2020年3月22日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (713) 「稲倉石川・ピリカナイ沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。


稲倉石川(いなくらいし──)

inkar-us-i??
見張る・いつもする・もの(所)

(?? = 典拠なし、類型あり)

古平と神恵内を結ぶ道道 998 号は「六志内橋」から六志内川沿いにルートを変えますが、一方で古平川沿いを道道 569 号「蕨台古平線」が通っています。

何故道道 998 号のほうが番号が大きいのだろう……と不思議に思っていたのですが、歴史的経緯(国道から道道に移管された)からだったんですね。ちなみに道道 569 号は古平町と共和町の間の「岩平峠」が未開通のままで、共和町に抜けることはできません。

アイヌ語地名か、それとも和名か

「稲倉石川」は古平川の東支流です。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 稲倉石(いなくらいし)
 アイヌ語と思われるが、古い文章に記載されていない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.43 より引用)

さすがは更科さんです。「アイヌ語地名解」という題名の書物にしてこの緩さ加減が素晴らしいとしか。

ただ、更科さんが「古い文章に記載されていない」としたのは間違っていないようで、永田地名解や「竹四郎廻浦日記」には「稲倉石」に関連しそうな記述を見つけられませんでした。

稲倉石鉱山

明治時代の地形図には、既に「稲倉石」と漢字で記されていました。地理院地図には「廃坑」と注釈された鉱山が描かれていますが、昔はなんか色々と出たらしいです(ぉぃ)。「説明が雑すぎる」と思われるかもしれませんが、どうやら「金・銀」→「マンガン」→「鉛・亜鉛」を産出したのだとか(採掘時期によって主な採掘物が異なっていたようです)。

「稲倉石」が鉱山に由来する可能性も考えられたのですが、明治 18 年に発見された金鉱の名前は発見者の「大井嘉蔵・猪股五兵衛」の名前から「大股鉱山」と命名されたとのこと。その後「稲倉石鉱山」に改名された……とありますから、「稲倉石」の名前は鉱山に由来するものとは考えにくいかもしれません。

また、道南の厚沢部にも「稲倉石」という地名がありました(鶉ダムの近くに「稲倉石トンネル」というトンネルがあります)。これらのことから、「稲倉石」は和名ではなく、「いなくらいし」と読みたくなるアイヌ語由来の地名があったのではないか、と考えられそうです。

kenas と nikur

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ハンケナンヲマレ」と「ヘンケナンヲマレ」という川が記載されていました。ナンのこっちゃと思ってしまいますが、「竹四郎廻浦日記」には「ケナシヲマフ」とあるので、「ヘンケナンヲマレ」は「ペンケナシヲマフ」が正解かもしれません。「ペンケケナシ──」だったものが「ケ」が一つ落ちた可能性もありそうですね。

仮に「ペンケケナシオマプ」なのであれば、penke-kenas-oma-p で「川上側の・川端の木原・そこに入る・もの」と解釈できそうでしょうか。知里さんの「──小辞典」によると、kenas の解釈は土地によって細かなバリエーションがあったようにも読めますが、田村すず子先生や中川裕先生の辞書によると、概ね「木原」という解釈で良さそうにも思えます。

「ペンケケナシオマプ」と「稲倉石」の両者には似た要素が見つからない……ように見えますが、仮に kenas(木原)が nikur(林)に化けたとしたらどうでしょうか。i-nikur-us で「いなくらいし」と読めるんじゃないか……と思ったのですが、良く考えると文法的におかしいことに気づきました(何を今更)。o-nikur-us であれば「そこに・林・ある」と読めるのですが、i-nikur というのが成り立たないような気がするのです。

inkar-us-i では?

……えー、要はここまでの推論(の大半)がポカミスで吹っ飛んだんですが、i-nikur-us と言った無理のある推論を立てなくても、もっと自然な解があったことに今頃気づきました。inkar-us-i で「見張る・いつもする・もの(所)」ですよねこれ(汗)。

稲倉石川を遡った先、余市町との境界に、標高 789 m の「稲倉石山」があります。北側に標高 822.5 m の無名峰?があるので、北側の眺めは期待できませんが、東側と南側の眺めは良さそうな場所です。

ただ、おそらく inkar-us-i は「稲倉石山」のことではなく、稲倉石川が古平川と合流するあたりの西側に聳える、標高 438.0 m の山のことではないかと想像します。地形図からの想像ですが、東側のみならず南北の古平川を一望できる上に、西側も「下二股川」やその支流の「冷水川」を一望できそうなのですね。

この山が inkar-us-i と呼ばれて、近くの川の名前に転じたのではないか……と想像しています。傍証がないのが悲しいところですが……。

ピリカナイ沢

pirka-nay
美しい・川

(典拠あり、類型多数)

古平川の東支流で、稲倉石川の南側を流れています。今更取り上げるまでもなく pirka-nay で「美しい・川だと想像できるのですが……。

「東西蝦夷山川地理取調図」には描かれていないようで、「竹四郎廻浦日記」にも該当しそうな記録を見つけられなかったのですが、永田地名解には次のように記録されていました。

Pirika nai  ピリカ ナイ  美川 川中美ナリ故ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.99 より引用)

「さそり座の女」と「ふたり酒」あたりが聞こえてきそうですが、それはさておき……。まぁ、想像通りの解だったので、今更補足するところも無いのですが。

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