2022年12月17日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (996) 「カンジウシ川・所呂間内」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

カンジウシ川

kanchiw-us-i?
出水・多くある・もの(川)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
中標津町西部を流れる「ケネカ川」の東支流で、「ケネカ川」と「カンジウシ川」の間には同名の山もあります(標高 276.9 m、頂上付近に二等三角点「丸山」あり)。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「カンチウシ」という川が描かれていて、その上流に「カンチウシノホリ」という山も描かれています。この「カンチウシノホリ」は現在の「カンチウシ山」ではなく、現在「温泉富士」と呼ばれる山……でしょうか?(「温泉富士」の頂上付近には「観示守山かんじしゅやま」という二等三角点があります)

戊午日誌「東部奴宇之辺都誌」には、西別岳から見て「卯の正?にカンチウシ岳」とあり、この記述を正とすれば現在の「カンジウシ山」が「カンチウシ岳」ということになりますが、「東部志辺都誌」の記述を見ると、やはり「カンチウシノホリ」は現在の「温泉富士」の位置と考えたくなります。

「矢が当たって刺さるところ」説

戊午日誌 (1859-1863) 「東部志辺都誌」には次のように記されていました。

 またしばし上る哉、右
      カンチウシブト 
 一里塚有て川巾五六間。此川口より七八丁も上に新道の昼飯所有。前に標柱、従レ是ケ子ワツカえ一里十八丁、ケ子カフトえ三里廿丁としるす。是クスリ持にして、通行には此処えクスリより昼飯を持出して賄ふなり。地名の訳は矢の当りて刺ると云儀。是むかし土人弓矢を試し処也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.631 より引用)
「地名の訳は矢の当りて刺ると云儀」とありますが、ちょっと良くわからないですね……。ということで「辰手控」(1856) を見てみたところ……

○ カンチウシ  昼
 カン 当る、チ さすこと、ウシ さゝること也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 三」北海道出版企画センター p.342 より引用)
相変わらず「???」という印象なのですが、「地名アイヌ語小辞典」(1956) を見てみると……

katchiw かッチゥ 《不完》槍を投げてさす。[<kar-chiw(打ち・刺す)]
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.44 より引用)
あー。「カン」が「当たる」というのはちょっとした認識違いで、kat-chiw-us-i で「打つ・刺す・いつもする・ところ」ではないか……ということですね。

「櫂が置かれたところ」説

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Kanchi ushi  川西カンチ ウシ  櫂ヲ置キタル處 昔常呂郡所村ニ猛惡ノ「アイヌ」某アリシガ櫂ヲ以テ人ヲ打殺シ物ヲ奪ヒ取ルコト和人ト「アイヌ」ヲ擇バズ村人怒テ之レヲ逐フ山中ニ逃レテ此處ニ來リ櫂ヲ投シ去テ海ニ浮ビ「シコタン」島ニ逃レ入ル後花咲郡ヘ移住シ其子孫今尚穂香村ニ在リト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.381 より引用)
「櫂」と言えばボートの「オール」のことで、常呂村の荒くれ者がここで「櫂」を投げ捨てて色丹島に逃げていったと言うのですが……色々と荒唐無稽な感じがしますね。

「アイヌ語方言辞典」(1964) では、道内の多くのエリアで「櫂」は 'ásnap とされていていますが、「アイヌ語古語辞典」(2013) には次のように記されていました。

・カヂ
① 船のかひ[納]。(絵で「舟の櫂」を示す)[奇]。
② kanchi で「櫂」[バ]。
③ 「櫂」を assap と呼ぶ地域は〔八・沙〕、asnap と呼ぶ地域は〔帯・美・旭・名〕である[方]。1860 年代の[葉](ヨイチ方言)に車櫂で「カジ」とある。「舵」を kanci と呼ぶ地域は〔八・幌・美・宗〕で、〔帯〕では kaci と言った[方]。
(平山裕人「アイヌ語古語辞典」明石書店 p.66 より引用)
……あ。確かに「アイヌ語方言辞典」の「かじ」の項に káncikanci とありますね。kanchi-us-i で「櫂・ある・ところ」ということでしょうか。

「出水の多い川」説

どちらの櫂……じゃなくて解も興味深いですが、「カンチウシ」であれば、素直に kanchiw-us-i で「(雨が降った後の)出水・多くある・もの(川)」と解釈できそうな気がします。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました(ほぼ「孫引き」ですがどうかご容赦を)。

 中標津町史は『永田地名解の「櫂を置きたる処」というのは、こじつけのような感じがしないわけでもない。「知里地名アイヌ語小辞典」に「カンチゥ kanchiw 雨が降って最初にどっと下る出水」というのがある。昭和 52 年 9 月に大雨があって、カンチウシ川は荒れ、鉄砲水は橋や畑を流したことがある。このような状態からみると「カンチゥシ 雨が降って最初にどっと下る出水が、そこにいつもある所」の意味と解せられる』と。つまり、kanchiw-us-pet(鉄砲水が・いつもそこである・川)と解したのである。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.401 より引用)
あー、やはり……。松浦武四郎の説と永田方正の説を捨てて自説を推すのは勇気が必要でしたが、既出であれば話は別です。kanchiw-us-i で「出水・多くある・もの(川)」で良いのではないでしょうか。

もともと kanchiw-us-i だったものが、いつしかストーリーつきで kat-chiw-us-i に進化?した、という可能性もあるかも知れません。

所呂間内(しよろまない)

sorma-o-nay?
ゼンマイ・ある・川
(? = 記録あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
中標津町西部を流れる「ケネカ川」の西支流に「カミシベツ川」という川がありますが、「カミシベツ川」の西、「五十五号」沿いに「所呂間内」という名前の三等三角点があります(標高 196.4 m)。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「シヨロマヲニ」という名前の川が描かれて、また明治時代の地形図では「シヨロマオチ川」と描かれていました。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Shoroma ochi  ショロ マ オチ  山蘇鐵アル處 川名
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.381 より引用)
えっ、ソテツ……? と思ったのですが、よく見ると「ヤマソテツ」ですね。戊午日誌 (1859-1863) 「東部志辺都誌」にも次のように記されていました。

 またしばし過るや川まゝ
      シヨロマヲヘツ
 左りの方源はニシヘツの山のかたより来る也。此両岸すすきと紫・ぜんまいが多きによつて号るなり。シヨロマはぜんまゐの事也。此川口また五六丁も上にホンシヨロマヲナイといへる有。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.631 より引用)
「ニシヘツの山のかたより来る也」というのは現状に即していないのですが、これは何かの間違いでしょうか。「シヨロマはぜんまいの事也」とありますが、確かに知里さんの「植物編」(1976) にも sorma で「ゼンマイ」とあります。

「シヨロマヲニ」や「シヨロマオチ」は今ひとつ良くわからないところがありますが、「シヨロマヲヘツ」であれば sorma-o-pet で「ゼンマイ・ある・川」でしょうか。三角点名「所呂間内」は、sorma-o-nay-o が省略された形と見て良さそうな感じですね。

sorma はこれまで見たことのない語なので、類型未確認で「?」を一つ残しておきます。

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