2022年8月27日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (964) 「江鳶川・チエサクエトンビ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

江鳶川(エトンビ川)

etu-un-pet?
鼻(岬)・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
清里町の市街地付近で斜里川に合流する東支流です。地理院地図では「エトンビ川」ですが、国土数値情報では「江鳶川」となっているようです。読めなくは無いですが、そこそこ難読なのでカタカナに回帰しつつあるのでしょうか。

「辰手控」には「イトンヒ」と記録されていますが、「午手控」や「東西蝦夷山川地理取調図」には「エトンヒ」とあります。明治時代の地形図には「エトンピ」と描かれていて、永田地名解では次のように進化?していました。

Etunpi   エト゚ンピ   岬ニアル川「エト゚ウンペツ」ノ訛リナリト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.497 より引用)
ふむふむ。どうやら etu-un-pet で「岬・そこにある・川」と考えたようですね。ところが「斜里郡内アイヌ語地名解」には少々異なる解が記されていました。

 エトンビ 江鳶川。語原「エ・ト゚・ウン・ペッ」(e-tu-un-pet 頭が・山・へ・入りこんでいる・川)。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.256 より引用)
むー。e-tu-un-pet で「頭(水源)・峰・そこに入る・川」と考えたのですね。etu- は「岬」ですが、この「岬」は必ずしも海に面しているとは限らないのがポイントで、尾根の先端も etu と呼ばれることがあります。

エトンビ川は上流部でいくつも枝分かれしているのですが、その中の一つを遡ると江鳶山の山頂の西側にたどり着きます。このことを指して e-tu-un- と呼んだ……というのが知里さんの考え方のように思えます。

山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」では、次のように補足されていました。

《山田註。少し詳しくいえば、tu は「山の先が長くのびた処、走り根」。この川をのぼると、その走り根の中に、峡谷のような形で入って行くので、そう呼ばれたのであろう。上記の形の名が、和人に継承されてエトンベになり、鳶(とんび)に近い音なのでエトンビとなったのではあるまいか》。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.100 より引用)

「エトンハナヒラ」

ただ厄介なのが、「東西蝦夷──」では「エトンヒ」の隣(海側)に「エトンハナヒラ」という地名?が描かれている点です。知里さんはこの地名について次のように記していました。

 エトンパナピラ 語原「エ・ト゚・ウン・ペッ・パ・ナ・ピラ」(e-tu-un-pet-pa-na-pira 頭が・山・ヘ入りこんでいる・川の・下・方の・崖)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.257 より引用)
「江鳶川の川下側(海側)にある崖」と考えたようですが、このあたりでそれらしい地形と言えば四等三角点「向陽」のあたりでしょうか。三角点の北を「向陽川」という川が流れているのですが、よく見るとその北隣を流れる「新向陽川」のあたりもそこそこ険しい斜面があり、しかも「岬」のような地形もあります。

「岬」か「鼻」か

もしかして本来の「エトンビ川」は現在の「新向陽川」のことじゃないか……という大胆な仮説も頭をよぎりますが、流石に色々と無理がありそうなので一旦捨てるとして……。エトンビ川の西側に「町牧場」という四等三角点があり、これは「岬」と言う以上に「鼻」っぽい形をしているんですよね。

etu は「岬」だとしましたが、本来は「鼻」を意味する語でもあります。エトンビ川はこの巨大な「鼻」のすぐ東側を流れているので、etu-un-pet で「鼻(岬)・そこにある・川」と考えたくなりますね。

問題の「エトンパナピラ」も、もっと単純に etu-un-pana-pira で「鼻(岬)・そこにある・海側の・崖」と考えていいんじゃないかと……。

チエサクエトンビ川

chep-sak-{etunpi}
魚・持たない・{江鳶川}
(典拠あり、類型あり)
江鳶川(エトンビ川)の東支流です。江鳶川の支流の中ではもっとも長いもので、水源は江鳶山ではなく東に聳える「平岳」の北側にあります。

「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき支流が描かれているものの、残念ながら川名の記入がありません。明治時代の地形図には「チェプサㇰエトンピ」という名前で描かれていました。

「午手控」には「エトンヒ」の枝川(支流)として「シュマルクシナイ、トウ子トンヒ、チフサケトンヒ、チフイサムエトン」がリストアップされていました。

なお余談ですが、明治時代の地形図では、現在の「エトンビ川」が「トーエトンピ」として描かれていて、現在「カクレノ沢川」と呼ばれる川が本流(=エトンビ川)として描かれていました。

永田地名解には次のように記されていました。

Chiep sak etunpi  チェプ サㇰ エト゚ンピ  魚無シノ岬川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.497 より引用)
概ね妥当な解釈に思えます。また「斜里郡内アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。

 チェプサㇰエト゚ンピ(江鳶川左枝川) 語原「チェプ・サㇰ・エト゚ンピ」(chep-sak-Etumpi 魚の・無い・江鳶川)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.257 より引用)
ということで、chep-sak-{etumpi} で「魚・持たない・{江鳶川}」と見て良さそうですね。

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