2009年2月27日金曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北陸トンネル列車火災事故

 

北陸本線の敦賀と今庄の間には「北陸トンネル」という長いトンネル(13,870 m)があるのですが、37 年近く前に車両火災事故が発生し、多数の死傷者を出したことは……どの程度知られているのでしょうか。東名高速道路の日本坂トンネル火災事故も相当凄惨なものでしたが、死傷者の数では北陸トンネルの事故の方が遙かに多かったりもします。

北陸トンネルの事故ですが、当時は食堂車の「石炭レンジ」から出火した、などとも言われて、「だから食堂車ってダメだよね」といった話になったりもした……ような記憶がありますが、どうやら「石炭レンジ」説は事実誤認だったみたいですね。ちなみに「石炭レンジ」って何なのでしょう?(←

「レンジ」と言ったら「電子レンジ」しか知らないもので……。

規定通りの対応が被害を拡大させた

また、被害が拡大(死者 30 名、負傷者 714 名)した経緯も、なかなか考えさせられるものがあります。そろそろ手を抜いて、いつもの通り Wikipedia からパクり……あ、いやいや、引用しますか。

事故概要

午前 1 時 9 分頃、北陸トンネル内を走行中の大阪発青森行き 501 列車 急行「きたぐに」(EF70 形電気機関車牽引、10 系客車 15 両編成)の 11 号車食堂車(オシ17 2018)喫煙室椅子下から火災が発生。それに気付いた乗客からの通報を受けた車掌の車掌弁操作と機関士の非常停止措置により、列車は運転規定に基づいて直ちに停車した(敦賀側入口から 5.3 km 地点)。
(Wikipedia 日本語版「北陸トンネル火災事故」より引用)
列車は運転既定に基づいて直ちに停車した」というのがポイントでして。結果的にはこれが被害を拡大させた……と考えられます。

乗務員は列車防護の手配(対向の上り線に軌道短絡器を設置し、信号を赤にする)を行った上で消火器等で消火作業を開始したが、火勢が強まり鎮火は不可能と判断したため、車両の切り離し作業に取り掛かった。火勢の激しさとトンネル内の暗闇で作業は難航。1 時 24 分頃火災車両より後部を切り離し移動した後、1 時 29 分頃トンネル両端駅である今庄、敦賀両駅に救援を要請するとともに、引き続き火災車両より前部を切り離す作業に取り掛かった。しかし 1 時 52 分頃熱でトンネル天井に設置されていた漏水誘導用樋が溶け落ち、架線に触れてショートを起こし停電したため、列車は身動きが取れない状態に陥った。
(Wikipedia 日本語版「北陸トンネル火災事故」より引用)
乗務員はひたすら規定通りに対応したことが読み取れます。最終的な判断は、火災を起こした 11 号車を隔離するというもので、11 号車より後ろを切り離すことには成功しました。絵にするとこんな感じでしょうか。

火災発生時(1:09)
□□■□□キ→
1:24 時点
□□  ■□□キ→

最終的には、乗務員は

□□  ■  □□キ→

この形に持っていきたかったわけですが、その前に架線が焼け落ち、身動きが取れなくなった、ということのようです。

うぉぉ、時間がないので続きはまた今度!

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事