2015年6月30日火曜日

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道東の旅 2013/春 (204) 「標茶町の地名は」

 

五十石へ

シラルトロ沼の畔を、北に向かって進みます。
沼を見下ろす小高い丘にはヨーロッパ風の建物が並びます。別荘でしょうか?
山の中をほぼ一直線に切り開いた道路を進みます。
国道 391 号は再び JR 釧網本線と並走します。このあたりは「五十石」という地名なのですが、果たしてどんな由来があるのでしょう?

  五十石(ごじっこく)
所在地 (釧路国)川上郡標茶町
開 駅 昭和2年9月15日 (客)
起 源 明治20年代川湯のアトサヌプリ(裸の山)の硫黄運搬のため、釧路川を五十石船がここまでさかのぼってきたので、こう名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.161 より引用)
へぇ~。アイヌ語由来では無いですが、これもある意味由緒のある地名なんですね。

標茶市街

五十石駅の少し北で、国道は JR をオーバークロスし、そのまま釧路川まで渡ってしまいます。
釧路川の西岸を北上します。標茶市街まではあと 5 km です。
標茶町の中心地にやってきました。国道 274 号はここが終点で、国道 274 号に続く道を右折すると「開運橋」を渡って標茶駅にたどり着けます。
標茶の集落は東側に駅があり、西側には国道が通っていて役場などがあります。その間を南北に釧路川が流れているのですが、とてもバランスよく出来ていて面白いですね。

失われたアイヌ語地名

標茶市街を抜けて、弟子屈を目指します。標茶市街の地名はみんなこんな感じでした。
たとえば、橋の名前は「開運橋」でしたが、地名も「旭」「桜」「平和」「麻生」に「常磐」「開運」「川上」といった感じで、アイヌ語由来の地名は失われてしまっているようです。

国道 391 号はしばらく釧路川の西側を走っていましたが、「瀬文平橋」で再び釧路川を渡って川の東側に戻ります。おっ、「瀬文平」はアイヌ語由来の地名のようですね。

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