2021年5月8日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

アイヌ語地名の傾向と対策 (829) 「ラバトナー川・オタルベン(小樽弁)・シルコマナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ラバトナー川

tepa-to-nay??
ふんどし・沼・川
(?? = 典拠なし、類型あり)
枝幸町音標の北西を流れる川の名前です。カタカナの川名が多い北海道の中でも、「ルークシュポール」以上にヨーロッパっぽい川名……でしょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい川が見当たりません。また「再航蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」も同様です。ただ、いずれも「ラバトナー川」に相当する位置に「ヲナヲマナイ」という川が記録されていました。

     シルコマナイ 小川
     ヲタルエンルン 岬
     ヲナヲマナイ 小川
     ヲチシベ 小川
近年迄弐軒有。当時壱軒もなし。此辺(字欠)にして道山わろし。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.329 より引用)
どうやら、現在の「ラバトナー川」は、かつて「ヲナヲマナイ」と呼ばれていたと考えるしか無さそうです。「永田地名解」にも次のように記されていました。

Ona oma nai  オナ オマ ナイ  父居ル澤
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.443 より引用)
ona は「父親」を意味する語で、田村さんの辞書には次のようにありました。

ona オナ【名】[概/所]父親(第三者として言及する客観的な親族関係の表現。呼びかけには使わない)。
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.469 より引用)
どうやら「お父さん」ではなく「父」というニュアンスの単語のようですね。ona-oma-nay で「父・そこにいる・川」となりそうです。

「テパトーナイ」が「ラバトナー」に

さて、この「オナオマナイ」が何故「ラバトナー」に化けたのか……という話ですが、明治時代の地形図を見てみると、そこには「テパトーナイ」と言う川が描かれていました(!)。なるほど、「テパトーナイ」が「ラバトナー」に化けたというのであれば何となく理解できます。

この「テパトーナイ」をどう解釈するかですが、素直に考えてみると tepa-to-nay で「ふんどし・沼・川」でしょうか。「川の名前に『ふんどし』は無いだろう」と思われるかもしれませんが、深川の「デバウシナイ川」が tepa-un-nay ではないかと言われていまして……。

知里さんの有名な説に「地形擬人化」と言えるものがありますが、川についても水源が「頭」で河口が「陰部」であるとされています。そして「ふんどし」と言えば「陰部」を隠すためのものです。となると、地形における「ふんどし」は「陰部」(=河口)を隠すものではないか、と思われるのです。

オホーツク海沿岸は、沿岸流によって海砂が運ばれて河口が埋まるケースも多く見られます。「ラバトナー川」(テパトーナイ)も流れてきた海砂のおかげで河口が塞がれて池ができていたのかも知れません。

オタルベン

otarup-enrum
ハマナス・岬
(典拠あり、類型あり)
枝幸町風烈布の南東、シルコマナイ川の南東を流れる川の名前です。かつては「オタルベン」という地名もあり、現在も「小樽弁」というバス停が存在します。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲタルウエンル」という地名?が描かれています。「再航蝦夷日誌」にも「ヲタルウヱンル」とあるほか、「竹四郎廻浦日記」にも「ヲタルエンルン 岬」とあります。どうやら本来は「岬」を指す地名だったようですね。

現在「オタルベン川」とされる川は、明治時代の地形図には「ポンシュルコマナイ」と描かれていました。「オタレペンルム」は南東側の地名(岬名)として描かれています。

永田地名解には次のように記されていました。

Otarupenrum, = Otarup enrum  オタル ペン ルㇺ  玫瑰岬 枝幸アイヌハ玫瑰ヲ「オタルプ」ト云フ沙路ニ物ト云フ義ナリ「エンルㇺ」ハ岬ナリ急言シテ「オタルペンルㇺ」ト云フ松浦地圖ニ「オタルエンルン」トアルハ非ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.443 より引用)
久しぶりに「ドヤ顔の永田節」を見たような気がします。「枝幸アイヌは『ハマナス』を『オタルプ』と言う」と記されていますが、知里さんの「植物編」にも次のように記されていました。

( 7 ) otarux (o-tá-rux) 「オたルッ」[<otarup<otarop] 果實 《白浦》
  注 1.──北見國枝幸郡にオタルペンルㇺとゆう地名があり,永田方正氏わ ota-rup(ハマナシ)enrum(岬)と解し,枝幸アイヌハ玫瑰ヲ「オタルプ」ト云フ沙路ノ物ト云フ義ナリ,と附記している (C, p. 443)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.123 より引用)
知里さんも、永田地名解の内容を追認しているように見えます。また otarop という語についても次のようにありました。

( 3 ) otarop (o-tá-rop) 「オたロㇷ゚」[ota(砂濱)oro(の所)o(にある)p(もの)] 果實 《名寄,多來加》
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.123 より引用)
「多来加」は南樺太中部、かつての「敷香」(現在のポロナイスク)のあたりですから、otarop とその派生形は道北から樺太にかけて広く使われた表現ということになりそうですね。

本題に戻ると、「オタルベン」は otarup-enrum で「ハマナス・岬」ということになりそうですね。「はまなす岬」だったら今風の地名なのに、それが「小樽弁」に化けてしまったというのも、ちょっと面白いですね。

シルコマナイ川

surku-oma-nay
トリカブトの根・そこにある・川
(典拠あり、類型多数)
枝幸町風烈布の南東、風烈布とオタルベンの間を流れる川の名前です。「ラバトナー川」と「オタルベン川」は、地理院地図には川として描かれていませんでしたが、「シルコマナイ川」は川として描かれている上に名称も明記されています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「シユルクヲマナイ」という名前の川が描かれています(西隣に「ホンシユルクヲマナイ」が描かれていますが、実際の「ポンシュルコマナイ」は東隣を流れていたので、少しおかしいところもあります)。

「再航蝦夷日誌」には「シユルクヲマナイ」とあり、「竹四郎廻浦日記」には現在の川名と同じく「シルコマナイ」とあります。明治時代の地形図には「シュルクオマナイ」と描かれていました。

永田地名解には次のように記されていました。

Shurukoma nai  シュルコマ ナイ  古ヘ附子ヲ此川ニ漬シ毒矢ヲ製シタル處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.443 より引用)
なんかややこしいことが書いてありますが、surku-oma-nay で「トリカブトの根・そこにある・川」ですよね。「トリカブトの根」が「毒矢」をつくるのに使われた、というのはその通りで、surku(トリカブトの根)の在り処を示した地名は道内各所に見られます。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事