2022年12月31日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1000) 「突呉別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

突呉別(とつくれべつ)

top-tuye-pet??
竹・切る・川
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
標津川の東支流である「モシベツ川」と、同じく標津川の北支流である「荒川」の間に「西竹山」という山が聳えているのですが、この山の頂上付近に「突呉別」という名前の三等三角点があります(標高 697.7 m)。

トツクレベツ=モシベツ川?

山の上の三角点の名前ですが、「トツクレベツ」と言うからには川の名前である可能性が濃厚です。明治時代の地形図には養老牛温泉の北あたりに「トツクレペツ」という川が描かれているのですが、これは現在の「モシベツ川」のことだと考えられます(この「トツクレペツ」は極端に短く描かれていてますが、この手の間違いはちょくちょく見られるものです)。

実際の「モシベツ川」はそれなりに長い川で、「標津岳」の近くまで遡ることができます。「トツクレベツ」(=モシベツ川)については永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Top tuye pet   トㇷ゚ ト゚イェ ペッ   竹ヲ切ル川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.379 より引用)
top-tuye-pet で「竹・切る・川」ということですね。これで決まりかと思ったのですが、改めて色々と調べてみると、これはこれで問題が多そうに見えてきました。

トツトエノツシヘツ≠モシベツ川?

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「トツトエノツシヘツ」という川が(標津川の)東支流として描かれていました。また戊午日誌 (1859-1863) 「東部志辺都誌」にも次のように記されていました。ちょいと思う所あって長目に引用しますと……

其よりしばしを過て左りの方
     ハウシベツ
相応の川也。両岸峨々たる高山。其訳は判官様が熊を捕らへられしが山に成りしと云り。またしばし上りて右のかた
     コツホ
小川有。其訳両方高く成り其中低きによつて号るなり。またしばし過て右のかた
     トツトエウシベツ
小川。此川すじ昔しは笹多く有りし由に、今はなし。両方峨々たる山也。またしばし過て
     モシーベツ
左りの方小川。是小さきシヘツと云儀なり。しばしまた上りて
     シアン
是二股にして両方同じ位の川すじ也。其右のかたテクンベウシノホリ、其後ろチウルイの源に成りてチセ子ノホリ、ヲン子ノホリ、シヤリ岳等鼎足ていそくに岐すなりと。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.633 より引用)
色々と問題のある記述ですが、最も重大なものは「モシーベツ」と「トツトエウシベツ」が別物として記載されているという点でしょうか。また「トツトエウシベツ」(=トツトエノツシヘツ)と「モシーベツ」(=モシイヘシ)の前後関係が逆になっているのも注意が必要でしょうか。

モシベツ川の正体を探る

「ハウシベツ」は現在の「パウシベツ川」のことだとして、「東西蝦夷──」と「東部志辺都誌(戊午日誌)」のどちらが実際の地形に即しているか考えてみると、以下のように読み替えると良さそうに思えてきました。

東西蝦夷山川地理取調図戊午日誌明治時代の地形図地理院地図
コツホコツホ(右の方相応の川)トツクレペツモシベツ川
トツトエノツシヘツトツトエウシベツ(右のかた小川)標津川
モシイヘシモシーベツ(左りの方小川)右の沢川
シノマンシヘツシアン(二股)右の沢川上流?

この解釈にも引っかかる点がいくつかあって、そもそも「戊午日誌」の左右を信用して良いのか、という話もあったり……(直前の「モアン」が左右を間違えていますが、「モアン」からは聞き書きなので、そこで間違いが正された可能性もあると判断しました)。また仮に聞き書き部分も左右を間違えていたとしても、その場合の「トツトエウシベツ」は「モシベツ川」の支流ということになるので、少なくとも「モシベツ川」本体とは成り得ないと言えそうです。

「シアン」の説明にある「其右のかたテクンベウシノホリ、其後ろチウルイの源に成りてチセ子ノホリ、ヲン子ノホリ、シヤリ岳等鼎足に岐すなり」という説明文も引っかかります。この「テクンベウシノホリ」は、お隣の標津町の「尖峰」(近くに「弁勲嶺」一等三角点あり)を指すと思われ、また「その後ろチウルイの源」という説明からは「俣落岳」のことだと考えることもできます。

どちらにしても標津川の上流部の説明としては不適切なので、これはインフォーマントが「俣落川」あたりの情報を誤って伝えてしまった可能性がありそうな感じですね。

トックレベツの「クレ」は

ということで、松浦武四郎の記録を見る限りでは「モシベツ川」と完全に同一ではないと言えそうな「トツクレベツ」ですが、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

トックレペツ
モシベツ川(地理院・営林署図)
 養老牛温泉の上流0.6キロ付近を、右側から流入している。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.398 より引用)
まぁ、実際にそのように見える地形図も存在するので、「モシベツ川」と同一視したくなりますよね。

 永田地名解は「トㇷ゚・トゥイェ・ペッ Top-tuye-pet 竹を切る川」とある。これでも理解はできるが、松浦川筋取調図からは(トㇷ゚・トゥイェ・ウㇱ・ペッ top-tuye-us-pet 竹を・切り・つけている・川)と解したい。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.398 より引用)
まぁ、確かにそうなんですが、「トㇷ゚ トゥイェ ペッ」がどのようにして「トックレペツ」に化けたのか……というのも気になるところです。また top(竹)についてはここまで満場一致なのですが、これも果たして信用していいのか……?

「トックレベツ」の「クレ」がどこから出てきたかという点については、top-tuye-us-pet で「竹・切る・いつもする・川」が top-us-pet で「竹・多くある・川」に化けた……と想像することも可能でしょうか。この場合、「シ」を「レ」に誤読したことになりますね。

もしかして……という話

また top(竹)ではなく tuk(小山)で、tuk-kus-pet で「小山・横切る・川」と読めそうな感じもします。本来の「トックベツ」が「モシベツ川」の支流だとしても、あるいは標津川の源流部を指していたとしても、いずれも最終的には鞍部を横切るような流れなんですよね。

なお kustuye に置き換えても意味するところがほぼ変わらないので、謎のお買い得感があるんですよね……。まぁ「竹」についてはここまで満場一致なので、これを覆すのは容易ではないのですが。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事