2023年2月4日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1010) 「兼金沼・ケネヤウシュベツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

兼金沼(かねきんとう)

不明
(??? = アイヌ語に由来するかどうか疑わしい)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
海沿いの本別海と役場のある別海の間、西別川の南に位置する沼の中で、最も大きく最も西にある沼です。地理院地図には「兼金沼かねきんとう」と描かれていますが、近くにある四等三角点は「かねきんぬま」と読ませるとのこと。

東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい沼が見当たりいません。戊午日誌 (1859-1863) 「東部奴宇之辺都誌」には次のように記されていました。

また二里も下るや南岸に
     ヲン子フツナイ
川巾弐三間の由、上に沼一ツ有。是より落来るとかや。其沼の周り谷地多しと。うしろはアツウシベツの此方フウレンの川筋になるよし。また其より下りてしばしにて
     ホンヲン子フツナイ
川巾弐間計。是も上に沼有。是より落来るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.415 より引用)
明治時代の地形図を見てみると、現在の「兼金沼」に相当する沼(名称不詳)から「オン子ペツ」という川が流れ出ていて、現在の「栗木沼川」に相当する川と合流した後に西別川に注いでいます。「ヲン子フツナイ」の項に「上に沼一ツ有」とあるのが現在の「兼金沼」のことと見て良さそうな感じです。

「カネキントー」という音からは ka-ne-kim-un-to で「上・である・山側・そこにある・沼」あたりの解が想像できます。しかしながら、明治時代の地形図や大正時代の陸軍図には沼の名前が描かれていないため、「兼金沼」という沼名がいつ確立したのかが確認できません(昭和以降に確立した名前なのであれば、人名などの可能性も考えられます)。現時点では「アイヌ語に由来するかどうか疑わしい」と考えるしかなさそうです。

ケネヤウシュベツ川

kene-{ya-us-pet}
ハンノキ・{ヤウシュベツ川}
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
風蓮湖に注ぐ「ヤウシュベツ川」の最大の支流で、国道 244 号の「万年橋」の 0.5 km ほど西(上流側)で南からヤウシュベツ川に合流しています。

明治時代の地形図には、「オン子ヤウシェペッ」の南支流として「ケ子ヤウシェペッ」が描かれていました。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ヲン子ヤウシ」という川が描かれているものの、その支流である「ケネヤウシュベツ川」に相当する川は描かれていません。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Onne ya ush pet   オンネ ヤ ウシュ ペッ  網曳ノ大川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.372 より引用)
「ケネヤウシュベツ川」については、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) にて次のように記されていました。

オンネは(大きい・親の)、ポン(小さい・子の)、地理院図のケネは(ハンノキ)の意で、オンネヤウシペツの支流である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.367 より引用)
あー、kene は「ハンノキ」なので、やはりそう考えるしか無いですよね。kene-ya-us-pet であれば「ハンノキ・網・ある・川」となりそうですが、ya-us-pet は「ヤウシュベツ川」という固有名詞と捉えたほうがより正確かもしれません。kene-{ya-us-pet} で「ハンノキ・{ヤウシュベツ川}」と見て良いかと思われます。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事