2020年8月1日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (750) 「優園川・徳舜瞥川・北湯沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

優園川(ゆうえん──)

yu-enkor-kus-pet
温泉・鼻(岬)・通行する・川

(典拠あり、類型あり)

長流川の東支流で、旧・大滝村(現在は伊達市)と壮瞥町の境界を流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき川が見当たりませんが、明治時代の地形図には「ユーエンゴロクシユベツ」と描かれていました。

この川ですが、永田地名解にはしっかりと記されていました。

Yū engoro kush pet  ユー エン ゴロ クㇱュ ペッ 溫泉ノ上川ヲ流ル川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.188 より引用)

「上川」には「カミ」とルビが振られています。「本気」を「マジ」と読むような流儀でしょうか(ちょっと違うような)。

決して大きな川とは言えない優園川ですが、山田秀三さんの「北海道の地名」にも記述がありました。

yu-enkor-kush-pet「温泉の・(山の)鼻・を通る・川」である。地名では山の突出した処をよくエンコロ(enkor 鼻)で呼んだ。エトゥ(etu 鼻)と同じ。この yu(温泉)は蟠渓温泉のことであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.407 より引用)

概ね同感です。yu-enkor-kus-pet で「温泉・鼻(岬)・通行する・川」と捉えて良いかと思います。

若干謎なのが kus(通行する)が含まれるところなのですが、この川筋が交通路として有用だったのか、個人的には少し疑わしく思っています。もしかしたら yu-enkor-us-pet で「温泉・鼻(岬)・ついている・川」だった可能性もあるかな、などと想像してみました。

徳舜瞥川(とくしゅんべつ──)

tukusis-us-pet
アメマス・多くいる・川

(典拠あり、類型あり)

長流川の東支流の名前です。このあたりは旧・大滝村ですが、大滝村は 1950 年までは「徳舜瞥村」という名前でした。字数や画数が多いことが改名のきっかけだったようです。

丁巳日誌「於沙流辺津日誌」には次のように記されていました(聞き書き)。

扨此川上の事を聞に、堅雪の節是より半里も上るや右の方、白老岳のうしろの沢目、其より三里も上り行哉
     へ タ ヌ
此処右の方え行時は本川、左りの方え行候時は支流、則
     トクシヽヲンベツ
と云よし。川少し此方の方細くして、其源はシリヘツの奥と並び行よし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.289 より引用)

「ヘタヌ」は「二股」という意味で、元々は pet-aw で「川・枝」すなわち「枝川」だったと考えられます。徳舜瞥川はそこそこ大きな規模の川であるが故に「二股」の片割れとして記されている、ということになりそうです。

ただ、「於沙流辺津日誌」の記載は左右が逆になっているようですね。「東西蝦夷山川地理取調図」では、現在の「徳舜瞥川」の位置に「トクシヽヲンヘツ」という川が描かれています。

永田地名解には次のように記されていました。

Tokushish ush pet  トクシシュ ウㇱュ ペッ  鯇多キ川 春日今尚多シト云
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.188 より引用)

「鯇」は「アメマス」と読みますが、確かにアイヌ語でアメマスは tukusis と呼ばれます。せっかくなので知里さんの「動物編」を引用しておきましょうか。

§74. アメマス Salvelinus malma leucomaenis ; Sea-run form
     Salvelinus leucomaenis leucomaenis (Pallas),
     Salvelinus kundscha Jordan et Evermann
(1) tukúšiš(ト゚くシㇱ)[<ru(跡)kusis]《タラントマリ;近;穂;萩;チトセ;タライカ;美;沙;トンナイ;ハルトリ》アメマス
 注.──tukusis 《ハギノ》(1) アメマス (2) イワナ
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 動物編』」平凡社 p.58 より引用)

知里さんは、rukusis が訛って tukusis になった可能性があると見ていたようで、これはちょっと興味深いですね。とりあえず「徳舜瞥」については tukusis-us-pet で「アメマス・多くいる・川」と考えて良さそうです。

北湯沢(きたゆざわ)

penke-yu
川上側の・湯

(典拠あり、類型あり)

旧・大滝村南部の地名で、かつて国鉄胆振線に同名の駅もありました。ということで、まずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょう。

  北湯沢(きたゆざわ)
所在地 (胆振国) 有珠郡大滝村
開 駅 昭和 15 年 12 月 15 日(胆振縦貫鉄道)(客)
起 源 もと「優園(ゆうえん)」といっていたが、この地はアイヌ語で「ペケ・ペッ」(上の川)と呼ばれていたのを、昭和 19 年 7 月 1 日買収の際長流川の渓流にのぞんで温泉が多いので、「湯沢」と改めたかったが、奥羽本線に同名の駅があるため「北」をつけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.78 より引用)

もともと「ペケ・ペッ」だったものを「湯沢」に改めたかったが、既に同名の駅が奥羽本線(山形県)にあったので「北湯沢」とした、というストーリーのようですね。

永田地名解には次のように記されていました。

Penke yū  ペンケ ユー  上ノ湯 溫泉アリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.188 より引用)

明治 30 年にこのあたりを測量にやってきた役人が、案内役のアイヌから「川底から湯が出ている」と教えられたのが「北湯沢温泉」発見のきっかけとされています。以前から地元のアイヌには温泉の存在が知られていたのでしょうね。

実際に現在の「湯沢川」が「ベンケユ」と呼ばれていたようで、これは penke-yu で「川上側の・湯」と解釈できます。

penke-yu があるということは panke-yu(川下側の・湯)もあるのですが、これは現在の「蟠渓温泉」のことだと考えられます。

「北湯沢」が「湯沢」を名乗らなかったのは湯沢駅(山形県)の存在があったからだと思われますが、「湯沢温泉」のはるか北にあり、また「蟠渓温泉」の北にもあるので、「北湯沢」はある意味ダブルミーニングだったのかもしれませんね。

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