2012年12月18日火曜日

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第186回「D51 は D51 では無い」

 


曰くありげな「D51-23」

「振内鉄道記念館」の屋外に展示?されている「D51-23」についての話題です。


はい。ご覧の通り、結構サビが広がっていて、少々残念な状態なのですが……。

「D5123」の写真

さて、Wikipedia を見ていると、ちょうどありがたいことに「国鉄D51形蒸気機関車 23号機」の写真が見つかりました。こちらです。


(Wikimedia Commons より借用。日本を法管轄とするこの写真画像は、(1)1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。または、(2)1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)され且つ起算日から10年以内に公表されなかったものである。これらの二つのいずれかであるため、日本の旧著作権法第23条及び著作権法附則第2条の規定により著作権の保護期間が満了しています)

随分と違って見えます。……いや、違います、ですね。この「D5123」は、1930 年代にあった「流線型」ブームに乗る形で、煙突と砂箱、給水暖め器を一体型に覆うカバーをつけたもので、しかもカバーが運転台まで伸びているという、非常に変わった形の個体だったみたいです(俗に「おおナメクジ」と呼ばれたのだとか)。

一方で、振内にある「D51-23」は、ご覧の通り、煙突と砂箱は完全セパレートタイプです。


Wikipedia の記事によれば、「D5123」の「おおナメクジ」は、後に「通常の『ナメクジ』型」に改装された、とあります。通常の「ナメクジ型」というのは、このようなものです。


(Wikimedia Commons より借用。この作品の著作権者である Ariake 氏は、この作品を以下のライセンスで提供しています。: クリエイティブ・コモンズ表示 - 継承 3.0 非移植ライセンス)

うーん、それでもやっぱり形が異なりますね。一体どうしたことでしょう?

D51 は D51 では無い

実は、この D51 は「国鉄の D51」では無かったのでした。

1949年、ソビエト連邦へ輸出物資の一環として、30両がサハリンに送られた。なお、よく賠償物資として輸出との誤解がみられるが、正規の条約である日ソ共同宣言の締結は昭和31年であり、条約締結以前に賠償物資の請求は原則的にありえない。そして日ソ共同宣言時には条約第6項においてソビエトは日本に対し賠償請求権を放棄している。また当時の複数の文献「機関車」第3号(1949年11月発行)や「交通技術」51号(1950年10月号)にも正規の輸出との記述が存在する。一方「賠償輸出」という供述が見られ始めたのは、往時の記録があいまいになりだし、孫引きが増加した1970年代以降のことである。
(Wikipedia 日本語版「国鉄D51形蒸気機関車」より引用)

という話がありまして……。1949 年と言いますから、戦争に敗れてから 4 年後の話ですね。シベリアに多くの日本兵が抑留されていた時期に、なんと D51 を「輸出」していたとは驚きました。

そもそも、昨日の記事で「何か曰くありげに見える」と書いたのは理由がありまして……。本文を注意深くご覧になった方はお気づきかも知れませんが、

これらは、同年1月から4月にかけて5社で製造されている。サハリン向けに輸出されたものは、国内向けのものと区別するために、形式番号と車両番号の間にハイフンが入っている(例えば、国内向けは「D51 27」であるのに対して、サハリン向けは「D51-27」)。
(Wikipedia 日本語版「国鉄D51形蒸気機関車」より引用)

これが理由です。(旧)国鉄の蒸気機関車は、ナンバープレートにハイフンは入らない筈なのですね。ところが、この D51-23 にはハイフンが入っている。これは何か曰くがあるに違いない……ということです。



D51-2 はいずこへ?

ちなみに、サハリン向けに輸出された D51 は、全部で 30 両あったらしいのですが、日本国内に現存するのは 3 両のみ……のようです。

  • サハリン州鉄道D51形
  • D51-1 : 新潟県柏崎市「柏崎駅前公園」(2011年7月解体)
  • D51-2 : 北海道沙流郡平取町
  • D51-22 : サハリン州ユジノサハリンスク市「ユジノサハリンスク駅前公園」
  • D51-23 : 北海道沙流郡平取町「振内鉄道資料館(振内駅跡)」
  • D51-25 : 北海道勇払郡鵡川町(現・むかわ町・保存後解体)
  • D51-26 : 北海道勇払郡鵡川町(現・むかわ町・保存後解体)
  • D51-27 : 北海道野付郡別海町「別海町鉄道記念公園」(西春別駅跡)
(Wikipedia 日本語版「国鉄D51形蒸気機関車」より引用)

D51-27 は別海町西春別にあるらしいのですが、もう 1 台の D51-2 も、これを見ると平取町内にあるように見て取れますね。一体どこにあるのでしょう……?

そんなわけで

謎が謎を呼んでしまった感もありますが、とりあえず、車に戻りましょう……。


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