2020年8月10日月曜日

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「日本奥地紀行」を読む (107) 山形(山形市)~村山(村山市) (1878/7/15)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十九信」(初版では「第二十四信」)を見ていきます。



製糸工場

山形でイザベラは病院や裁判所に足を運んでいましたが、さらに製糸工場も訪れていました。毎度おなじみのスパ……じゃなくて社会見学の一環ですね。さすがに「日本奥地紀行」には相応しくないと判断したのか、製糸工場のくだりは「普及版」では見事にカットされています。

 私はある製糸工場を訪ねました。そこでは支配人と技師が全員洋服を着ていましたが、彼らは珍しく礼儀正しくて、打ち解けていました。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.78-79 より引用)

イザベラは早速、建物内部の情報を詳らかに記していました。

そこは明るく、ひときわ高い換気のよい建物で、50 基の糸繰り機(近々 100 基に増えるはずです)が清潔で、よいキモノを着た同数の少女たちによって操作されていました。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.79 より引用)

労働力として若い女工が充てられていることが記されていて、そして工場の規模が急速に拡大していることが読み取れます。更には……

見習い中の者は食べ物の他にはほんの少しのお金しかもらわず、熟練者は 1 週間に 5 シリングと食べ物が支給されます。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.79 より引用)

「女工哀史」の世界の萌芽が、既に見て取れるようです。

生糸はイギリスから見れば「日本からの輸入品」であり、イザベラがその生産工程に興味を抱いたのも、当然の帰着だったかもしれません。生産に使用される「機械」については、次のように記していました。

機械は日本人によって作られ、操作される 20 馬力の蒸気機関によって作動しています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.79 より引用)

「20 馬力の蒸気機関」とは随分とハイテクな感じもしますが、これで 50 基の糸繰り機を動かしていた、ということでしょうか。日本人が既に(小型の?)蒸気機関を内製している……という情報は、当時のイギリス人にはどのように受け止められたのでしょう。

1 日の労働時間は 11 時間です。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.79 より引用)

発展途上の国では良く見られる話ですね。従業員を安く働かせることで価格面でも競争力を見出そうという安直な発想のように思えます。

イザベラは山形市内で官公庁や裁判所、そして製糸工場を視察していましたが、実は「追っかけ」を引き連れての移動だったことが明かされます。

 山形の群集は息がつけないほどで手に負えませんでした。彼らは製糸工場まで私の跡をついてきました。警官が追い払った後でまた集まってきて、私がそこで過ごしている間外で待ち、茶館までついてきて、そこでまた私のスプーンやフォークがもう 1 時間、群集を引き止めたのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.79 より引用)

イザベラも、そろそろ「配布用」に日用品を仕入れておく必要があるな……と気づいたのでは無いでしょうか。最初からある程度は織り込み済みだったと思われますが、上方修正は必要だったのではないか、と思えてなりません。

雪の山々

イザベラは山形を出発し、再び北に向かい始めました。

 山形の北に来ると、平野は広くなり、一方には雪を戴いたすばらしい連峰が南北に走り、一方には側面にところどころ突き出た断続的な山脈があり、この楽しく愉快な地域をとり囲んでいる。ほれぼれとして見たくなるような地方で、多くの楽しげな村落が山の低い裾野に散在している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.226 より引用)

言われてみれば……という話ですが、山形盆地は山形市内よりも天童・寒河江に向かったほうが広くなっていましたね。このあたりの景観については、イザベラはとても好意的に見ていたようです。

温度はただの七〇度で、北風であったから、旅をするのは特に愉快であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.226 より引用)

華氏 70 度は摂氏 21.1 度ですから…… 7 月でこの気温というのは快適ですよね。ただ、快適だった旅も最後に計算外の事態が待ち構えていました。

もっとも、天童から先へ三里半も行かなければならなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.226 より引用)

天童から先に三里半……となると、村山あたりということになるのでしょうか(本文には明記されていないため、詳細は不明)。そして、イザベラ一行が天童で宿を得られなかった理由については、次のように記されていました。

天童は人口五千の町で、ここで休息するつもりであったが、貸付屋(貸座敷)でない宿屋はすべて養蚕のためふさがっており、私を受け入れることはできなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.226 より引用)

「宿泊客よりも養蚕優先」というまさかのオチですが、それだけ養蚕が重要産業だった、ということを如実に示していますね。

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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

何だか熱心に読み進めていましたがとうとう追いついてしまった!残念
面白く読ませてもらいました!

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