2024年2月14日水曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

日高本線代行バスで各駅停車 (10) 「蓬栄」

 

静内行き列車代行バスは「蓬栄駅」に向かいます。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

左手に、再び日高本線の線路が見えてきました。勾配の関係で道路よりも少し高いところを通っているようです。

蓬栄駅

「蓬栄駅」のステッカー?が貼られた建物が見えてきました。この建物はトイレと待合室のようで、駅舎かと言えば……間違いなく駅舎、ですね。
この写真は焦点距離 25 mm 相当で撮影したもので、広角故の歪みが酷い……と思ったのですが、


この歪みはレンズのせいではなく、建物がそもそも歪んだ形だったみたいです(汗)。なかなかアバンギャルドな造形だったようで……。

列車代行バスの「蓬栄駅」は、日高本線「蓬栄駅」のすぐ前にありました。ここまで見てきた中では、もっとも鉄道駅に近い立地ですね(というか、鉄道駅と代行バスの駅が離れすぎですよね。絵笛駅とか、絵笛駅とか……)。
列車代行バスの「蓬栄駅」のバス停は、蓬栄駅の「停止位置目標」のすぐ横に置かれていました。
日高本線の日高三石浦河の間は 1935(昭和 10)年に開通していますが、蓬栄駅は 1958(昭和 33)年に開設された比較的歴史の浅い駅です。蒸気機関車からディーゼルカーに置き換えられたことで設置が可能になった駅だと思われ、1 面 1 線の棒線駅でホームも 1 両分しかありませんでした。2016 年時点の「極端にご利用の少ない駅」には含まれていなかったのですが、どうやらギリギリ二桁程度の利用があったみたいですね。
ホームが短すぎたからか、バックミラーはホームの先に設置されていました。
ところで、ミラーの下に踏み台?のようなものが置かれていたのですが、これは一体……?

蓬莱岩!

列車代行バスは蓬栄駅を出発しました。次は「日高三石」です。
先程からずっと前方に奇妙な形の岩が見えているのですが、あれが有名な「蓬莱岩」とのこと。
更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) という本には、次のように記されていました。

 三石(みついし)
 日高線の三石町。日高線の傍にある現在蓬莱岩と呼んでいる岩を、アイヌはイマニッ・ウシ(焼串のあるところ)といって、文化神が鯨をさして焼いた串が岩になったという伝説がある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.84 より引用)
「イマニッ」というのは川魚を焼く時に用いる串のことですが、地名では巨大な串のような尖った岩をそう呼ぶことがありました。串そのものは「ニッ」なので、nit-us-i で「串・ある・ところ」となり、それが「三石」になった……という説だったかと思います。

列車代行バスは、文化神サマイクルが鯨を串焼きにするのに使った「蓬莱岩」の横を走り抜けます。
日高本線も「蓬莱岩」のすぐ横を通っていたんですね(何をいまさら)。
このアングルだと両者の位置関係がわかりやすいでしょうか。鉄道と道路は、ほぼ高低差の無い状態で「蓬莱岩」の東側を通り抜けていました。

蓬莱新橋

日高本線は緩やかに左にカーブして、三石川の東岸を南に向かいます。
前方に橋(道路橋)が見えてきました。「蓬莱新橋」という名前の橋みたいです。
列車代行バスは、ここで日高本線から離れて、「蓬莱新橋」で一足先に三石川を渡ります。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事