2015年6月16日火曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

道東の旅 2013/春 (194) 「炭鉱の町・木材の町・海の町」

 

炭鉱の町

釧路は「炭鉱の町」でもありますが、釧路炭田の採掘が本格化したのは明治 21 年(1888 年)のことなのだとか。別の言い方をすれば、イザベラ・バードが「日本奥地紀行」を敢行したのが 1878 年のことですから、それから僅か 10 年後(!)の出来事ということになります。
当然、明治の頃には掘削ドリルのような便利なものは無く、ツルハシ片手に手掘りで採炭していた……ということでしょうか。炭鉱労働者には「友子制度」と言われる独自のチーム制度があり、その中で後進の育成(技能の継承)が行われていたのだそうです。

木材の町

釧路は「炭鉱の町」でもありますが(あれ?)、炭鉱産業が斜陽化した現在では「製紙の町」としての存在感のほうがむしろ大きいかも知れません。製紙には清冽な水と、そして何よりもパルプの原材料となる木材が豊富に供給されている必要がありますが、釧路はその両方を満たす土地でもありました。
日本の木材は戦後の経済成長で国際的競争力を失ったまま現在に至りますが、明治から昭和にかけては国内外の鉄道建設ブームもあり、大量の枕木が釧路港から出荷されたのだそうです。

港の町

そんなわけで、釧路は港町でもありました。左は釧路市知人にある「釧路埼灯台」の写真です。この灯台は現存するようですが、周りの雰囲気は随分と変わってしまっているのかも知れませんね。
「霧笛のこだまする街」ということで、「霧笛」も展示されていました。
……でかっ!(笑)

麗しのサブリナ

続いては大型フェリーの模型が出てきました。
釧路港を発着する長距離フェリーは既に廃止されてしまいましたが、ここに来て復活に向けての機運が高まっているのだとか。フェリーは安全性と経済性に優れた交通手段なので、どんどん復権して欲しいのですけどね。
船尾には「サブリナ」「東京」の文字が。そう言えば「麗しのサブリナ」という映画がありましたね。
あっ、船名の由来はそのままでしたか(汗)。釧路から東京まで約 32 時間というのは、苫小牧から大洗までを 18 時間で結ぶ商船三井フェリーと比べてしまうと少々厳しい感じもしますが、房総半島をぐるっと回って東京(晴海ですかね?)に向かうだけで 5~6 時間は余計にかかりそうな気がするので、ある程度は仕方ないのかも知れません。最高速力 25.4 ノットは、昨今の基準だとやや鈍速のような気もしますけどね。

海の町

今ではすっかり工業都市になってしまった釧路ですが、かつては漁業の街だった時代もあったようです。この漁船は大正から戦前にかけてのものだそうで、焼玉エンジンを搭載して海の上を自在に動き回っていたのだとか。
おや? こちらの船はちょっと雰囲気が違いますね。:)

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事