していました。

ケリマプの意味がわからないため、ケリ・マ・プで「土人飢餓ニ堪ヘズ鮭皮履キテ焼キ食ヒシ処ナリト云フ」などと伝説のついた地名に解されたこともあったが、ケリマプはケニ・オマ・プでひるがおの根のある処の意。ひるがおの根は食料になった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.84 より引用)

誰とは言いませんが永田方正さんの説が槍玉に上がっていますね(笑)。「ひるがおの根」は知里さんの「植物編」によると kenkittes、あるいは kitesh とあり、日高では kittes あるいは kitesh が優勢であったように記されています(更科さんのホームグラウンドである道東では ken が優勢だったようです)。

ただ、服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」によると、keni は「芽」という意味で広く使われていたようですから、更科さんの解も必ずしも全否定されるものでは無いように感じられます。keni-oma-p で「芽・ある・ところ」あるいは「芽・生じる・ところ」という解釈も十分考えられそうですね。

シュムロ川

日高本線の本桐駅の南側で鳧舞川と合流する支流の名前です。早速ですが戊午日誌「東部計理麻布誌」に次のような記載を見つけました。

其上二丁計にして
     シユモロフト
西岸大川也。其川口広く巾凡十余丁もひらけたり。其名義はシユフンフトと云り。此川広野を流れ来る処なれば、遅流なる故に桃花魚多く有るよりして号しもの也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.497-498 より引用)

「桃花魚」は「ウグイ」のことですね。どうやら supun-putu で「ウグイ・河口」と考えたのでしょうか。あるいは supun-pet が転訛したものかもしれません。

一方で、頭注には次のように記されていました。

永田地名解は
西 川
シユムン・オロ
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.498 より引用)

何も孫引きにする必要は無かったのですが、永田地名解に該当の記載を見つけられなかったものでして。「Shumoro kotan」で「西村」というのは見つけられたのですが……。

前提知識無しで「シュムロ」と聞けば、やはり sum-oro(-pet) で「西・のところ(・川)」かな、と考えてしまいます。ただ、sum は「油(原油)」とも解釈できるので、もしかしたら「油のところ」という意味である可能性も……ゼロではないかな、と思ったりもします。

参考までに、永田地名解には次のようなエントリもありました。

Shumu usei  シュム ウセイ  吥坭水(ヤチミヅ)三石場所ノ原名ナリト土人云フ直譯油出ル所
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.264 より引用)

場所は良くわかりませんが、三石のどこかであることは確かなようです。

本桐(ほんきり)

国道 235 号線は鳧舞のあたりも海沿いを通っていますが、JR 日高本線はやや内陸部を通っています。鳧舞から川沿いに少し遡ったところに日高本線の「本桐駅」があります。

地名ですが、駅の名前でもありますので、日本国有鉄道北海道総局謹製の「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  本 桐(ほんきり)
所在地 (日高国)三石郡三石町
開 駅 昭和10年10月24日
起 源 アイヌ語の「ポン・ケリマㇷ゚」(子であるケリマㇷ゚川)の下を略したものの転かしたものである。なお「ケリマㇷ゚」は、「ケニ・オマ・ㇷ゚」(ヒルガオの根のある所)の意である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.93 より引用)

改めて読んでみると「なぁんだ」という由来でしたね。いや、これだと直前の「鳧舞」のおまけでも良かったんじゃないかという話も出てきそうですが、決して楽をしたかったというわk(ry

「北海道駅名の起源」は高倉新一郎、更科源蔵、知里真志保、河野広道などの錚々たる面々によって執筆されていますが、「本桐」の項を誰が執筆したのかは大体わかってしまいますね(笑)。

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