2024年2月3日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1111) 「飽別・宇円別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

飽別(あくべつ)

aki-pet?
弟・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
阿寒町上徹別の北の地名で、同名の川が西から阿寒川に注いでいます。1875(明治 8)年から 1923(大正 12)年までは「飽別村」が存在していました(その後舌辛村に合併し、阿寒町を経て釧路市阿寒町)。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「アキヘツ」と描かれていました。あー、ここも確か色々と謎のある地名だったですかね……(参照)。

アはすぐに出る、キは直に干る?

戊午日誌 (1859-1863) 「安加武留宇智之誌」には次のように記されていました。

其傍
     アキベツ
此地西の方山有、其より椴木立に成る也。此処まで茅野也。小川有、巾三間計。源は是より直に椴山に入りてメアカンの麓に到るなり。此処人家三軒有。処名アキベツは水が多く出たり、又無たりと云儀。アはすぐに出る、キは直に干ると云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.271 より引用)
「アはすぐに出る、キは直に干る」というのはちょっと意味不明ですが、午手控 (1858) にも次のように記されていました。

アキベツ
 水が多く出たり、又無ったりと云。アは直に出る、キはすると云事也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.330 より引用)

浅い川?

この解は色々と謎なので、一旦置いておいて、永田地名解 (1891) を見てみましょうか。

Ak pet   アㇰ ペッ   淺川 飽別村、一説射水川ノ義
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.337 より引用)
hakooho の対義語なので、hak-pet で「浅い・川」では無いか……という説ですね。地形図を見ると、徹別川のように左右に河岸段丘があるようにも見えないので、なるほど「浅い川」というのは言い得て妙な感じもします。

射る川? 我ら飲む川?

山田秀三さんの「北海道の地名」(1994) には、永田地名解の内容を承けた上で次のように記されていました。

ak を「浅い(hak) 」とも読み, また「射る」とも解した。要するに音に合わせた想像説である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.279 より引用)
「一説射水川の義」というのが良く分からなかったのですが、ak は「矢を射る」を意味する完動詞なので、確かに ak-pet で「矢を射る・川」と解釈できてしまうんですね。

ついでに似た読み方を付け加えるならば,ア・ク・ペッ(a-ku-pet 我ら・飲む・川)とも読める(他地では,飲料水に使った川をアクナイのように呼んでいた)。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.279 より引用)

弟の川?

ふーむ。そういえば「阿寒町史」にも次のように記されていまして……

 アクベツ(飽別)
「アクペツ」といい、「アク」「アキ」とは「矢を射る」とか「弟」という意味がある、すなわち「矢を射る川」「弟の川」という意味になるが現地はそれ程流れが急激ではなく、もし阿寒川にそそいでいる支流を指すならば阿寒川や徹別川の「弟の川」ということになるであろう。
(阿寒町史編纂委員会・編「阿寒町史」阿寒町 p.63 より引用)
この「弟」と言うのは斜里町の「秋の川」でも出てきましたね。似たような特性を持ちつつ「兄」には及ばない川、という想像が成り立ちますが、「兄の川」の存在が今ひとつ見えてこないのが悩ましいところです。

阿寒川を「兄」とすると、飽別川は「弟」にしては随分と小ぶりですし、徹別川を「兄」とすると、飽別川は「兄」に負けず劣らず深いところまで溯ることができます。白糠町の「コイカタショロ川」をゴールと考えると、徹別川と飽別川を「兄弟」に見立てるのは理解でできるのですが……雌阿寒岳の南麓を通って螺湾に向かう交通路があった、とかなんでしょうか。

「阿寒町史」には、まだ続きがありまして……

 また「アク」を「ア」と「ク」に分けて見ると「ア」は「我れ」の意味で、「ク」は「飲む」の意味で「ア、ク、ベツ」とは「我ら飲む川」となる。
(阿寒町史編纂委員会・編「阿寒町史」阿寒町 p.63 より引用)
あー、これは山田さんの説と同じですね。

罠をかける川?

変化球の使い手として知られる更科源蔵さんは、「アイヌ語地名解」(1982) にて次のように記していました。

 飽別(あくべつ)
 阿寒道路途中の部落。阿寒川の支流飽別川の名からでたもので、アイヌ語アック・ペッは小獣をとるおとしをかける沢の意である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.263 より引用)
この「アック」については、手元の辞書類ではそれらしい語彙を見つけられませんでした。

アクベツ? アキベツ?

「飽別」は 1875(明治 8)年に村名となり、その後現在まで続いている地名ですが、面白いことに *それ以前* の記録は軒並み「アキベツ」で、手元の資料では「加賀家文書」まで溯ることができるのですね。となると、「アクベツ」ではなく「アキベツ」と考えるほうが良いのではないか……と思えてきます。

仮に「アキベツ」だとすれば、やはり aki-pet で「弟・川」と考えたくなります。兄が「徹別川」と考えると、どちらも雌阿寒岳の南麓に出ますし、また「徹別川」のように目立つ tes(梁のような岩盤)が無かったとすれば、「弟分の川」というネーミングもそれなりに妥当な感じがしてくるんですよね。

宇円別(うえんべつ)

wen-pet
悪い・川
(記録あり、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
飽別川と阿寒川の合流点から 0.2 km ほど南で、東からも「泉川」と「田ブチ川」という川が合流しています。「田ブチ川」の近くの国道 240 号沿いに「宇円別」という名前の四等三角点(標高 191.6 m)があります。

「北海道実測切図」(1895) では、現在の「泉川」に相当する(と思われる)川に「ウェンペッ」と描かれていました。wen-pet で「悪い・川」ですが、これだけでは何が悪いのかを読み取ることはできません。

ちょっと気になるのが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ウインヘツ」という東支流が描かれていて、その近く(アキヘツの南あたり)に「ヲフイチセ」という地名が描かれています。戊午日誌 (1859-1863) 「安加武留宇智之誌」ではこの二つが合体してしまっていて……

凡原道八丁計にして
     ウインチセナイ
小川、巾弐問計。本名ヲフイチセナイのよし。此処昔し人家多かりしが、焼て跡は人家を不立しによつて号るとかや。本名ヲフイチセなるべし。ヲフイは焼る。チセは家也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.270 より引用)※ 原文ママ
「ウインチセナイ」という川があり、この正体が「ヲフイチセナイ」だと記しています。uhuy-chise-nay で「燃えている・家・川」となりますが、流石にこの場合は「燃えた・家・川」と解釈すべきでしょうか。かつて近くにコタンが燃える大火があり、その後は「縁起が悪い」としてこの川の附近にはチセを建てない……ということのようにも思われます。

wen-pet は「悪い・川」ですが、今回の場合は「縁起が悪い川」だったのかもしれません。

なお、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) によると、現在の「泉川」が「パナワウェンペツ」で「田ブチ川」が「ベヤン(ペナワ)ウェンペツ」とのこと。pana-wa-an-wen-pet で「下流・側・にある・悪い・川」から -an が略された形と考えられそうですね。

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