2019年12月11日水曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (154)「探訪・北海道博物館(気になる天パーの少年編)」

 

「北海道博物館」の総合展示室は「第 1 テーマ」から「第 5 テーマ」に分かれています。」「第 1 テーマ」が「北海道 120 万年物語」で、その中が更に 4 つ(だったと思う)のサブテーマに分割されています。

さまざまな移住者

「人類の時代へ」「北海道独自の文化へ」「蝦夷地のころ」の次が「蝦夷地から北海道へ」で、「蝦夷地から北海道へ」の 3 つ目のトピックが「さまざまな移住者」と題されたものです。つまり、「さまざまな移住者」に章番号をつけると「1-4-3.」ということになりますね。題名を補完すると「1(北海道 120 万年物語)-4(蝦夷地から北海道へ)-3(さまざまな移住者).」と言った感じです。


「さまざまな移住者」の展示では、面白いグラフがあったのでそのご紹介です。1886(明治 19)~1922(大正 11)の間の移住者の数を出身府県ごとにまとめたもので、最も少ないのが沖縄県の 41 戸、もっとも多いのが青森県の 49,800 戸だったとのこと。2 位の新潟県が 49,573 戸と僅差であることが興味深いですね。

また、道内の各地に「岐阜」にまつわる地名を残している岐阜県よりも、東京府や徳島県のほうが(戸数レベルでは)移住者が多かったというのもトリビアでしょうか。「新十津川町」の母体となったことで知られる奈良県からの移住者も、戸数レベルでは兵庫県の半分以下ですが、まぁ元々の人口が(ry

アイヌ民族と北海道開拓

続いてのトピックが「アイヌ民族と北海道開拓」です。


松前藩の成立以降、和人にいいようにこき使われた印象の強いアイヌですが、千島・樺太交換条約によって樺太の領有権を失うことになった際に、現地の「樺太アイヌ」を北海道に強制移住させたこともありました。北海道に移住させられた樺太アイヌは、江別市の対雁のあたりに集められ、農業に従事したり工場で働いたりしたそうです。そう言えば江別って工業都市でしたよね。



アイヌ文化の世界

さて、第 1 テーマは「北海道 120 万年物語」と言うだけあってかなり長かったですが、ようやく第 2 テーマの「アイヌ文化の世界」です。他のお客さんも写真に入ってしまっていますが、これだったら OK ですよね。


「アイヌ文化の世界」、最初のサブテーマは「現在を知る」です。


アイヌの血を引く人々が日本国内のあちこちで普通に暮らしている……という事実も、意外と正しく理解されていなかったりします。故に「現在を知る」というテーマで始まる、というわけですね。


測量技師として活躍した「川村カ子ト」らの写真と、川村カ子トが測量に使用した器具の写真が紹介されています。この「現在を知る」という展示は、少年の質問にアイヌ系の祖父母が答える、という形式になっています。


「アイヌ風俗を蒐(あつ)めて」と題された絵葉書です。アイヌ文様の衣服に身を包んだアイヌが畑仕事に勤しむ姿を描いたものですが、展示では「孫」の少年に「こういう写真、僕、あんまり好きじゃないなぁ」と言わしめています。ここでは、アイヌは今でも民族衣装を身に纏って日々暮らしている、という誤解を助長するものの例として示されています。



移住地・市街地形成とアイヌのくらし

やや毛色の違った展示として「移住地・市街地形成とアイヌのくらし」というものもありました。都市開発に伴いアイヌが立ち退きを強いられたケースを、南小樽駅近くを例にして紹介しています。


南小樽駅のあたりに暮らしていたアイヌは、小樽市高島に移転を強いられ、最終的には浜益(石狩市)に移されたようです。



懐かしの二風谷

山の上から撮影したと思しき白黒写真が展示されていました。あれ、これは……


なんと、二風谷(平取町)じゃありませんかっ!


更には、このビニールハウスは、もしかして……


岩知志(平取町)だったらどうしようかと思ったのですが(知り合いの農家さんがいらっしゃるもので)、岩知志ではなく貫気別(平取町)でした。何度も足を運んだ、懐かしい平取の風景をここで目にしようとは……。いや本当に懐かしいとしか。



少年の天パーが気になる

ところで、この少年の天パーが気になったのですが、どうやら父親譲りだったのでしょうか。


天パーと言ったらやっぱあの人のことを想像しちゃうのですが……。

前の記事続きを読む


www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事