2023年2月26日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1016) 「ハッタリ川・恋問川・紅煙岬」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ハッタリ川

hattar
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
根室の市街地の西側を流れる川です。国土数値情報では「ハッタリ川」が根室湾に注ぐとされていますが、地理院地図のベクトルタイル「自然地名」では「ハッタリ川」が旅館「二美喜にびき」の近くで「西月ヶ丘川」に合流して、「西月ヶ丘川」が根室湾に注いでいることになっています。

これは「ベクトルタイル」がやらかした……と考えるべきなんでしょうね。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には何故か「ハッタリ川」に相当する川名・地名が見当たりません。ただ「竹四郎廻浦日記」(1856) には次のように記されていました。

     コイトイ 子モロより四丁、ハツタラへ二十丁
     ハツタラ 十五丁
     アツケシヱト 十丁
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.424 より引用)
また「初航蝦夷日誌」(1850) にも次のように記されていました。

     アツケシヱト
砂浜。出岬也。廻り而直于
     ヱルウシ
沙浜通りしばし行
     ハツタラ
沙浜少し山の方岡山。雑木立有るなり。越而
     コヱトイ
此処少し出岬。廻りて湾の方へ入りて小川有。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.421 より引用)
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Hattara   ハッタラ   淵 根室市街ト根室村ノ境に在ル川ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.367 より引用)
どう見ても解に迷うことは無さそうなので、ここまで引用する必要も無かったような気もしますが……。素直に hattar で「」と見て良いかと思われます。共和町(後志総合振興局)の「発足」とは「兄弟地名」なんでしょうね。

恋問川(こいとい──)

koy-tuye
波・切る
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
根室の市街地のほぼど真ん中を流れて、根室湾に注ぐ川です。イオン根室店(旧「ポスフール根室店」)の南のあたりを流れているようですが、地理院地図には川として描かれていません。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ユエトイ」と描かれていますが、これは「コエトイ」の誤字と見るべきなんでしょうね。

明治時代の地形図には「コイトイエ川」と描かれていました。これは釧路の「恋問」と同じく koy-tuye で「波・切る」と見るしか無さそうな感じでしょうか。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Koi tuye   コイ ト゚イェ   浪越ナミコシ 浪ノタメニ潰ユル處ノ義ナリ今俗語ニ從ヒ浪越ト譯ス○彌生町一丁目櫻橋ノ邊ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.366 より引用)
現在の恋問川は弥生町二丁目にある「桜橋交番」のあたりから道路の下を流れて、弥生町一丁目のあたりで根室湾に注いでいます。永田方正が記録した「桜橋」は交番の名前として今も健在なんですね。

根室の「恋問川」は、稚内の「声問」や釧路の「恋問」、苫小牧の「小糸魚(糸井)」と「兄弟地名」なんでしょうね(またか)。

紅煙岬(べにけむり──?)

pikew-moy?
小粒の石・湾
(? = 記録あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
根室の市街地から道道 35 号「根室半島線」を北上すると、市街地を抜けたすぐ先(北浜町一丁目と北浜町二丁目の間)で「一番川」という川を渡るのですが、「一番川」の河口の 130 m ほど北北西に「紅煙岬」という岬があります。この岬、どうやら「べにけむり──」と読むらしく……。

この「紅煙岬」ですが、「初航蝦夷日誌」(1850) には「ヒンケウムイ」とあり、また戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

またしばし小笹原を来るや
     ヒンケウモイ
此処一ツの岬に成り、上に台場有。是え来れば子モロの会所元見ゆるなり。其地名の訳は崖の下長く小石が有る故に号るとかや、ヒンケウムイとは小石の湾と云儀。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.599 より引用)

突然ですが

ではここで問題です。上記引用文を参考に、ここまでの文章の矛盾点を述べてください(10 点)。

解答ですが、「ヒンケウモイ」と「ヒンケウムイ」で表記が揺れている……ではなく、「是え来れば子モロの会所元見ゆるなり」が変なのですね。現在「紅煙岬」とされている場所は北東に面しているので、ちょうど南西にある根室の市街地は見えない筈なんです。

改めて明治時代の地形図を眺めてみると、ふむふむなるほど。弁天島の北東にあたる「琴平町一丁目」のあたりに「ペニケウエイ岬」と描かれています。ここなら根室の市街地を一望できるので、松浦武四郎が記録した「ヒンケウイ」は根室港の北、現在の琴平町一丁目のあたりと考えるべきみたいです。

「小石の湾」?

「ヒンケウモイ」が「小石の湾」というのはちょっと理解に苦しむのですが、永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Pinnetke moi   ピンネッケ モイ   小石ノミアル灣 和人「ベニキムイ」ト呼ブハ非ナリ又「ビンヌクケモイ」(ヤチダモヲ取ル灣)ニモアラズ此邊「ビンニ」ノ樹ハナシ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.366 より引用)
うーむ……。そういえば「午手控」(1858) にも次のように記されていたんでした。

ヒンケウムイ
 崖の下長く小石有るが故、ヒンケウ(シ)ムイと云よし。ヒンケは小石のよし也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.366 より引用)
「ヒンケは小石のよし」とありますが、「地名アイヌ語小辞典」(1956) を見てみると……

pikew, -e【H】/-he【K】 ピけゥ【ビホロ;クッシャロ; K】小粒の石;バラス。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.94 より引用)
あっさりと答らしきものが出てきました(汗)。ふむふむ、pikew-moy で「小粒の石・湾」と考えられそうですね。

となると今度は永田地名解の「ピンネッケ モイ」が何なんだ……という話になるのですが、何なんでしょうこれ(汗)。pi-{not-kew}-moy で「小石・{岬}・湾」とかですかね……?

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