2022年4月30日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (930) 「イトムカ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

イトムカ

etu-un-{muka}?
鼻(岬)・そこにある・{無加川}
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「イトムカ」については以前にも北海道のアイヌ語地名 (293) 「ニセイケショマップ川・イトムカ・ルベシナイ川」で取り上げていますが、解釈に疑問が出てきたため、改めて検討してみることにしました。

北見市(旧・留辺蘂町)のほぼ西端のあたりの地名で、同名の川もあります。この「イトムカ」の名を広く知らしめたのは、やはりかつて存在した大規模な「水銀鉱山」の存在でしょうか。1941 年に開山した水銀鉱山は 1974 年に閉山しましたが、その後は(日本で唯一、世界でも 4 箇所しか無いとも言われる)水銀含有廃棄物の処理事業を行っているとのこと。

イトムカはかなり山奥の土地ですが、旭川と北見を結ぶ国道 39 号が通っているということもあり、鉱業所の前までは容易にたどり着くことができます。

「イトムカ」の意味については「光輝く水」だとする解釈が、思いのほか広がっていたことに今更ながら気づきました。たとえば Wikipedia の「イトムカ鉱山」の項には次のように記されています。

イトムカとはアイヌ語で「光輝く水」の意味。[要出典][注釈 1]
(Wikipedia 日本語版「イトムカ鉱山」より引用)
「注釈」がついているものの、こうやって断言調で書かれると、やはり鵜呑みにする人が多くなるのでは……と思わせます。

「光輝く水」の出どころは

「イトムカ」を「光輝く水」とした初出は何なのでしょうか。「永田地名解」にはそれらしき記録が見当たりません。手元の資料の中では、山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」に次のように記されていました。

イトムカ川
 無加川の最上流、石北峠を北見に抜けたところの川。水銀鉱山で有名になった名であるが、意味については伝承を知らない。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.92 より引用)
これはいかにも山田さんらしいのですが、正直に「意味については伝承を知らない」と記しています。更科さんだとこのまま「アイヌ語の意味不明」と締めてしまいそうですが、山田さんは次のように試案を出していました。

そのまま読めば I-tomka (それ・輝かす)とも読めるが、古い二十万分図、五万分図にはイトンムカとある。イトンは読めないが、無加川の支流の意味のイトン・ムカだったかもしれない。(I-tom-Muka それが・輝く・無加川?)
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.92 より引用)
どうやらこれが「イトムカ」=「光輝く水」説のオリジナルなのかもしれません。

「イトンの意味不明」

念のため、更科さんの「アイヌ語地名解」も見ておくと……

 イトムカ
 層雲峡に越える大雪国道の途中、水銀鉱のあったところ、古い五万分図にはイトンムカとあり、無加川の左支流の名であるが、イトンの意味不明。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.290 より引用)
このロックな感じ、さすがですねぇ。

先入観?

「イトムカ」を「光輝く水」とする解釈は tom を「光り輝く」と読めることによるものですが、これまで道内の地名を見た限りでは、明らかに「光り輝く」の意味で tom を使ったものは無かったような気がします。山田さんが「それが・輝く・無加川?」と考えた背景には、日本一の水銀鉱山の存在が影響していた可能性もありそうです。

tom あるいは tomo で「面の中ほど」を意味し、地名では「中間地点」を意味する場合があります。これまで見てきた地名では、大半の tom がこの解釈だったのでは無いかと考えています。

「イトンムカ川」と「エトンムツカ」

「イトムカ」に関する記録は更に遡ることが可能で、陸軍図にも「イトンムカ川」という名前の川が描かれています。地名としての「イトムカ」には「伊頓武華」という字が当てられているのですが、これは「イトムカ」よりも「イトンムカ」という音に対して当てられた字のようにも思えます。

更に、「東西蝦夷山川地理取調図」には「エトンムツカ」という名前の川が描かれていました。この記録は二つのことを示唆しているのですが、一つは「イトムカ」の「イ」が「エ」の転訛したものである可能性で、もう一つは「イトムカ」の「ムカ」が「無加川」である可能性が高いということです(他にも「ホンムツカ」や「シイムツカ」という記録があるため)。

戊午日誌「西部登古呂誌」には次のように記されていました。

またしばし過て山岳重畳たる間を屈曲して行く哉
     エトンムツカ
右のかた小川。此川口に細き高き滝有るよし、よつて号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.194 より引用)
ああ、やはり……と思わせますね。少なくとも松浦武四郎は「光輝く水」という解釈を記録していない、ということが確認できました。「川口に細き高き滝」とありますが、イトムカ鉱業所の西に急峻な渓谷があり、これを「滝」と見做した可能性もありそうです。

また、石北峠の南東に標高 1219.0 m の三等三角点があるのですが、この三角点の名前が「江屯武華」で、「エトンムクワ」とルビが振られていました。三角点が設置されたのは 1916 年とのことで、当時は「イ──」ではなく「エ──」だと認識されていた可能性が高そうに思えてきました。

「岬のある無加川の支流」説

ここまでの情報を元に改めて地形図を眺めてみると、「イトムカ」は etu-un-{muka} で「鼻(岬)・そこにある・{無加川}」ではないかと思えます。素直に読み解けば真っ先に出てきそうな解のような気もするのですが、「イトムカ」=「水銀鉱山」という先入観に引きずられた……ということなのでしょうか。

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