2019年12月28日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (689) 「徳志別川・ニタツナイ川・タチカラウシナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

徳志別川(とくしべつ──)

top-us-pet
竹・多い・川
tukusis(-us)-pet
アメマス(・多くいる)・川

(典拠あり、類型あり)

枝幸町(旧・歌登町)の南部から北に向かって流れて、枝幸町の中程でオホーツク海に注ぐ川の名前です。個人的に珍しいと思うのが、道道 120 号「美深中頓別線」から下流側に道路が無いというところです。車が通る道が無いのはちょくちょくある話ですが、人が歩ける道すら無いというのは珍しいのではないかと……。

思い出せる中では、雨竜川の鷹泊ダム上流部もそんな感じでしたね。

この徳志別川ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「トウシヘツ」と描かれています。また「竹四郎廻浦日記」には「トホシベツ」と記録されています。これらの記録からは to-us-pet で「沼・ついている・川」と読めそうです(実際に河口部に河跡湖のようなものも見えます)。

ただ、永田地名解には異なる見解が記されていました。

Topush pet  トプシュ ペッ  竹川 大竹多キ川ナリ、松浦地圖「トウシペツ」トアルハ訛ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.441 より引用)

top-us-pet で「竹・多い・川」なのだ、と言う説のようです。突然出てきたこの説について、山田秀三さんは

永田地名解が「トプㇱペッ top-ush-pet(竹川)。大竹多き川なり」と書いたのは当時のアイヌから聞いた伝承であろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.173 より引用)

と考えたようです。確かにそうでも無い限り、「トウシヘツ」説を明快に否定できるとも思えないですからね。

更科源蔵さんは「アイヌ語地名解」で次のように記していました。

トㇷ゚は竹、ウㇱは沢山ある。ペツは川で根曲竹の笹の子とるところであるというが、トクシュシペツ(あめます川)とも解される。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.200 より引用)

最後にこっそり新説を含めるあたり、さすが更科さんですね。確かに tukusis は「アメマス」を意味するため、tukusis(-us)-pet であれば「アメマス(・多くいる)・川」となります。個人的には永田説よりも納得感があるのですが、現時点では広く受け入れられているわけでは無いようです。

ニタツナイ川

nitat-nay?
湿地・川

(? = 典拠なし、類型多数)

徳志別川の西支流に「オフンタルマナイ川」という川がありますが、ニタツナイ川はオフンタルマナイ川の西支流です。

「ニタツナイ」は nitat-nay で「湿地・川」と言うことになるかと思います。どのあたりに「湿地」があったのだろう……と思って地形図を眺めているのですが、中流部にクレーターのような盆地があるので、もしかしたらこのあたりが大昔は湖だったのかな、などと想像してみました(全く見当違いかもしれませんが)。

また、不思議なことに、明治時代の「北海道地形図」には「ピウタン」という名前で描かれていました。そのままでは解釈が困難ですが、pi-uta-un(-nay) で「小石・河原・ある(・川)」あたりあたりだったのでしょうか。

「ニタツナイ」の解釈はほぼ間違いないと思うのですが、「典拠なし、類型多数」なので「?」をつけておきます。

タチカラウシナイ川

tat-kar-us-nay
樺の皮・採る・いつもする・川

(典拠あり、類型あり)

徳志別川の東支流の名前です。川沿いを道道 1023 号「上徳志別乙忠部線」が通っています。1980 年代の土地利用図には「タツカラウシュナイ」という地名も描かれていますが、現在は「歌登豊沃」という地名のようです。これは瑞祥地名と考えられますが、「豊沃」というのはなかなかユニークですよね。

「東西蝦夷山川地理取調図」には該当しそうな川が描かれていません。やや下流側に「エナウエテカナイ」という東支流が描かれていますが、これは現在の「菅原ノ沢川」のことでしょうか。

更科さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。

タッ・カラ・ウㇱ・ナイで樺皮を(タッ)採る(カラ)いつもする(ウㇱ)沢(ナイ)という意味。他の地方でタッニウシ(樺の木の多いところ)などと呼んでいるところと同じである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.204 より引用)

はい。全く異論はありません。tat-kar-us-nay で「樺の皮・採る・いつもする・川」で良いかと思います。

現在は川口に豊沢橋というのがあるので、学校名も豊沢小学校となったので、豊沢という日本名でも呼ばれるようになった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.204 より引用)

気になって調べてみたのですが、歌登には「豊沃小学校」が 1978 年まで存在していました(1953 年開校、1978 年閉校)。良く考えてみると、「沢」の字と「沃」の字はどことなく似ているような気も……。更科さんが勘違いした可能性ももちろんありますが、更科さんの原稿を活字化する時に誰かがやらかした可能性もありそうです。

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