2021年12月5日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (890) 「鬼斗牛山・音子内・恩根内・又六士別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

鬼斗牛山(きとうし──)

kito-us-i
ギョウジャニンニク・多くある・ところ
(典拠あり、類型多数)
旭川市北部、JR 宗谷本線の比布駅の真西あたりに位置する標高 379.3 m の山の名前です(同名の三等三角点があります)。東川町と旭川市の境界には「岐登牛山」があるので紛らわしいですが、両者は全く異なる位置に存在します。まぁぶっちゃけ由来は同じなんでしょうけど……。

知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 キトウシ(Kito-ush-i ギョウジャニンニク・群生する・所) 鬼斗牛山(或は三角山ともよぶ)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.322 より引用)
やはりと言うべきか、kito-us-i で「ギョウジャニンニク・多くある・ところ」という解釈です。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のような追加情報も記されていました。

鬼斗牛山 きとうしやま
 永山地区から北に見える美しい三角山。比布から西側に見える。比布出身の尾沢カンシヤトク翁と歩いた時,比布ではあの山がチノミ・シリ(我ら礼拝する・山)でしたと語られた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.99 より引用)
この山は「三角山」という別名があるようですが、とても形の良い山なんですね。「チノミシリ」は chi-nomi-sir で「我ら・祭る・山」となります。

キトウシといわれた土地の山であったか, キトの多い山だったからの名であろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.99 より引用)
あー、言われてみれば確かに。単純に「行者にんにくの多い山」と考えるよりは、近くに「行者にんにくの群生地」があって、その地名が山名に転じたというのも十分に考えられるシナリオです。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

音子内(おんねない?)

onne-nay
老いた・川
(典拠あり、類型多数)
旭川市東部、「鬼斗牛山」ではないほうの「岐登牛山」の東北東に住友ゴムのテストコースがありますが、テストコースから見て南南東の方角に「音子内」という名前の標高 483.2 m の三等三角点が存在します。

現在、岐登牛山と住友ゴムテストコースの間を流れる川は「下南部川」と呼ばれていますが、明治時代の地形図には「オンナイ」という名前で描かれていました。

知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。

 オンネナイ(Onne-nai 「老いたる・川」) ペーパン川の右の枝川。この名称はこれももと本流と考えられたことを示す。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.322 より引用)
この「上川郡アイヌ語地名解」は、昭和 35 年に刊行された「旭川市史」に収められているので、昭和 35 年以前に執筆されたもの、ということになります。川名が「下南部川」になったのは何時頃だったのでしょう……?

既に「消えた川名」だと思っていた「オンネナイ」ですが、ひっそりと三角点の名前として健在だった、という話でした。onne-nay で「老いた・川」という解釈で良いかと思います。

onne は「老いた」という意味ですが、転じて「親である」あるいは「長い」と言ったニュアンスでも用いられます。ただ、この「下南部川」はどの要件?も満たさないように思えるので、ちょっと謎ですね。知里さんは「もと本流と考えられた」としていますが、支流の中では飛び抜けて大きかったと考えたほうが現実的なような気もします。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

恩根内(おんねない?)

onne-nay
老いた・川
(典拠あり、類型多数)
国道 12 号の「春志内トンネル」の少し手前(東側)の高台に「春志内公園」という公園がある……らしいのですが(行ったことはありません)、春志内公園への入り口から 0.3 km ほど手前(東側)で国道 12 号は「神居第一線川」という川を渡ります。

この「神居第一線川」を遡ると、標高 477.4 m の「伊之沢山」と、その西北西に位置する標高 462.6 m の無名峰の間あたりに出るのですが、この無名峰の頂上にある四等三角点が「恩根内」という名前です。

今日は「岐登牛山」と「鬼斗牛山」が出てきた上に、「岐登牛山」の近くの「音子内」とは全く異なる場所にある「恩根内」が出てきてしまって、ややこしいことこの上ないですね……。

オチはほぼご想像の通りで、明治時代の地形図には現在の「神居第一線川」の位置に「オンヌナイ」という名前で描かれていました(「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ヲン子ナイ」と描かれていました)。

知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。

 オンネナイ(Onne-nai 年老いた・川) 「親川」「大川」の義。永田氏の『地名解』に「支流中ノ大川ナリ」とある。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.322 より引用)
こちらもやはり onne-nay で「老いた・川」と考えて良さそうですね。永田地名解(p.42)に「支流中ノ大川ナリ」とあるのも適切な解釈だと思われます。

川名は「神居第一線川」という、なんとも無機質な感じの名前に改められてしまいましたが、かつての川名が三角点の名前として健在というのは地味に嬉しいですね。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

又六士別(またろくしべつ?)

mata-ru-kus-pet
冬・路・通行する・川
(典拠あり、類型あり)
旭川市江丹別町拓北にある、標高 208.4 m の四等三角点の名前です。「どうせ拓北川の旧称なんでしょ」と思われるかもしれませんが……(ギクッ)。

大正時代に測図された「陸軍図」では、現在の「拓北川」が「江丹別川」と描かれていて、「江丹別町拓北」という地名が「又六士別」となっていました。三角点の名前は旧地名から来ていると考えられそうです。

ただ、明治時代の地形図を見てみると、現在の「拓北川」の位置に「マタルークシュペツ」と描かれていました(やっぱりね)。つまるところ、やはり「又六士別」という旧地名は旧河川名から来ていた、というオチのようです。

mata-ru-kus-pet は「冬・路・通行する・川」と解釈できますが、江丹別町拓北の北北西に「冬路山」という山があり、この山名は mata-ru-kus-pet を意訳したものと考えられそうです。

ちょいと余談ですが

ちなみに、江丹別町拓北の東に位置する「江丹別ダム」が、現在の「江丹別川」の本流とされていますが、江丹別ダムの北西に流入する川が、かつて「サルー?シペツ」と呼ばれていたようです。

知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には次のように併記されていました。

 マタルクシペツ(Mata-ru-kush-pet 「冬・道・通つている・川」)
 サクルクシペツ(Sak-ru-kush-pet 「夏・道・通つている・川」)
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.322 より引用)※ 原文ママ
やはり知里さんも「マタルクシペツ」と「サクルクシペツ」が対になっていると認識していたようですね。

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