2020年4月26日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (723) 「能蘭山」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

能蘭山(のうらん──)

no-ru-e-ran??
クマ・道・そこから・降りている
mo-ru-e-ran??
小さな・足跡・そこから・降りている

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
オネナイ川の南に位置する山の名前です。また海側には「ノーラン岬」もあり、かつては国道 229 号で行くことができたのですが、現在は「川白トンネル」で通過してしまうため「ノーラン岬」に車で行くことは難しくなっています。

「能蘭山」の位置の検討

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ノロラン」という名前の山が描かれていました。但し位置は若干ズレているようで、珊内の南、国道 229 号が「キナウシトンネル」で抜けているあたりの山として描かれているように見えます。

ただ「西蝦夷日誌」を見た限りでは、おおよそ現在の「能蘭山」と思しき位置に「モロラネ(崖)」と言う記録があります。「ノーラン」「ノロラン」とは少し違う形なのが気になりますが、少なくとも珊内の南にそれらしき山または崖の記録は見当たらないため、「モロラネ」が現在の「能蘭山」を指している可能性が高そうです。

前後関係を正確に把握するために、ちょっと長いですが引用してみます。

サネナイ〔珊内、柵内〕(番や、板くら、夷家二軒)、我等此所へ下りしなり。従
レ是轉太濱、エナヲ岬、ホンイカウシ(磯)、イカウシ(崖)、ホロシヨシケ(同)、ホンシヨシケ(同)、ウシヨロ(小灣)名義、懐の義。モロラネ(崖)上に高山あり。名義、大落崩義。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.125 より引用)
「西蝦夷日誌」では「モロラネ(崖)」の次が「ヲンネナイ(瀧)」となっています。これはオネナイ川を指すと考えられますので、「モロラネ(崖)」は厳密には「ノーラン岬」ではなく、能蘭山の西、川白トンネルの北側入り口のあたりを指していると見られます。明治時代の地形図では「ノトロ」(not-oro で「鼻のところ」)となっているあたりです。

現在の「ノーラン岬」ですが、大正時代に測量された陸軍図では「ノナマイ岬」となっていました(ついでに言えば、「西蝦夷日誌」で「エナヲ岬」と呼ばれている岬のことかもしれません)。やはり「能蘭山」とは関係なさそうな感じです。

ちょいと細かい話ですが

「モロラネ」と「ヲンネナイ」の間については、「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     ウシヨロ 少し澗也。
     モロラ子
此辺に到るや岩石峨々たるに、其辺飛越刎越其岩間には浪打込候て其奇絶如何とも云がたし。又此辺鹿骨多し。是は皆冬分熊に追出され来りて喰殺されしものなりと。其角中々数え尽さるべきものにあらず。又少し出岬やワシリ等をこへて、
     ヲン子ナイ 滝有。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.382 より引用)
「ウシヨロ」というのは小樽の「忍路」と似た地形だと考えられますが、規模こそ違えど確かにそれっぽい地形があります。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「モロラネ」が「出岬」を指すのか、それともその麓を指すのかが若干曖昧ですが、おおよその位置は特定できたような気がします。

「此辺鹿骨多し」

また「此辺鹿骨多し」という記述がありますが、これは「西蝦夷日誌」にも次のようにありました。

此濱に鹿の骨多く、恰も寄木の如くあり。是は冬分山に住難く、濱え出來り、雪にそり過て落死するを、熊はそれを夜々出來りて喰よし。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.125 より引用)
また、永田地名解にも同様のストーリーが記されていました。

Noro ran  ノロ ラン  鹿ノ下ル處 十年前ハ冬雪ノ際山中ノ鹿寒ヲ避ケ此ノ絶壁ニ出テ墜落死スル者甚タ多ク熊來テ之ヲ食ヒ「アイヌ」亦來テ斃鹿ヲ拾ヒ取リシト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.106 より引用)
「あまりの寒さに鹿が山から飛び出してきて、崖から落ちて死んだ」という筋書きのようですね。これだけだと若干「ほんまかいな」感がありますが、「竹四郎廻浦日記」では「熊に追われて」との補足があります。なるほど、これだったら筋が通りますね。

地名解の検討

ということで肝心の地名解ですが、「ノロ ラン」で「鹿の下るところ」と解釈できるかと言われると……ちょっと厳しいような気がします。また永田地名解が「東西蝦夷山川地理取調図」の流れを引く「ノロラン」なのに対し、「西蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」が「モロラネ」なのも気になるところです。

「ノロラン」であれば、no-ru で「尊い・足跡」という語彙があり、転じて「クマの道」を意味するので、no-ru-e-ran で「クマ・道・そこから・降りている」と解釈することができそうです。ただ、これだと「熊が落ちた場所」になりそうですし、また古い記録には「モロラネ」とあることも考慮する必要があります。

もしかしたら、mo-ru-e-ran で「小さな・足跡・そこから・降りている」と考えられないかな……とも思い始めています。「室蘭」の由来が mo-{ru-e-ran-i} で「小さな・坂」ではないかとされていますが、それととても良く似た地名ということになりますね。

室蘭(元室蘭)とヲネナイの地形を見たところでは、どちらも海岸まで尾根がせり出しているという共通点がありそうです。ただ、元室蘭の mo-ru-e-ran-i は人が行き来する道路だったと考えられる一方で、能蘭山は「鹿が落っこちる場所」なので、ニュアンスはかなり異なる……ような気もします。

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