2023年2月25日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1015) 「トフケナイ岬・シロカラモイ岬・アッケシエト」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

トフケナイ岬

tu-pok-ke-nay?
峰・麓・のところ・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌茂尻の西で根室湾に面した岬の名前です。トフケナイ岬の南に「トフケナイ川」が流れており、岬の名前は川の名前に由来すると考えられます(「──ナイ」なので)。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「トウケイ」という名前の川が描かれていました。また「午手控」(1858) には次のように記されていました。

トフケナイ
 (川が)山え行、曲りし由。よって号く
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.367 より引用)
こちらは現在の川名と同じく「ナイ」になっています。ありがたいことに由来まで記されているのですが、これは一体……?

永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Tu pok ke nai   ト゚ー ポㇰ ケ ナイ   丘蔭ノ川「フルポクナイ」ト同義ナリト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.367 より引用)
ふむふむ。tu-pok-ke-nay と考えたようですね。tu は「峰」だと考えられますが、ご丁寧に hur(丘)と同じ意味だ……と注釈が入っていますね。pok は「下」か、あるいは「麓」と言った所でしょうか。pok-ke で「麓のところ」と解釈できるので、tu-pok-ke-nay で「峰・麓・のところ・川」と考えられそうです。

気になる点があると言えば、tu-pok-ke-nay(トゥーポッケナイ)と「東西蝦夷──」の「トウケイ」では「ポッ」の有無が異なる……というところでしょうか。ただ「竹四郎廻浦日記」(1856) には「トフケナヱ」と記録されているので、「フ」が「プ」だとすれば問題ないと言えそうです。

シロカラモイ岬

heroki-kar-us-i
イワシ・獲る・いつもする・ところ
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「シロカラモイ岬」は根室穂香ほにおいの西に位置し、根室湾に面しています。明治時代の地形図には(岬の名前の)記入がありませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「セロカロウイ」という地名?が描かれています。「シロカラモイ」と「セロカロウイ」、かなり違うような気もしますが、これでも半分は一致してるんですよね……。

「初航蝦夷日誌」(1850) には次のように記されていました。

并而十三、四丁行
     ヘロカロムイ
岩岬也。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.421 より引用)
えーと、「ヘロカロムイ」=「セロカロウイ」=「シロカラモイ岬」ということでファイナルアンサーでしょうか……?

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Herok'kara moi   ヘロッカラ モイ   鰯ヲ取ル灣
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.367 より引用)
……。気を取り直して。heroki は「ニシン」を意味しますが、「イワシ」はニシン目ニシン科の魚なので、「イワシ」を指したとしても問題は無い……ということでしょうか。

そういえば、先程の「初航蝦夷日誌」にも次のように記されていたんでした。

     トウケナイ
并而
     ホロモシリ
小川。番屋有。鮭漁よろし。夷人小屋有。此処西向。沙磯。岸深く岡の方平山。雑木多し。弁天社并蔵々有。此処鰯漁も有。番屋前釜十七、八を築けり。又越而小川。又海岸小き島有なり。并而十三、四丁行
     ヘロカロムイ
岩岬也。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.421 より引用)
「鮭漁よろし」とありますが、良く見ると「此処鰯漁も有」とあります。「シロカラモイ岬」は heroki-kar-us-i で「イワシ・獲る・いつもする・ところ」と見て良さそうな感じですね。

アッケシエト

ar-kes-etu??
もう一方・末端・鼻(岬)
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
根室市西浜町の北西端にある岬の名前……だった筈ですが、現在は近くにあるチャシ(砦)跡の名前として残っているようです。Wikipedia の「根室半島チャシ跡群」には「アッケシエトチャシ(キナトイシチャシ)」とあります。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「アツケシヱト」と描かれています。西隣に川が描かれていて「キナトウヘツ」とあるのですが、この川は現在の「第 1 ホニオイ川」に相当するようです。「キナトイシチャシ」の「キナトイシ」はこの川のことみたいですね。

「午手控」(1858) には次のように記されていました。

アツケシヱト
 本名ナトヱウシなるよし。此儀不知
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.367 より引用)
ナトヱウシ……? としばらく固まっていたのですが、あ、これって頭の「キ」が落ちてたんですね。「キナトヱウシ」は「キナトウヘツ」あるいは「キナトイシ」のことと見て良いかと思われます。

問題は「アツケシヱト」が何を意味するかですが、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

At kesh etu    アッ ケㇱュ エト゚   楡林ノ端ナル岬
Kina tuye ushi    キナ ト゚イェ ウシ   蒲ヲ切ル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.367 より引用)
ふむふむ、なんと「キナトヱウシ」の解まで併記されていました。これはお買い得ですね! kina-tuye-us-i で「草(蒲)・切る・いつもする・ところ(川)」と見て良さそうでしょうか。

そして本題の「アッケシエト」は、at-kes-etu で「おひょう(楡)・末端・鼻(岬)」だと言うのですが……うーむ。これ……どうなんでしょ。なんか違和感があるんですよね。

改めて「厚岸」(厚岸町)の地名解にも目を通しているのですが、at-ke-us-i で「おひょう(楡)の樹皮・剥ぐ・いつもする・ところ」ではないか……とある一方で、永田方正は at-kes-to で「おひょう(楡)・末端・沼」と考えていたようです。

この考え方を参考に「アッケシエト」の意味を考えてみたいのですが、「アッケシエト」のあたりに本当におひょう(楡)の木が生えていたのか……というところから疑っていて、実は ar-kes-etu で「もう一方・末端・鼻(岬)」だったりしないかな……と思っています。と言うのも、「シロカラモイ岬」とあわせて見た場合、「アッケシエト」が「もう一方の岬」と言えそうな気がするので……。

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