2020年3月20日金曜日

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「日本奥地紀行」を読む (100) 小松(川西町) (1878/7/13)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十八信」(初版では「第二十三信」)を見ていきます。



言論の自由の範囲

今日はいきなり「普及版」でカットされた内容からです。なんとも難解な日本語に思えますが、時岡敬子さんの訳でも大きな違いは無かったので、そもそもの原文が難解なのかもしれません。

 どこに行っても伊藤を通じてのイギリスの事柄についての女たちの私への問いかけはもっとも驚くべきもので、イギリス流の繊細さの観念に反して、極めてぶしつけな話しぶりを見せることでしたが、しかしながら、そのような話しぶりや我々のものとは大いに異なる彼らの慣習によって、彼らの道徳を判定するのは全く公正とはいえないでしょう。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.73 より引用)

ちなみに原文はこんな感じでした。

The questions which the women everywhere put to me through Ito about things at home are most surprising, and show a latitude of speech very offensive to English ideas of delicacy, yet it would be quite unfair to judge of their morals either by such speech, or by many things in their habits which are at variance with our own.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)

"things at home" が「イギリスの事柄」というのは少し違和感があったのですが、どうやら続くセンテンスの内容からそう解釈するのが適切だ、となったのでしょうね。本題に戻ると、イザベラが訪れた先ではどこでも女性からイギリスに関する質問を受けた、ということでしょうか。……あれ、なんかめっちゃシンプルにまとまってしまったのですが。

そして、イザベラは「わが国」イギリスの国民性について次のように記していました。

私の印象では、結婚している女性は貞潔で誠実で、男性はそれとは正反対である。また子どもたちは幼少のころから両親のだらしのない会話を耳にして、わが国(イギリス)の、家庭における子ども時代のもっとも大きな魅惑のうちに数えられる純粋さや無垢を知らずに成長するのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.73-74 より引用)

このような評価を自国民に対して行うという、自虐的な性向がある……と言えたりするのかもしれませんね。:-) イザベラがこのセンテンスを「普及版」から削ったのは……何故なのでしょう。さすがにシニカルに過ぎて忍びないと感じたのでしょうか。

絹糸と養蚕

「普及版」でカットされたセンテンスが続きます。米沢盆地の民家では、至るところで「蚕」が飼われている……という話です。

 蚕糸はどこにでもあり、蚕(シルク)はあらゆる家で、最もよい場所を占領しています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.74 より引用)

このあたりでは養蚕が盛んだったようで、イザベラも「この地域は養蚕で暮らしているように見える」と記しています。絹糸は、明治初頭では数少ない国際競争力のある輸出品でした。養蚕も決して楽な稼業だとは思いませんが、農業と比べると豊作・不作の波が穏やかだったりするのでしょうか。

この家の主人は私を養蚕場へ連れて行ってくれました。そこでは農民が蚕卵(年間 300 万ドルにも及ぶ日本からの輸出品であるが)と高品質の生糸を作っています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.74 より引用)

年間 300 万ドルと言われると、1 ドル 100 円で換算すると 3 億円ということですよね。現在の為替レートで考えると「ふーん」という感じですが、当時の GDP の何割くらいを占めていたのでしょう(相当なものだった可能性がありそうです)。

イザベラは養蚕のやり方について、実に事細かに記していました。

蚕卵をとるために蚕は 12 日から 14 日間、浅い龍の盆(蚕箔)に並べられていて、その期間のお終いには、頬は見栄えのしない小さい白い蛾になって現れます。 100~130 匹の蛾は四角い蚕種紙の上に置かれ、12 時間後に蚕卵で覆われ、秋までに糸で吊るされます。それから、蚕種紙は箱にしまわれ、卵は次の春になると孵化します。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.74 より引用)

これはどう考えても「紀行文」の域を超えているように思えます。「知られざる国・日本」の主力産業(の一つ)の紹介と捉えることもできますが、イザベラのスポンサーだったイギリス政府のお偉方向けの「調査結果」と考えたほうが自然な感じがします。故に普及版ではバッサリとカットされた、と見ることもできそうに思えます。

 この地域の最高の蚕種紙は 1 枚につき、3 円半で売れます。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.74 より引用)

なんとこんな情報まで。ほぼ産業スパイと言っていいのでは……(汗)。

蚕は 4 回の睡眠を経過するが、1 回目は、孵化後 10 日目に起きる。残りの 3 回の睡眠の間隔は 6~7 日である。最も注意深く人が付き添ってこの睡眠は準備される。エサは普通、1 日に 5 回与えられるが、暑い日には 8 回も与える。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.74 より引用)

わわわわ……。農業と比べると安定してリスクが少ない産業かと思ったのですが、やはり相当手間暇はかかるみたいですね。

4 回目の眠りのあとすぐ蚕はエサを食べるのを止め、繭を張る場所を探すのが観察されると、最上等のものを、選りすぐって、藁製の装置(蔟(まぶし))の上に置く。その上で、蚕は 3 日間で繭を紡ぐ。繭を生糸にするためには、3 日間盆の上で日光に当てておき、これによって蛹を殺すのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.75 より引用)

毎度漢字が読めずに苦労するのですが、「蛹」は「さなぎ」でしたね。本来はさなぎを守るために紡がれた筈の繭を「横取り」するために、どのようにしてさなぎを「除去」するかについて記されています。

イザベラは何のために養蚕の詳細を記したか

もちろん、イザベラの一連の説明を読んだだけですぐに養蚕ができるようになるとは思いませんが、絹糸の生産にどの程度のコストがかかっているかは算出できそうです。

単なる紀行文にしては地誌的な記述が多いことは以前から気になっていましたが、「地誌」と言うよりも、その土地の「資産価値」を推し量るのに役立つ情報、という気がしてきました。もう少しわかりやすく書くと、植民地化を検討する際の資料の一つとして考えられていたのではないか、ということです。

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