2021年9月18日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (867) 「タツニウシナイ川・タツナラシ山・樺岡」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

タツニウシナイ川

tat-ninar-us-nay
樺の木・台地・ついている・川
(典拠あり、類型あり)
声問川(幕別川)の東支流で、かつての国鉄天北線・樺岡駅の南、「タツナラシ山」の南を流れる川の名前です。声問川(幕別川)と増幌川の間には丘陵が広がっているため、支流の長さはどれも短いものばかりだったのですが、この丘陵は「タツナラシ山」が南端で、「タツニウシナイ川」はその南側を東から西に流れているため、これまでの東支流とは比べ物にならない規模の川です。

タツニウシナイ川の上流部には「北辰ダム」がありますが、あ、もしかしてこの「辰」の字は「タツニウシナイ川」の「タツ」に由来するんですかね……?

「東西蝦夷山川地理取調図」には「タツニヤラ」という川が描かれています。実際の「タツニウシナイ川」は増幌川の上流部を回り込むように流れていますが、「東西蝦夷──」ではそのあたりの位置関係は正確に描かれておらず、あくまで声問川(幕別川)の東支流のひとつという扱いです。

明治時代の地形図には「ッニナ?ウシユナイ」という名前で描かれていました。

「ラ」の字が若干不明瞭で「子」のようにも見えたのですが、他の「子」の字とは横棒の位置が異なるように思えるので、やはり「ラ」と考えて良いかと思います。

永田地名解には次のように記されていました。

Tat ninara ush nai  タッ ニナラ ウㇱュ ナイ  樺ノ高原ナル川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.426 より引用)
あー、やはり。tat-ninar-us-nay で「樺の木・台地・ついている・川」と考えて良さそうでしょうか。気をつけておきたいのは、tat は厳密には「樺の木の皮」という意味で、「樺の木」であれば tat-ni とすべきということです。ただこの文脈?では -ni が無くても意味が通じるので、略されてしまった……ということでしょうか。

「タクニヤラ」の謎

あと、松浦武四郎は「東西蝦夷──」で「タツニヤラ」とした以外は、全て「タクニヤラ」と記録していますが、これはインフォーマントの発音が tat ではなく tax に近かった可能性があるかもしれません。

x は「樺太アイヌ語」のみで見られる音節だとされていますが、海峡の向かい側に住む宗谷アイヌにも多少の影響を与えていた可能性も、あるんじゃないかな……と。

「タツニウシナイ」について

ちなみに現在の川名である「タツニウシナイ」は {tat-ni}-us-nay で「{樺の木}・多くある・川」と読むことができます。この川名については、山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」に次のように記されていました。

 今残ったタツニウシナイの形は、上記の川名を略した形と思われるが川名は幾通りにも呼ばれる場合がある。あるいは Tat-ni-ush-nai(樺・の木・多い・川)とも呼ばれていて、それが残ったのかも知れない。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.79 より引用)
そんなところかもしれませんね。この川の名前は、現在の「タツニウシナイ川」になる前に……あ。次の項目に続きます(ぉ)

タツナラシ山

tat-ninar-us?
樺の木・台地・ついている
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「タツニウシナイ川」の北、かつての国鉄天北線・樺岡駅の東に位置する山の名前です。「タツ」が tat なのは薄々想像がつくとして、「ナラシ」とは一体何なんでしょうか。

大正時代に測図された「陸軍図」を眺めていたところ、意外なところに答が見つかりました。現在の「タツニウシナイ川」のところに、「タツナラシ川」とあるではありませんか(!)。

なるほど、tat-ninar-us は「樺の木・台地・ついている」で、発音すると「タッニナルシ」となろうかと思われますが、何故か ninarni が落ちてしまった、と言うことでしょうか。

アイヌは川には細かく命名した代わりに、山については割と無頓着だったとされます。そのため山の名前が近くの川の名前から借用されるケースも多かったのですが、ここもその例のひとつで、たまたま麓を「タツナラシ川」が流れていたため、そこから「タツナラシ山」と命名した、ということだと思われます。

ただ「タツナラシ川」が「タツニウシナイ川」に修正?された際に、山名についてはそのまま放置されたため、やや意味不明な「タツナラシ山」という名前で残ってしまった、ということなんでしょうね。

樺岡(かばおか)

tat-ninar-us-nay?
樺の木・台地・ついている・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
声問川(幕別川)東側の地名で、かつて国鉄天北線に同名の駅がありました。ということでまずは「──駅名の起源」を見てみましょう。

  樺 岡(かばおか)
所在地 稚内市
開 駅 大正 11 年 11 月 1 日
起 源 付近一帯に、カバが繁茂しているためこう名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.189 より引用)
あれっ、と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、おそらく更科源蔵さんも同じように思ったのでしょう。「アイヌ語地名解」に次のように記していました。

『駅名の起源』では「駅付近の丘陵一帯には樺が繁茂しているので名づけたものであろう。」とある。たしかにそうかもしれない。だがそれより前にアイヌの人達は、駅の南二㌔半ほどのところで、鉄道を横切っている川をタッニナラウシュナイ(現在五万分の地図ではタッナラシ川と記している)タッニは樺の木のことであり、ニナルは台地をいう言葉だから、この川の名は樺の台地にある沢ということになる。この地名を訳して名付けたものと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.193 より引用)
やはり、そう考えるのが妥当なんでしょうね。繰り返しになりますが、tat-ninar-us-nay は「樺の木・台地・ついている・川」となります。それを意訳した地名ではないかと思われるのですが、仮にそうでは無く偶然の一致だったとしたならば、「樺岡」と命名した人は土地のアイヌと同じネーミングセンスの持ち主だった、ということになりますね。

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