2015年6月15日月曜日

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道東の旅 2013/春 (193) 「本物の『衣料切符』」

 

幣舞橋と久寿里橋

「釧路市立博物館」の 2 階にやってきました。まるで楽しそうな動物の剥製が並んでいた 1 階とはがらりと雰囲気が変わって、いきなり「焼玉エンジン」が出てきたのは既報の通りですが、渋いチョイスはさらに続きます。
「幣舞橋」と「久寿里橋」が並んでいますが、これはどうやら実物の「橋名板」だったのでしょうか。久寿里橋は昭和 29 年のもので、幣舞橋は昭和 3 年のものだそうです。……昭和 3 年でも、普通に左から右に書いていたのですね(逆かと思ってました)。

戦争による人的被害

続いては、巨大な不発弾の写真です。これは 2008 年に見つかったものなのだとか。左下には「釧路市民の肉親の戦死地」と「釧路空襲の被害と被災地」と題されたパネルが並んでいます。左の地図を見た感じでは、フィリピンと沖縄での戦死者が飛び抜けて多いように見えますが、もっとも大きなグラフは右下の「死亡地不詳」のようですね。釧路空襲の死者は 192 人と出ています。1990 年代の二度の大地震よりも大きな人的被害を出していたのですね。
空襲の被害の写真と、左は竹槍で突撃する訓練の写真ですね。……まぁ、ここまでは良くある「反戦教育」の延長線上にある展示と言えなくもありません。

「戦時国債」と「衣料切符」!

しかぁし! ここから展示物のレベルがどんどんディープなものに……。続いてはこちらです。
「祝、出征」の幟と寄せ書きの書かれた日の丸です。「働き手を戦争に奪われた」というモチーフなのでしょうが、なんともリアルな展示物ですよね。

そして、こんなものも展示されていました。
何やら見慣れない紙幣のようなものですが、これは「戦時国債」だったようですね。右が 50 円、左が 10 円のものです。そして、隣にはこんなものも……
ん、なんだろうこれは……と思ったのですが、実はこれ、
「衣料切符」と書かれています。戦時中は様々な物資が「配給制」に切り替わりましたが、衣料についても例外ではなく、この「衣料切符」との交換で支給されたのだと聞きます。

もちろん学校の教科書(あるいは副読本)あたりでしか見聞きしたことの無いものですが、こんなところで実物を目にすることになろうとは……。戦争について考える以前に、「戦時国債」や「衣料切符」の歴史的価値にグッと来てしまったのでした。

辱ウシ感謝ニ堪ヘス

そして、こんな「感謝状」も展示してありました。
「新戦闘機 四機」「右献納ヲ辱ウシ感謝ニ堪ヘス」「茲ニ深厚ナル謝意ヲ表ス」とあり、「陸軍大臣 東條英機」との文字があります。ちなみに「辱ウシ」は「かたじけのうし」、「茲ニ」は「ここに」と読むのだとか。

感謝状は釧路市民に向けて贈られたものだったようです。市民から浄財の提供があったのか、あるいは金属類供出の成果だったりしたのでしょうか。

戦争の悲惨さばかりを訴えかける類の展示が多く見られる中、豊富な一次資料をベースにした多角的な展示はとても貴重なものであるように感じられます。釧路市立博物館のレベルの高さを実感した一瞬でした。

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