2021年5月3日月曜日

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「日本奥地紀行」を読む (116) 金山(金山町)~院内(湯沢市) (1878/7/19)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日からは、普及版の「第二十信」(初版では「第二十五信」)を見ていきます。

鶏肉の効果

疲労が蓄積していたイザベラは、金山でついにリタイア寸前の状態に陥ってしまいますが、医師の診察を受けた上で移動せずに連泊することで、体力を回復することに成功します。第二十信の冒頭では、イザベラの驚異的な回復の立役者の正体が明かされます。

 金山の戸長と夜おそくまで話をした後、翌朝とても早く伊藤が私を起こして言った。「今日は長い旅行ができますよ。昨日鶏を食べたんですから」。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.234 より引用)
イザベラを回復に導いたのは「鶏肉」でした。イザベラは道中、肉っ気の不足を幾度も訴えていましたが、タンパク質が不足していたりしたのでしょうか……。

この鶏肉のすばらしい効能のおかげで、六時四十五分に出発したが、結果は「急がば回れ」という諺を実証するだけであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.234 より引用)
「鶏肉」の効能はイザベラ自身も認めていたのですね。諺の「急がば回れ」は、原文では "The more haste the worse speed." となっていました。うまく訳したものだなぁ……と思ったのですが、時岡敬子さんの訳でも「急がば回れ」となっていたので、これは定番の訳なのかもしれませんね。

金山の戸長はなかなか気の利く人物だったようで、イザベラの出発にあたって「見送り」に来ないように周知したとのこと。おかげでイザベラ一行は「駄馬一頭と車夫一人」とともに静かに出発できたのだとか。それにしても、「駄馬一頭と車夫一人」というのは、随分とコンパクトになったような気が……。以前はもう少し大所帯だったような気もするのですが。

ひどい道路で、けわしい峠を二つも越えなければならなかった。私は道中ほとんど歩かなければならなかったばかりでなく、もっともけわしい場所では人力車を押しあげる手伝いをせねばならなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.234 より引用)
イザベラ一行は金山から北に向かい、「薬師山」と「中の森」の間の峠(名称未詳)を越えたと見られます(当時の羽州街道は現在の国道 13 号とは異なるルートを通っていました)。

その後「主寝坂峠」(しゅねざか──)を越えて「及位」(のぞき)に出てから、県境の「雄勝峠」(おがち──)を越えて「院内」(秋田県湯沢市)に出たようです。イザベラの言う「けわしい峠」は「主寝坂峠」と「雄勝峠」のことだったようです。

まずしい食事

イザベラ一行は、まずは「主寝坂峠」を越えて「及位」(最上郡真室川町)にやってきました。

すばらしい場所にある及位という村では、休止して、一頭の馬を手に入れ、雄物川の上流に沿って院内まで山道を歩いた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.234 より引用)
金山から及位までは、国道 13 号経由で 15 km ほどのようですが、これは「主寝坂トンネル」を経由した距離なので、更に峠道の分を加味する必要がありそうです。20 km 弱だとすれば、及位まで半日以上かかった計算になりそうでしょうか。

「及位」から「院内」に向かう間の「雄勝峠」でも色々な出来事があったようで、イザベラは次のように記していました。

その山道の美しさと野性昧について、道中で驚いたことや景色について、小川がたちまち激流になってしまう烈しい大雨について、またこの日に経験した困難や辛い目にあったことについて、少しでも理解してもらえたらいいのだがと思う。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.234 より引用)
見た感じでは、相当色々なことがあったようですが、具体的に記された内容は思いの外シンプルなものでした。

乾し米の練り粉と、酸っぱい黄色の木苺の食事の貧弱だったこと、やっと歩いて渡った泥道の深かったこと!
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.234-235 より引用)
ああ……。やはり肉食系のイザベラのお口には合いませんでしたか。雨に降られたというのは、時期的に夕立だった可能性もありそうですね(あるいは遅い梅雨か)。イザベラ一行は梅雨時に東北を移動していたことになりますが、最終的なゴールを考えると仕方がないとは言え、ちょっとしたハンディキャップになっていたような気もします。

のろい旅

この日、イザベラは金山(山形県最上郡金山町)から院内(秋田県湯沢市)まで移動したことになります。険しい峠を二つ(うち一つは県境)も越えるとは上出来じゃないかと思ったのですが……。

私たちは主寝と雄勝の二つ峠を越えたが、十二時間かけてたった一五マイルであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.235 より引用)
原文では「主寝」(しゅね)は Shione に、そして「雄勝」(おがち)は Sakatsu になっていました。「おがち」が「サカツ」というのは謎……ですね。そしてイザベラは「12 時間かけてたった 15 マイル」と嘆いていましたが、計算上は 2 km/h で移動したことになります。峠ではイザベラ自身が人力車を押す羽目になった、なんて話もあるので、妥当なペースだったような気もします。

私たちのとっている道を進んで行ったのでは、この地方を通りぬけることはとてもできないだろう、とどこでも言われた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.235 より引用)
イザベラは羽州街道を北上していたわけですが、山形から秋田に向かうのであれば、概ね妥当なルートなんじゃないかと思ってしまいます。もっとも、新潟から海沿いを秋田に向かうこともできたわけで、あえて山形を経由したのはスパイ……あ、いやいや、偵察……じゃなくて視察目的もあったのでしょうね。

イザベラは、「及位」と同様に「院内」の村にも良い印象を抱いていたようで、次のように書き記していました。

院内まで杉の並木道を下る道と、烈しく流れる雄物川に囲まれた村そのものが実に美しい。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.235 より引用)

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