2021年12月19日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (894) 「栗多里・孫別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

栗多里(くったり)

kuttar?
イタドリ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
岩見沢市南部の旧・栗沢町と江別市東部を結ぶ「南五線」という道路があります。どうやらこのあたりでは国道 12 号が事実上の「基線」だったのか、「南五線」は国道 12 号から数えて 5 区画分ほど離れているように見えます。

ここで言う「区画」は「殖民区画」のことで、300 間ごとに「区画道路」を設けるのが一般的な形態だったようです。300 間は 545.455 m ですから、5 区画であれば 1,500 間で 2.727 km となる筈ですが、地理院地図で国道 12 号から南五号までの距離を計測すると「2.818 km」とのこと。約 90 m ほどの誤差がありますが、このズレは何故生じたんでしたっけ……?

「栗多里」三角点の場所

区画のズレよりも本題のズレのほうが大きくなってしまったので、軌道修正を図りましょう。「栗多里くったり」は「南五線」と岩見沢・江別の市境が交わったところにある四等三角点の名前です。

正確には「南5線農道」の北側、市境から 8.3 m ほど岩見沢市側に位置するようです。まぁ道路上に三角点がある筈も無いので、当然と言えば当然ですが。

前述の通り、この三角点があるところは「岩見沢市栗沢町」で、近くを通る室蘭本線には「栗沢」「栗丘」「栗山」の三駅が連続して存在しています(「栗山」のみ南隣の栗山町内)。

「栗○」という駅が三つ続くのは個人的には失策だったのではと思えてならないのですが、もともと「清真布」駅と「栗山」駅が存在し、両駅の間に「栗丘信号場」が設置され、同名の駅に昇格した後に「清真布」を「栗沢」に改称したため「栗○」が三つ並んでしまったとのこと。「清真布」駅の所在地が 1949 年に町制を行い「栗沢町」となったこともあり、「清真布」から「栗沢」への改名は避けようが無かった、というのが実情かもしれません。

「栗多里」の由来

これだけ「栗○」が多いので「栗多里」だったらどうしようか……と思ったりもしますが、「イタドリ」を意味する kuttar という語があるので、やはり「栗多里」は「イタドリ」だと考えたくなります。

そう言えば、謎の「烏遠別」三角点の西側を「栗丘川」が流れていましたが、この川はもともと「クツタル」あるいは「クッタラ川」と呼ばれていました。

そして、栗丘駅の近くから北西に伸びる「クッタリ排水路」という人工排水路が存在しますが、この排水路は「栗多里」三角点の 0.2 km ほど東を流れています。「クッタリ排水路」は大正時代の「陸軍図」にも「クッタリ排水」と言う名前で描かれていました。

「栗多里」三角点ですが、やはり「クッタリ排水路」に由来する可能性が高そうに思えます。kuttar で「イタドリ」ですが、 kuttar-us-i で「イタドリ・多くある・ところ」だったのが -us が略されて kuttar-i となった……可能性もあるかもしれません(ただそれだと「クツタル」あるいは「クッタラ川」という記録と若干ズレが生じることになりますが)。

本来は「栗丘駅」あたりの川名だったと思われる「クッタリ」に「栗多里」という字が当てられたというのは、「栗丘」という地名(駅名)の起源そのものにも疑問が出てきます。「北海道駅名の起源」では「付近の小高い丘に、栗の木がたくさんあることから『栗丘』と名づけたものである」としていますが、「栗多里の丘」だった可能性も否定できないような気がするんですよね。

孫別(まごべつ)

mak-o-pet???
後背・にある・川
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
かつて道央道の岩見沢 SA の北に「岩見沢競馬場」があったそうですが、競馬場(跡)と岩見沢 SA の間に「孫別」という名前の四等三角点があります。陸軍図ではこのあたりは「孫別」という地名でしたが、現在は三角点の名前としてのみ残されています。

道央道の「岩見沢 SA」も、建設中の仮称は「孫別 SA」だったとのこと。

……実はこれ以上の持ちネタが無いのですが、「孫別」という地名は mak-o-pet で「後背・にある・川」だったのではないかと考えています。更に想像を重ねるならば、現在の「ポントネ川」が mak-o-pet だった可能性もあるのではないかと……。

これは流路からの類推なのですが、現在の「ポントネ川」は岩見沢 SA の東側のあたりが水源で、「孫別」三角点の東側から北側をグルっと回って利根別川に合流しています。水源が山の後背にあるという点で、mak-o-pet と呼ぶに相応しい特徴を備えているように見えます。

ただ、同様の特徴はむしろ「東利根別川」のほうがより顕著かもしれません。「孫別」という地名が川の名前に由来するということが前提ですが、まずは mak-o-pet で「後背・にある・川」だったと考えて良いのではないかな……と思っています。

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