2023年4月8日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1027) 「オンネ沼・タンネ沼」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オンネ沼(──とう)

onne-to
大きな・沼
(記録あり、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
根室友知の西にある沼(海跡湖かな?)です。沼の名前は「オンネ沼」ですが、流出河川は「温根沼第 1 川」と表記されています。onne-to で「大きな・沼」じゃないの? と思われるかもしれませんが……多分その通りでしょう(ぉぃ)。

トヘトマイに沼は存在したか

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「トヘトマイ」という地名?と「ヲン子トウヘツ」という沼?が描かれていました。……あれ? ちょっと良くわからなくなってきたので、今回はいきなり表を作ってみました。

東西蝦夷
山川地理取調図
初航蝦夷日誌 (1850) 戊午日誌 (1859-1863)
「東部能都之也布誌」
明治時代の
地形図
陸軍図
カンサラムイカンチヤリモイカンサラムイカンサラモイカツラムイ
イヌウシエヌエウシ [奥に沼有]エヌエウシ [上に沼有]イヌヌシ
ナンフウトナンブトウ [上に谷地有]ナムプトー南部沼
タン子トウヘツアン子トウ [上に沼有]?ン子トー
ヲン子トウヘツヲン子トウベツ
[奥に沼有]
ヲン子トーベツ
[上に谷地有]
オン子トー温根沼
トヘトマイトベトマイ [奥に沼有]トヘトマイ [沼川]
トモシリウシノツトモシリウシトモシリウシノツ友知崎

何を気にしているかと言うと、「初航蝦夷日誌」には次のように記されているのですね。

     トベトマイ
此辺奥第一番の暖地也。小川有。此川のまた奥ニ沼有。周廻凡十五丁斗とも有るよし。又并而砂道壱丁斗行而
     ヲン子トウベツ
川有。此奥にも沼有。周廻十五丁と聞り。海岸よりは見えず。また壱丁斗行而
     ヱヌヱウシ
小川有。奥に沼有。凡周廻十五丁も有るよし聞り。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.444 より引用)
「トベトマイ」「ヲン子トウベツ」「ヱヌヱウシ」のいずれも「奥に沼有」と記されていて、沼はいずれも「周廻十五丁」とあります。ただ、現在の「オンネ沼」の周回は 4 km 弱のようで、15 町だと 1.6 km ほどということになり、大きな隔たりがあります。

もっともこのあたりの「初航蝦夷日誌」に記録された距離は実際の距離とかけ離れている場合が多いので、私のほうで何か計算を間違えている可能性もありそうです。

ただ、それ以上に重大な問題は、三つある沼のうち「ヲン子トウベツ」が二つ目に記録されているという点です。現在の地形図では、東から「オンネ沼」「タンネ沼」「南部沼」が並んでいるので、東から記載した場合は「オンネ沼」は最初に来る筈なのですが、「初航蝦夷日誌」の記述を信用すると「ヲン子トウベツ」(=オンネ沼?)の東にも沼が存在することになってしまいます。

「トヘトマエの岬」

戊午日誌「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

     カンサラムイ
此処また両岸峨々たる壁立の小湾也。其岩壁に岩窟多し。カンサラとはカンチヤロの訛り、ムイは湾也。大口の湾と云義也。是より砂浜まゝ行に、向の方にトヘトマエの岬を見て、眺望至極妙也。左り平地にて広漠。是より凡一里半も砂地也。しばし行、
     エヌエウシ
小川有。上に周五丁計の沼有。其より落来る。此辺砂地也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.581 より引用)
この「カンサラムイ」ですが、Google マップには「(株)キタウロコ荒木商店 事務所・第二工場」とあるポイントから見て東、「渡辺運輸(株)」の南に位置する湾のことだと考えられます。

また「トヘトマエの岬」とあるのも要チェックで、これは現在の「トモシリ岬」のことだと考えられます。なるほど、どうやら現在の「根室市友知」は、かつては「トヘトマイ」と呼ばれていたっぽいですね。

トヘトマイに沼は存在したか、再び

戊午日誌「東部能都之也布誌」には「カンサラムイ」「エヌエウシ」「ナンブトウ」「アン子トウ」「ヲン子トーヘツ」「トヘトマイ」「トモシリウシノツ」と言った地名等が記録されていて、うち「エヌエウシ」「ナンブトウ」「アン子トウ」「ヲン子トーヘツ」に沼があるとしています。

そして、こんなところにトラップが仕掛けられていました。

また沙浜しばし過
     トヘトマイ
小川、本名トヘツヲマイの由。沼川有ると云義なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.582 より引用)
これは「初航蝦夷日誌」にて「此川のまた奥ニ沼有」と記されていた「トベトマイ」のことですが、どうやら「根室市友知」のことらしい……というところまで見えてきました。地理院地図を見た限りでは「根室市友知」には沼は見当たらないのですが、戊午日誌を良く見ると「沼川有ると云義なり」とあるものの「沼があるよ」とは書いてないんですよね……(!)。

「根室市友知」には「友知川」と「端谷川」という川が流れていて、このことを tu-pet-oma-i で「二つ・川・そこにある・ところ」と呼んだのではないか……と考えてみました。ただすぐ西に「ヲン子トウヘツ」や「タン子トウヘツ」「ナンフトウ」などの沼や川が目白押しだったため、tu-petto-pet と勘違いして「沼川有る」という話になったのではないかと……。

「初航蝦夷日誌」は「タン子トウ」を書き漏らしてしまったものの、うっかり「トベトマイ」でも(実際には有りもしない)「沼がある」としてしまったため、結果的に沼の数が合ってしまった……というオチのように思われます。

一瞬で終わる本題

ということでようやく本題ですが(おい)、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Onne tō   オンネ トー   大沼
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.362 より引用)
やっぱり onne-to は「大きな・沼」と見て良さそうですね。

タンネ沼(──とう)

tanne-to
長い・沼・川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「オンネ沼」の西隣にある、細長い形をした沼です。沼の名前は「タンネ沼」ですが、流出河川は「丹根沼川」という名前です。「沼」はアイヌ語で「トー」ですが、「沼」という字をそのまま「トー」と読ませるのは「『本気』と書いて『マジ』と読む」に通じるものがありますね(無いのでは)。

東西蝦夷山川地理取調図」には「タン子トウヘツ」という沼と川が描かれていて、戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

またしばし過て北
     アン子トウ
と云上に沼一ツ有。周十五六丁も有。アン子は細く長く尖りし事を云。此沼長く尖りしによつて号る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.581-582 より引用)
これは ane-to で「細い・沼」と読めそうですね。ただ永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Tanne tō pet   タンネ トー ペッ   長沼川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.362 より引用)
これも見ての通りですが、tanne-to-pet で「長い・沼・川」となりますね。どちらでも意味は通じそうですが、tanne-to という呼び方が優勢だったのか、現在は「タンネ沼」というネーミングになっています。

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